ブルーピリオド
「好き」とは‥好きがある人が、私はずっと羨ましかった人でした。私の近くには、明確な好きをちゃんともっている人が多くて、それを楽しそうに積み重ね、形にしていく姿を、ずっと、かっこいいね、すごいねと、見てるだけの人でした。私は、ただ目の前のことをこなすだけの映画の中の言葉でいうと、透明な人でしかなかったので、そういう人たちに、ずっと憧れてきましたし、それをずっと探し続けてきました。映画ブルーピリオドを見ました。東京芸大を目指す人たちの物語。自分の好きを信じ、貫く人たちの物語。あぁ、いい言葉。忘れたくないなと思う言葉が、たくさんでてきました。好きがある人はいいなと思ってきましたが、好きが明確であればあるほど、想いも強ければ強いぶん、人からの否定や、自分の好きが、世間の正しい、いいねと違うとき、自分の限界や足りなさを感じるとき、こんなにも心をえぐられるような苦しさがあるのかと知り、見ていて苦しくなりました。好きに向き合うことは、自分と向き合うこと。向き合いに向き合って、出した答えこそが自分だから、否定されると、本気だからこそ、真剣だからこそ、傷つくんですよね。私には、才能もないし、好きもわからない。そうやって、向き合ってこなかったのが私です。だから大きく傷つきもしなかったけれど、こんなにも、熱い気持ち、知らずにきました。もったいなかったなと思います。子どもたちには‥なんて、見ながら思ったけど、それは逃げでしかなくて、私は私の人生を、ちゃんと向き合わないといけないなと、心から思いました。「見てくれる人を幸せな気持ちにしたいの」森先輩の言葉。私は、なんのために、ブログを書くんだろう‥と、問いかけながら見ていました。まだまだ装った言葉ばかりだし、薄っぺらいし、人とは違う解釈をしていることも多いと思います。評価をされているわけでもないし、なぜ想いを言葉にし、残しているのか。。好きだから、でした。本を読むことも、本を読んで感じたことに向き合う時間も、私がずっとしてこなかったこの時間は、私に今までなかった世界を教えてくれました。主人公の八虎が、絵に出会ったときのように。私にはなんにもないと思っていましたが、ちゃんと好きはあったし、自信も技術も何もないけれど、これを追い続ける時間は、特別です。だけど、そんな自分主体なことでいいのか?との思いも消えません。誰かを思う、誰かの何かにつながるものを書きたい気持ちも消えません。まだまだ浅く、表面的な、本質がわかっていない状態ではありますが、数を積み重ね、本質とは何かが、わかる人になりたいなと思いました。そして、八虎が、森先輩の絵を見て、心が落ちつくと感じたようなそんな言葉を紡げる人になりたいなと、新しい目標もできました。そして、ゆかちゃん。誰よりも自分の好きに真っ直ぐなゆかちゃんに、苦しくなりました。ありのままで幸せでいてほしいと何度も思いましたし、ゆかちゃんのものを全部捨てたお父さんになんてことをするんだと思いましたが、私が親の立場なら、どこまで理解でき、どこまで応援できるだろうと考えました。私も、息子のすることに、理解できないことたくさんあります。その都度、息子が困らないようにと、正しいを伝えてきましたが、それはゆかちゃんのお父さんとしてることと変わらない気がしました。普通とは何か。正しいとは何か。価値観が違う息子に、人に、私はどうあるべきだろうと考えるました。価値観が違うゆかちゃんを、愛おしく感じたことを忘れず、違うことも、知りたいと思うこと。知った上で、人を傷つけたりすることではないのなら、それもいいねと言える人でいたい。ついつい私の思う正しいを押し付けがちになっていたので、この映画のおかげで、ちゃんと軌道修正しないとと気づかせてもらいました。八虎やゆかちゃんたちのその後はどうなっているんだろう。漫画も読み、もう少し、ブルーピリオドの世界に浸ってみたくなりました。熱い炎が、心にぽっと灯るような素敵な、ほんとに素敵な映画、物語でした。映画、おすすめです♪