大阪CA声楽コンセルヴァトワール

2005/12/31(土)13:45

茶木の音楽紀行 46

茶木の音楽紀行(87)

僕が新しい訓練としてまずやらねばならなかった事は、バリトンとして今まで培って 来たものを土台としてその上にテノールとしての何かを積み重ねて行くのではなく、 根の張った土台の基礎までハンマーで叩き崩して、そこに全く別の物をゼロから築き 出すことであった。 しかしその時僕は28歳でその大工事を行うにはあまりにもバリトンに深追いし過ぎ ていたし、筋肉ももう若くは無く、頭も融通が利かなくなっていて、まず解体工事自 体が一筋縄では行かなかった。 ここへ来るのが余りにも遅かったのだ。 前を見ると何処へ伸びているのか、何処まで続いているのか分からない道が見え意識 が遠くなりそうなので、足元だけを見て一歩ずつ歩を進める事にした。 どちらにしろこの道を前へ進むしか手はないのだ、そして誰も戻って来た者はいない 。 シューベルトの「冬の旅」の[道しるべ]が頭の中でぐるぐる鳴ったまま持って来た パンを昼休みに一人で食べた。 この曲は「冬の旅」全24曲の中で一番好きな曲だ。 その日の終わりに先生はまた僕と直子さんを呼び「外国人はいつまでここに居られる か分からない、いつかは自分の国に帰らなくてはならない、その分時間がないので毎 日授業に来なさい」と言った。 帰りの車の中で直子さんがその事について説明してくれた。 「先生の所にはオランダ人、ポルトガル人、ルーマニア人、韓国人、日本人といろん な国の人たちが来ているけど、実質上日本人と韓国人の生徒だけが皆と同じ授業料で 毎日レッスンを受けさせてもらっているのよ、ヨーロッパ大陸の人たちとは違ってア ジアの私たちは一度帰ってしまうとそうそう来れないものね、でもなんだか皆に悪い 気がしてね」「皆は週にどれくらい来ているんですか?」「週に三日の人と二日の人 がいて、授業料が違うの、でも私たちは月曜から金曜までべったりいるわ、ちょっと しんどい事も有るけどね。 先生のご好意だから甘えさせてもらっている訳。 とにかく先生の頭の中は歌の事しかないのよ、そして私たちを一人でも歌い手に育て 上げる事に強い野心を抱いておられるの、すごいわねあの集中力は、時々ついて行け ない時もあるのよ、私たちは生活して行かなくちゃいけないし、一日中歌の事ばかり 考えていられないものね」 と言って直子さんは屈託のない笑顔で笑った。  つづく

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