2006/01/05(木)10:54
茶木の音楽紀行 49
駅を出て歩き出すと山が見えた。
この辺りは小高い山と山との谷間に先生の家が有る村があり、もっと谷を山の突き当
まで行くとグンマースバッハという小さな町が有る。
20分もあれば直径を歩けてしまうぐらいの小さな山に囲まれた町だが、そこにはデ
パートや歌劇場も有った。
先生の家の玄関に立つと小川のせせらぎが聞こえ、山の草木の匂いがした。
午前中のレッスンを終え小川の畔に座って昼ご飯を食べた。
日本にでも有るようなただの田舎の小川だが何だか水の流れる音も違うし、そよぐ風
の匂いも違うような気がして、このドイツの地で詩人たちが何百年も何千年も前にこ
ういった小川の畔で詩を読んだ素朴な心に思いを馳せ、ミュラーの「美しき水車屋の
娘」の粉引き職人になったような気がした。
午後からの授業の前に部屋に座っていると、これまで何度か顔を合わした事の有るク
ワストフという男がやって来て、僕の隣に座ってハロー!と微笑んだ。
彼は僕より三つぐらい年下で、音楽大学のような所で訓練を受けた事がある訳ではな
かったので楽譜がうまく読めなかったが、とても良い声のテノールだった。
彼は思い付いたように僕に向かって何か話し掛けて来たが僕には理解出来なかった。
そこに直子さんがやって来たので、彼は「おーい直子!助けて!」と彼女を呼んだ。
直子さんは笑いながら僕たちの傍に来て「はい、何をトシに訳せばいいの?」と言っ
た。
最初にここへ来たころ先生に「名前は?」と尋ねられ、「としゆき」と答えると、「
長すぎるのでトシと呼ぶわね」と言われ、僕のあだ名が決まったのだ。
クワストフは、今晩ケルンの歌劇場で[プレガルディエン]と言う有名なテノールが
リサイタルをするので一緒に聴きに行かないか?」と誘ってくれていたのだ。
「行きたいけど話せないからちょっと心配だな」と言うと「何言ってるの、身振り手
振りで何とかなるわよ、行ってらっしゃい!」と直子さんに言われ僕は行くことにし
た。
「OK、それじゃ決まりだ!授業が終わったら僕の車で一緒に出掛けよう!」と彼は嬉
しそうに微笑んで僕の膝を叩いた。 つづく