『あかんぼぐらし―宝のときを楽しむ』松井 るり子
あかんぼぐらし筆者:松井 るり子出版社:学陽書房ISBN:4313660151発売:2000/07価格: 1,500円 (税込 1,575 円) この著者の本が優しいのは、本人が、『ごたごた絵本箱』にでてきたような、育児中の母親(限定してやるわっ・病気療養中です・・・)の孤立感とか、無力感を知っているからだと思う。私のように、1人でも全然そういったものへの焦りを感じない者には絶対こういう優しい言葉は見つけられない。そして、今回も愛がいっぱいです。愛がいっぱい。子育ての本を読んでいて、「こんないい親ばっかりじゃないよ。キーッ」となることがありますが、同じような内容でも、この著者の本だとふん、ふんと頷きたくなるのは、ちょっとした思いやりのせいだと思います。たとえば、第三章あかんぼは可愛がられるために来る・どなるたたくは敗北のしるしという、どきっとするタイトルのところでは、子どもが可愛くないという人はたいてい、「妹ばかり可愛がられて、私は親に可愛がられなかったから」とか「子どもの頃、親にきつく叱られたことが心の傷になって」とか言います。でも、二十歳も過ぎたら、人生自分の責任。親のせいにして責任逃れするには、やや老けすぎではないでしょうか(病的な虐待やネグレクト、性的虐待等をのぞく)。もっとのぞかれた方がいいような出来事も、子どもにはふりかかるかも知れませんが、前半かっとなって、このカッコ内の補足で、冷静になれるのです。前半は、以前『レオン』について考えたときに感じたことなので、やはり、こうやって自分も考えたことが別の人の言葉になっていると、なんとも嬉しいものです。まえがきあかんぼぐらしとは、ピアノの伴奏みたいなものなんですって。こう考えると、ちょっと肩の力が抜けます。確かに、あかちゃんに演奏しっかりね、とお任せして、くらいでいいのかも。と今振り返ると、思います。でも、1人目だったし、「生きてる?」「これでいい?」と、せわしなかったんだよなァ・・・第一章あかんぼは「気持ち」を持ってここに来る早く楽になるコツは、暇さえあれば文字通り、あかんぼを肌身離さず、自分の身体にくっつけていることですだそうです。うちはもうすぐ四歳ですが、何かわかる気がします。でも、これも子どもの個性もあるから、「気が済む時間」は子どもによって違うと思います。その子の不安がなくなるまでずっと、ということなのだろうな。ちびこは無鉄砲なのに、夜だけ1人を怖がるから、私は時々戸惑います。戸惑いはそのまま伝えているが、これはよいのか悪いのか・・・また、以前読んだ本にも出てきました、泣いたらかけつけコミュニケーションを知る、の延長?で、あかんぼがいっしょうけんめい泣いているのに何もしてもらえなかったら、そばにいる大人が自分と同じく「気持ち」なんていうものを持っていることに気づかずに過ぎるのではないでしょうかあー、考えやすい泣かれるのが辛い人は、自分が何とかできないのが辛い、自分に厳しい人か、子どもに尽くす人かも知れないので、気持ちにこたえれば(一通りのことをすれば)それでお話をしたということなんだ、後は泣くかやめるかあかんぼに任せます、という気持ちでいいのかも・・・第二章あかんぼは夫婦のところにやって来るこれタイムリーでした。ある日私はショックをうけました。私がいるときはちびこ、おトイレ1人でできな~い、と、ふくのと手を洗うのは私にさせていたのですが、夫といるときは全過程自分ひとりでできているというのです!!ずっと一緒にいる私には甘え、会社にいって普段いない夫のときは自立・・・どういうこと?!と涙が出そうになりましたが、これが夫婦別の役割というものなのでしょう。この本の中では、仕事をしていても子どものためにできるだけ早く家に帰りたい、という母と、ちょっと離れても大丈夫、それより仕事なんだから、夜ご飯くらい仕事仲間と食べておいでよ、という父。(もちろん代わりに自分が早く帰宅したりはしない)このこのためになれば、と早よ寝ろ、菓子はこれだけにしておけ、と制限する母と、仕事で遅く帰ってきて子どもを起こし、甘いものをあげる父。そういう状況になるときーっとなるけれど、その優しい父が、年をとるとじわーと子どもに効いてくるんですって。細木せんせいが一家に父親は二人いらん、みたいなことおっしゃってたけど(次元の違いすぎる話ですみません)夫とのすれ違いに疲れたときは、「この人は父親。一家に母親は二人もいらん」と考えて胸をなでおろしてみようっと。第三章あかんぼは可愛がられるために来るここには、子どもをぶたないための具体的な方法という段があります。第四章あかんぼぐらしの実際友人の子育て日記の拾い読みです。あかんぼがかわいすぎて泣いてしまいました。ここにも、子どもをかわいいと思わなかったり、無関心だったりする人についての記述があります。私も昔はそういう余裕のない大人だったので、なんかつらいものがあります・・・あと、気持ちを表す言葉というのは、大人が教えてあげるといいな、と思いました。子どものストレスも、大人のストレスも減りそう。これは『親と子の感情BOOK』にも出てきたけど、具体的な体験例が出てきます。(もちろん自分が実践しようと思ったら、『親と子の~』のほうをおすすめします)第五章子どもを守る大人テレビについての記述があります。やっと開き直るのはやめようと決心がつき、最近はテレビを消せています。事件などは新聞で事足りるけど、芸能情報が入ってこないわっ。韓国ドラマはできるだけ深夜に見るように(または早朝)してるので、寝不足だー第六章あかんぼと一緒に賢くなりたい武器のおもちゃが必要なのは、武器で心に傷を負った子どもだけこれは、『おもちゃが育てる空想の翼』カーリン・ノイシュツの本にでてきた言葉です。こちらの本も読んだのですが、自分自身は納得しても、今の母親にはちょっときつい記述もあるので、感想が書けずにいました。でも、この段は納得です。私も普段から、ちびこには鉄砲など与えないようにしてたのに夫が勝手に戦車とかあげるんだよ!腹立つ!口すっぱくしてそういうのはやめろ!と言ってるんだけど・・・武器を与えるような大人もいる。という学習になってしまうのね。悲しい。そんな学習、本当のこととはいえ、悲しいことです。武器つながりで。『13歳のハローワーク』に戦争が好きな人はここを読んで、というとこがあって、その記述はとても優しいと思いました。大人はこういう風に子どもに話をできたらいいな、と思います。まず、興味がある。ということを認める。そこから話す。この本にも、そういう言葉が出てきます。子どもにいろいろものを買いすぎてしまうとか、子どもの選択を認めてやりたい、けど、限度は・・・という迷いに対する、考え方のとっかかりが載っています。これは、私もこれから幾度となくぶつかる問題でしょうから、ヒントにして考えていきたいと思います。決意あらたに。もう、ノンタンは読まない!しつけ絵本は読まない。そんなの読書じゃないんだ!!ハウツーものは、人が自分から何とかしたいと願ったとき、初めて読めばいいのよ。☆私はママ友いないし、そんなに同年代の子との交流もないので、誰それと比べてちびこは・・・など悩んだことがほとんどない。全くないとは言えませんが。しかしやはり、あまり深刻な病気をしないちびこに対して、「あんたは丈夫で親孝行だね」と思ってしまうことがある。これは悲しいことだ。ちびこは生まれてきただけで、もう十分なのだ。病気だろうが何だろうが関係ない。そんなもんは親の傲慢だ。いるだけでいいんだ。病気がちの子は、障害をもつ子は親不孝か?とんでもない。それなりの苦労や工夫はあるだろうけど、それはただの苦労や工夫で、親不孝だのなんだのとは違うんじゃないか・・・と思う。なのに、ついうっかり、時々思ってしまうのである。お腹を蹴ってこないこの子は弱い子なのかなーと思ったけれど、元気に生まれてうれしかった。でも本当に弱い子もいる。~そういう子どものおかあさんのことを、なるべく考えないようにしてきたけれど、そうやって逃げて、何かいいことがあっただろうか~考えないでいることは、比較と評価の視点でしか子どもを見られないまま、私の時間が過ぎていくことだ☆