テーマ:思う事は何ですか?(594)
カテゴリ:私の言葉
今日、私は岸和田にある家庭裁判所で私の母の医療保護入院に必要な書類を作ってもらうために、叔母にその家庭裁判所まで連れて行ってもらいました。
実は5年前の平成12年5月にも、その家庭裁判所で同じ手続きをしたことがあります。当時の家庭裁判所は岸和田城の近くにあったのですが、今は中央公園のそばに移転していて、叔母は周辺の人に道を尋ねるなど、目的地にたどり着くまで苦労しました。 行き帰りの車中で、叔母と話をしたのですが、「今、私の家は家計が苦しくて家賃を数ヶ月溜めていて団地を追い出されたら母と私は餓死するかもしれない」ということを私が話したら、叔母からは「そうしたらええやん」という言葉が返ってきました。 『火垂るの墓(先日、松嶋菜々子さん主演で同名のアニメ映画の実写版ドラマが放送されていましたね)』に出てくる親戚のおばさんのように、どこか冷たいところが叔母にはあるような気がします。 叔母にとっては、実の姉である母も、姪である私も、厄介者なのかもしれません。母が病気になっていないときはとても機嫌がよかったのに、母が病気になるとコロッと変わったように冷たくなる叔母です。 ”鬼嫁”と言っても過言ではない叔母の夫を40年近く務めてきた叔父は「叔母ちゃんは自分が一番正しいと思ってるんや。おっちゃんは毎日毎日自分の兄弟の悪口ばっかり言われて嫌になるけど、ずっと辛抱してきたんや。響鼓も、叔母ちゃんに何言われても、辛抱せぇよ」と言ってくれます。叔父は叔母にとって本当によくできた旦那さんだと思います。こんなに良い旦那さんは他にはいません。叔母は叔父に感謝の言葉を述べたことなんてないのではないかと思います。叔父がいてくれることが当たり前だと思っていたらいけないでしょうね。 叔父と私はともに叔母の言いたい放題な振る舞いにひたすら耐える”戦友”のような気がします。私にとって女同士の叔母よりも、異性で全然血縁関係はなくても、私と性格の近い叔父の方が話しやすいです。 今、入院中の母もたまに自分の妹である叔母のことをこう言います。 「みーちゃん(母が幼少期から現在に至るまで使ってきた叔母の愛称)は小さい頃からむずかしい子やったよ」 母によると、叔母は子供の頃、自分と母の肩がちょっと当たっただけで、「姉ちゃん(私の母)、私の肩叩いたな!」と母に言い寄ってくるけんかっ早いところがあったようです。 「三つ子の魂百まで」というのは本当なんですね。 私は11月1日に「金曜日(今日)は母の入院に必要な書類を家庭裁判所で作ってもらわなければならないので、午前中は休ませてもらって、午後1時からお仕事させてもらえますか?」ということを専務にお願いしていたので、今日はその通りにさせてもらえました。 私は今の会社でとても良い上司に恵まれたと思います。 「人気blogランキング」へ 当サイトは「人気blogランキング」に参加しています。 当サイトへの投票は↑の「blogRanking」バナーをクリックするだけでOKです。 ご協力お願いします。 当サイトは「Swimming Blog」に参加しています。 当サイトへの投票は↑の「Swimming Blog」をクリックするだけでOKです。 ご協力お願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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