旦那、無事帰還
父親の仕事の関係で幼少時代の8年をアメリカで過ごした旦那は、その反動かどうか知らないが、仕事も趣味も海外とは全く無縁の世界で生きている。英語も発音だけはネイティブだが、自分からは話そうとはしない。今回の出張も、入社16年目にして初めてのこと。それまで毎月のように、アジア・アメリカ・ヨーロッパと飛び歩っていた私からすれば、1週間の出張ならやりたいこと、やれることは山ほどある!と結構勢いづくところだが、旦那は結構冷静。というか冷めている。飛行機も嫌いだし、できれば行かなくてもいいくらいの感じだ。あー、こんな人に会社はお金を払って出張させるのか!代わりに私が行きたいくらい。いくら褒賞ツアーとはいえ、この機会にビジネスチャンスはいくらでもつかめる!!と内心イライラするのを抑えていた。私が子供の時、「兼高かおるの世界の旅」というテレビ番組が人気で私も大好きだった。兼高さんが一人で世界の名所名跡、著名人を訪ね歩き、英語・フランス語・イタリア語なんでもござれという才女ぶりと海であろうと山であろうとどこへでも行ってしまう行動力を生かして、その国々を紹介してくれた。私も世界を自由に飛び回ってみたい、地球を隅々まで歩いてみたい。そんな夢が膨らんだ。そして、中学2年の時、母が私をフランスとスペインに連れてってくれた。初めての海外旅行。スペインのホテルのフロントで、「この町の地図が欲しい」と覚えた英語を使ってみた。フロント係は優しく「これですね」と地図を用意してくれた。「通じたーーー!」外国語を使う喜びが私の中でフツフツと沸いてきたのを今でも覚えている。それから英語が大好きになり、高校時代には1年間のアメリカ留学を経験する。大学ではドイツ語を専攻した。アメリカで出会ったヨーロッパ人が皆複数の言語を話していたのに刺激されたのだ。大学時代にはヨーロッパをくまなく歩いた。地球の歩き方とトーマスクックの時刻表がバイブルだった。 仕事は、女性でも海外へ出してくれるところを選んだ。入社2年目で国際部へ配属になり、それから私の出張生活が始まった。JALのグローバル会員はブルーのタグで始まり、しばらくして私は25万マイル(地球10周分)を飛んだ証のグリーンのタグを獲得。次は50万マイル突破の茶色のタグをゲットするぞーーと夢見ていたが、結婚、妊娠、育児で記録がストップしている。貯めたマイルも底をつきそう。この先、私が海外へ出張すること、海外で生活すること、なんてあるのだろうか。箱崎TCATのすぐそばに住んでいながら、そこから飛びたてないでいる自分がもどかしく感じることある。東京が好きであまり外に出たくない夫。海外が好きでいつでも外にでたい私。さ、この先、どんな道を歩むのでしょうか。。。