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テーマ:家庭菜園(58936)
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御無沙汰してました。
どうも冬から春にかけては、いまいちいろんな面でアウトな私です。 畑のほうはなんとか毎日ちびちびとやっていますが、畑耕すよりも、畑に面した共用部分を多くかかえている私の区画なので、共用部分の雑草ひきのが仕事の量が多いです。 じゃがいもは、今日めかきをしてきました。2本だてにしました。4畝うえたので、たくさんとれるといいなぁ。 一度ここらへんは霜で、皆じゃがいもやられた人が多いのですが、天気予報みて前日あわをくって藁をかぶせにいったので、私は霜の被害はありませんでした。 が、さすがに数日前、じゃがいもに雪がつもっていたときはびびりました。 これでじゃがいも枯れるかなと思ったけど、地表の温度はそんなに下がっていなかったため、なんとか凍らずにすみ安堵しました。 アスパラは4株ほどありますが、今年はもう32本収穫できて、甘いとれたてアスパラ堪能しました。 それと茄子、トマトは苗を買ったのと、自分で種発芽させたのがありますが、どうも今年は5月連休にでもならないと天候は安定しないと推察して、フラワーハウスの中で待機させています。 いつになったら定植できるでしょうか。今年は本当に変な天候ですね。 畑以外でかわったことといえば、なんと、迷子になっていた年金をゲットしました。 といっても母のですが、、、。 母は、戦後すぐから大きな会社に数年勤めてました。 なのに年金がかけてあるのを知らなかったようです。 というのも、母の今は亡き母親が幼い母の下の兄弟姉妹育てるのに、明細ごと給料とりあげてたらしいです。 大きな会社で年金かけてないってことはないだろうと私は思いましたが、私の父が母の年金の手続きしたときに調べてたはずだと一度は思いました。 なのに、、、、よくよく話をきいたら母は父と結婚するまで、戸籍と違う名前ですべて生活していたようなのです。昔はなんらかの手違いで戸籍と普段の名前が違う人が結構いたみたいです。アバウトな社会だったんですね。 だからもしかしたら父は、そういうことを前提にして、ちゃんと調べてないのではと思いました。 ところがさらに始末に負えないのは、母は戦後すぐのことだから、年金の制度なんかなかったとさえ思いこんでいて、その当時の年金手帳みたいなのも母の手元にはなかったそうですし、でもいくら私が念のため調べてもらったらといっても、調べようともしません。あきれてものが言えないです。 仕方なしに社会保険庁にきいたら、母が働いていた該当する年のときには年金の制度はあったはずだといいます。 ではと思い、今も存在するその会社の本社に電話してきいてみると、資料はのこっていませんでした。でも、その会社では当時は年金制度はありましたが、その当時の退職者は年金一時金という特殊な形式で退職時にお金をもらってしまっている人が殆どと返答されました。 もしそうなら後から厚生年金は絶対はもらえません。 母は退職のときのお金もすべて母の母親がもっていってしまったから、もしもらえていてもそのお金も母親にとられているかもといいます。 でも一時金を母の母親がもらっていない可能性もわずかながらあるんだから、調べたほうがいいよといっても、まだ保険庁に電話する気はおきないみたいです。 わが親ながらあきれますね、、、、。年齢がいくとまずすべてあきらめが頭を支配するのですね。そして自分のいい加減さを指摘されるようでいやなのか、質問するとヒステリー起こすし、すったもんだで1年以上母と押し問答してました。 結局長いこといらいらさせられつつ、母の旧姓ともしかしたら名前がちがっているかもということを代理で私が申請して、なんとか調べてもらうことにしました。 そしてなんと申請から音沙汰なしで延々1年。このたびやっと回答がきました。 結果はなんとちゃんと母の俗称ではなく戸籍の名前で年金の加入があり、一時金として清算済みでもなく、ちゃんと手続き申請していれば、60歳からその時の年金がもらえるはずだったのです。 ただし63歳のとき父がなくなり、父の遺族年金のほうが高く支給されるので、63歳からは厚生年金ではなく遺族年金のほうをもらうという形になるので(どちらかいっぽうしかもらえないので、高いほうを選択するらしいです)、その間3年の分です。 遺族年金は63歳から、ちゃんと手続きして今もかわらずもらっているので、この部分の変動はありませんが、ともかくこの遺族をもらうまでの3年間の厚生年金のもらいそびれがかなりの額になります。 かなりといっても戦後すぐのころに数年働いた分ですので、たかがしれていますが、それが一括でくるとお金に縁がない母にはかなり嬉しいはずです。 幼い兄弟姉妹をおぶって学校に通い、戦後も家のためにせっせと働いた母になんのいいことのひとつもなく、兄弟姉妹から感謝の言葉もなかった母へのわずかながらの御褒美となりました。よかったね。 しかし、よくも母は何十年もずっとこの問題をほったらかしにできたもんだと、私は内心あきれていますが。苦笑。私も手数料がわりになにかおいしいものおごってもらおうっと♪あ、私あくどいですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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