索道終点は、先に逝く・・・(涙)
鉱山道路2023番外編 その2 実は今回・・・ 現地に入れると思っていなかったので(焦) 途中で色々と寄り道してたんですよ(困) その一つが! あの鉱山から出ていた索道の終点 秩父鉄道・三峰口駅の先に存在した 終点 って言うか、秩父鉄道の貨車に積み込むための施設が有った場所 って! もう、あっさりと撤去されちまってるし!!(泣) まあ、道路は通行止めになってないし この辺 で・・・ 去年の3月には廃坑する事が決定していて 9月の台風で道路がトドメ刺されて ま! ちょうとタイミング良いし そのまま廃坑にしちゃえば良いんじゃね? みたいなノリで行っちゃったから その関連施設は さっさと撤去しちゃった と・・・ あ! そう言えば 影森にある事務所はどうなっているんだろう? 全くチェックしてなかった まあ、そんな話は置いといて! で! 工事看板が有ったから 撤去工事のための物か? あるいは跡地に何かを建てるのか? と・・・ 思ったのですが 白川橋の修繕工事のための物でした ちなみに 色々と調べているうちに 策道の終点だった場所は どうも、この看板の裏当たり? あるいは、自分が立ってる辺り そう まだ当時は 白川橋は現在の位置よりも100mくらい下流に架かっていたため この付近橋は架かってなかったし 右岸の道路も、現在とは違った少し位置を通っていたらしい? ただし! 秩父鉄道としては 三峰口よりも先 ロープウェー乗り場まで線路を延伸しようと策略していた時期もあったそうなので 石灰の積み込み用ヤードから先に線路を伸ばす って言うか、詰み込み線の脇を通って 右岸に線路を敷設するつもりだった の・・・ ですが!! 当時の土木技術では ほぼ不可能(泣) 更にお金が掛かりすぎて無理! 叶山や武甲山からの石灰や輸送や あの鉱山から採れた鉄鉱石などの輸送で ウハウハな時代だったとはいえ? 自社で電車を造るお金が捻出する事が出来なくなって来ていたし 東部の池袋から出発して、寄居から秩父鉄道線内、そして熊谷や羽生から千葉方面に向かうと言った 謎の臨時列車も無くなり(焦) 東武、西武、国鉄から長瀞への乗り入れも減っていき 小田急線や東急電鉄から中古車を買うような時代になっていたので(涙) 仮に線路を造ってたら 借金で首が回らなくなって、とっくの昔に廃線になっていたかもしれない? 鉱山から索道で送られて来た鉱石を運ぶために造られた線路 そして! この先に延伸するための野望の未練が残ってた線路 が・・・ 草葉の陰に!(涙) ちなみに! 道路の向こう側にも うっすらと線路が残っているのが見えていて・・・ 以前はココに プレハブ小屋が建ってました が・・・ それも、撤去され(涙) 策道の遺構らしきものは 全て くそう!(涙) もう何も残ってないや! って言うか、ここの薮 全て刈り払ったら 何が出てくるかもしれないけど?(望) たぶん、それは 無理だろうな? って言うか、ココの所有者 今は、何処になっているのでしょう? 少なくとも「ニッチツ」と名前の書かれた「立入禁止」の看板が無いから 既に売却済みなのかもしれない?(焦) そして! 策道が通っていた位置も・・・ 既に自然に還ってしまっていて(涙) たぶん? 位置的に言って あの高圧線の鉄塔が建ってる場所辺りを通っていたのでしょうけど? その遺構すら 見つけることは困難(涙) 石灰のストックヤードの上屋根や 屋根裏に残っていたベルトコンベアの跡なんかも 既に姿を消しました(悲) って・・・ ストックヤードに残ってた石灰を詰め込んで袋が積み上げてある まさかね? あの石灰も 鉱山まで持ち帰って 埋めるために使うとか そういう事は無いよね?(焦) まあ 3年もしないうちに 鉱山の本坑も こんな姿になってしまうのでしょう?(泣崩) って言うか、徹底的に 何も無かった事にされてしまうというか? ちなみに! 奥に仮設事務所が有ったので 様子を見に行ったら コレも白川橋の修繕工事のための物で この策道跡とは全く関係が有りませんでした 更に、その奥にある 既に電気も撤去された 謎の廃施設も関係ないようで・・・ とりあえず 何処の所有物になっているかは不明ですが 残った石灰を詰めた袋と ショベルカーが残っていると言う事は まだ鉱山の所有下にあるものと考えて良いのかと? さすがにね 勝手に入るわけにはいかず くっ!(噛) これで勝ったと思うなよ? そう 晩秋 周りの木の葉が全て落ちた頃 望遠レンズ持って事故狙いの画像 撮りに行ってやるから にほんブログ村