2006/11/19(日)23:57
お茶事 その3 濃茶席編
次は濃茶席です。これが当初予定していた道具組です。
濃茶席
床:平常心是道(びょうじょうしんこれみち) 書/大亀老師(か?)
目指してしまってはそれは道ではない。近道はないのだということ。当たり前のことを
当たり前に日々送ること、が道になるのだという禅語。私がこの禅語に出会う前、
会社での仕事で実践したことでした。
以前は常に目指すこと、そして特別なことをしてある日突然人生を開くことを常に考えており ました。それがこの半年間、そんな自分の生き方を改め、自分が今しなければならないこと (=当たり前のこと)を懸命にこなしました。
その結果、一緒に働く仲間からは頼られ、リーダーシップを発揮し、また新しい仕事が飛び込 んで来て、今後の自分の道がぱっと開けたのでした。その後、この禅語に出会い、これが私の やってきたことと一致したのでした。
ちなみにお軸はこの禅語に引き合わせてくれた友人宅のものです。
水指:朝鮮唐津長水指 (和子先生作で先生と初めてお会いした折、買い求めたものでしたが、
生憎、爆発事件により使用できず。よって今回は写真は載せません。)
茶入れ:緑茶入れ(宗久さんがネットオークションでお茶道具を購入されているとお聞きして、
覗いたオークションで見つけたもの。
箱はおろか牙蓋も仕服もついておらず、身一つでした。
どこの焼物か判断つかず。オークションでは古瀬戸とありましたが、高取のように釉薬を 二重にかけており、和子先生いわく、土は瀬戸のものと言っても良いけれど、釉薬は瀬戸 の場合、二重にかけないわね、とのこと。
そこで、ネットオークションのプロ、宗久さんいわく、経験上どこのものか分からない
場合、ネットオークションでは古瀬戸となっているねぇ、と。一同笑。)
仕服は日野間道。(オークションで手に入れた別の茶入れに寸法あわずでつけられていた ものを転用。)
茶碗:むらさき萩 玉村登陽作
阪神大震災の年、その前から幕末にはまっていた私は高杉晋作に会いに萩に行く
予定でした。その後震災でしたが、萩行きは強行。
新幹線がストップしていましたが、飛行機で福岡に入り、山陰本線で萩へ。
そして萩焼の抹茶茶碗を求めてレンタル自転車で市内を回り、とあるお店に入ると
東京の地下鉄駅が大混乱を起こしていました。それは東京地下鉄サリン事件でした。
この茶碗にはなんのゆかりもありませんが、日本が未曾有の事件、事故に見舞われていた
ときに出会った茶碗という私の思い出の品です。
釉薬のかかり具合で正面を決め、茶杓を置くと上手く乗らないと話すと、和子先生いわく、 口の部分に山がありすぎると。山は3か5というお言葉。
数えてみると偶数の6ありました。なるほど。
また、買ったときから雰囲気が変わったかと聞かれましたが、
生憎、七化けはなかなかしません。
よ~く焼かれているから堅いのでしょう。だから化けにくいと。
茶杓:銘/ 峯紅葉
歌/ 秋風になびく浅茅は霜枯れて色ことになる峯の紅葉
作/ 宗慶宗匠
そう、この茶杓こそ私が今年のこの時期にどうしてもお茶事をしたかった理由です。
というのもこの茶杓は私の生まれた年に造られてもの。
詳しくは2005年(昨年の)11月22日の日記を参照。
昨年から、今年11月10日に40歳になった私はこの茶杓に出会い、20年後の還暦茶事をするこ とを目標にしました。であれば、ちょうど節目の今年お茶事をして、今回いらした方が20年 後また集まっていただくなんてことが実現したら面白いなぁ、と。
それで昨年茶名取得したことも合わせてお披露目としてお茶事を
決行したかったのです。
ちなみに20年後より10年後の半白の祝いをしましょう、ということにも
なりましたのでまずは10年後を楽しみに。恐らく茶杓はこれを使います。
お茶碗も決まりました。ただし、まだその茶碗はこの世に生まれていません。
でも何を使うか決まりました。10年後をお楽しみに。このブログが
続いていたら読んでください。ふふふ・・・・。
お茶:一玄の白(宗実家元好み) 小山園
菓子:紅葉 亀広良
ちなみにお濃茶は炭で台無しになったお茶室で行う予定でしたが、仕方なく広間に皆さん大移動することになりました。もともと薄茶は広間のつもりでしたから、続き薄のようにし、水屋担当の人たちもご一緒させていただき、皆でお茶をいただきました。
次は薄茶席の説明に。