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本のある森

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ふしぎ

2020.11.14
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カテゴリ:ふしぎ
もうじき自分が死にかけた日だ。
といっても、これを書いている時点での話なので(このブログの記事は時間のある時に書いて、予約投稿にしている。あとで公開日時を入れ替えることもある)、公開されるのはその当日か、もしかしたら1日過ぎているかもしれない。
もう何年も前になるが、交通事故で一度死にかけたことがある。もっとも重体ではではなく重症なので、正確には死にかけたとは言えない。でも、自分としては助からないんじゃないかと思った。搬送中に三途の川の幻のようなものを見たし(広い川の向こうに桜が咲いていた)、病院ではよく分からない体験をした。
あたりが真っ暗になって、自分と世界との間に無数の衝立が立ってゆくのだ。これからどうなるのだろう、とおろおろしていると、話しかける声がして、返事をするとその瞬間、衝立が一斉に外側に倒れ、さあっと白い光がさして、気が付くと治療室のようなところにいた。
もう5年以上前の話だ。だから普段は忘れている。怖かった歩道も駐車場も普通に歩けるようになった。でも、あの日の前になると体調を崩してしまう。精神的に不安定になることもある。

今回出た症状は、恐怖感と夢である。
なんとなく、誰かが自分を殺しに来るような気がする。もちろんこれは自分の妄想というか、空想なのだが、通り魔などの記事を読むと、自分にだってそうしたことが起こらないはずがない、と考えてしまう。
困ったなあ、もし後ろからハンマーで殴られたらどうしよう。少しでも衝撃を和らげるために、髪をお団子に揺っておくか。こう書くと、なんだかのんきな悩み方だ。
おだんごの練習をしていると悪夢を見た。実家で寝ていると、掃き出しの窓を開けて女性が上がりこんでくる。その人は灰色の髪を振り乱し、真っ白い顔をして、白い着物を着て、右手には血まみれの包丁を持っている。とんでもなく古臭く、ステレオタイプな幽霊のイメージである。こうした夢を見て起きると、もう朝まで眠れなくなる。仕方がないので音楽を聴いたり、動画を見たり、思い切って起き出して本を読んだりする。
今日はよく眠れそうだな、と思うと、寝入りばなにリーンと鈴のような音がして、はっと目が覚める。
着信音かとスマホを見るが、それらしき通知はない。なんだあれは。
後で知ったのだが、自分が車にはねられた日は祖父の命日だった。祖父は諸事情から若いころの夢を諦め、教師になった人だ。生徒たちからは穏やかで優しい先生と慕われていたらしい。
自分は祖父には会っていない。母がまだ大学生の頃に病気で急死したからだ。夢をあきらめながらも教師として懸命に働き、そのさなかに病に倒れたのは、さぞ無念だったろうと思う。
ところで自分はなにをやってもうまくいかない人生を生きている。努力はしている。なのにまったく人生のマスが前に進まない。開かない扉の前で、ずっとノックをしているようなかんじだ。やっとうまくいきそうだと思うと、とんでもない邪魔が入って計画がすっかり狂ってしまう。先の事故はその最たるものだ。だから、祖父の後悔や無念さが、ほんの切れ端程度だが、分かるような気がする。
あの事故は祖父が自分の無念を伝えるために起こしたものなのか、それとも自分のぶんも夢をかなえてほしくて命を救ってくれたのか。普通に考えれば後者だろう。
この症状は体調不良は毎年、事故の日過ぎると消える。それまであと数日、好きな本でも読んでやり過ごそうと思っている。



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この音に似ていた






最終更新日  2020.11.14 20:00:07


2020.10.17
テーマ:占い(306)
カテゴリ:ふしぎ
我が家は仏教である。
なんとかしゅう、という宗派も知っている。父方と母方ではお寺が違うのだ。
所謂新興宗教ではない。そう熱心にお勤めをするわけでもない。子供のころは、時々お墓参りに行き、仏壇にお茶やお水や、頂き物のお菓子を供えた。お盆やお彼岸には、ちょっといいものを食べた。法事の時には親戚が集まって、お寿司を取ってお酒を飲んだ。田舎の人間の生活に根付いた、普通の仏教である。

母はお経をあげることもなかったし、仏教の教えにもうとかった。しかし、わたしが小学校の時に祖母、つまり母の母が他界してからは、やたらとお供えをするようになった。頂き物はとりあえず仏壇、いや、正確には祖母の写真の前に置く。家から徒歩数分のところには祖母の墓があったので、母は週に一度、墓参りにも行っていた。
祖母の葬儀には自分も出ていた。だから祖母が棺に納められ、遺体が焼かれ、骨壺に入れられて、あの墓に納められているのは知っている。祖母が今いるのはお墓だ。なのになぜ仏壇にお供えをするのか。
気になって母に尋ねてみた。
「ここにものを供えると、食べ物の美味しさがお墓のおばあちゃんに伝わるのだ」
という返事だった。要するに気持ちの問題である。しかし自分は
「美味しさというエネルギーのようなものが、不思議な仕組みでお墓のおばあちゃんに伝わるのだ」
と受け取った。お供えしたあとの、ぶどうも梨も缶入りのビスケットも充分に美味しかったが、お供えする前のものはもっとおいしいのだろうか。
母のお墓参りの回数は次第に減っていった。仏壇もせいぜいお水を供えるだけになった。それでも祖母の写真だけはなんとなく今に鎮座していた。すでに居間の顔になっていたのだ。
自分は宗教に興味があって、聖書を通読したり、エリアーデをかじったり、大学で宗教学と西洋史のゼミに入ったりした。でも、興味があるのと信じるのとは全く別の問題だ。父が癌で他界したのをきっかけにお墓を建て、頻繁にお墓参りに行くようになったが、信仰だとか供養だとかいう意識はなかった。自分は父に会いに行っているだけだ。祖母を亡くしたときの母も同じ気持ちだったのだろう。

そんなある日、コロナが流行する少し前のことだ。
知人の紹介で、ある占い師のところに行った。自分の人生があまりにも不幸続きでうんざりしてしまったのだ。そこで思いがけないことを言われた。
「あなたにはご先祖を供養する使命があります。これからはお墓参りに行き、きちんと先祖供養をするように」
その占い師さんによると、今の自分にはご先祖さまの守護がまったくないのだそうだ。だから人生不幸続きなのである。しかし、不幸続きといってもいつもギリギリのところで助かっている。「こいつを生かしておかねば儂らの供養が危うい。こらしめるだけにしておこう」ということなのだろうか。謎だ。
余談だが、家族が昔、別の人に占ってもらった時も、「あなたのところの長女さんは大変ですよ、しっかりご先祖様に守っってもらえるよう、毎日お線香をあげなさい」と言われたらしい。長女とは自分のことだ。一体何が、どんなふうに大変なのか。恐ろしい話である。
そんなわけで、部屋に仏壇はないが、なんとなくそれらしいスペースを決め、とりあえず父の写真を飾って手を合わせるようになった。
自分のルーツにも興味が出て、少し調べてみた。ある人は戦時中、満州で事業を起こそうとしたが失敗し、シベリアで捕虜になってどうにか戻ってきた。跡継ぎを産むために、年下の幼馴染みと結婚した女性がいた。軍医として活躍した人もいるらしい。自分と過去の見知らぬ人たち、そしてこの日本という国とのつながりが見えるようで面白い。もう少しちゃんと生きねばと思う。いやこれでも頑張っているつもりなのだが。
なのでご先祖さま、お守りのほうをよろしくお願いしますよ、ほんとに‥‥。









最終更新日  2020.10.17 20:00:08
2020.10.12
テーマ:都市伝説(28)
カテゴリ:ふしぎ
都市伝説が結構好きだ。体調を崩すと横になって、都市伝説を集めたサイトを読んだり動画をぼんやり眺めたりする。元気な時には都市伝説や噂についてまとめられた、けっこう硬い本を読む。

噂や都市伝説には、その元になった事件のあるものが少なくない。
たとえばキャラクターにもなった『トイレの花子さん』には、元になった悲しい事件があるらしい。
まだ戦後間もない時代の話だ。学校のトイレで遊んでいた女の子が、個室に閉じ込められてしまった。運悪くその夜、用務員室から火事が出た。火は女の子がいたトイレに燃え広がり、その子はそのまま死んでしまった。もっとこのその事件自体、実際にあったものなのかどうかはっきりしない。
噂というものは、同じ形式のものが時代を置いて繰り返される性質があるようだ。
電気や電線がまだ珍しかったころ、コレラは電線を伝って感染するといデマが流れた。これは新型コロナが5Gで感染するとという現在のデマに通じる。
こうした流言飛語の中には、偶然で片づけていいのだろうか、と思いたくなるものもある。
たとえば「くだん」という、頭が牛で身体が動物の妖怪がいる。くだんは生まれるとひとつだけ予言をして、予言をすると死んでしまう。その予言はけっして外れることがないという。
第二次世界大戦の末期、「どこそこにくだんが出て、次のお盆には戦争が終わるから赤飯を炊いて待つようにと予言した」という噂が流れた。もちろんデマのはずなのだが、その予言の通りに戦争は終わってしまった。

比較的最近のもので、“100キロばばあ”という都市伝説がある。車の脇を猛スピードで追い越してゆく、おばあさんの妖怪である。わかりやすい。
その一方で、“40キロおじさん”という、かなりマイナーな、都市伝説のような、噂のようなものがある。どんな道でも40キロまでしか出さないおじさんだ。旧式の軽自動車に乗っていて、丸顔で、丸い眼鏡をかけている。
この40キロおじさんの正体は、実はわたしの叔父である。苦労人なのにのんきで優しく、40キロかどうかはともかく、絶対安全運転の人だった。ついでに書くと、このおじさんの車に乗せてもらうときは出発が30分は遅れることを覚悟しなければならなかった。「あれを忘れた」「これが気になる」と何度も家に戻ってしまうからだ。今思えば極度の心配性だったのだろう。だから自分にとっては40キロおじさんというよりは30分おじさんだった。

ところで自分は数年以内に田舎に戻ることになっている。
車にはねられて大けがをした経験があるので、運転はできれば一生したくない。しかし、田舎で車に乗れないのはやはり不便だ。舗装された平地なら片道3キロくらい平気で歩くが、買い物荷物を担いで坂道を3キロ、というのはきつい。電動のスクーターくらいはあったほうがいいかもしれない。
一度被害者になった人間としては、せめて加害者にはなりたくない。でも、どんなに注意をしても、小さな子供がうっかり陰から飛び出すかもしれない。その場合は相手の方が悪いのだが、どちらに過失があるか、という問題ではない。あの恐怖や痛み、苦しみを誰にも味わわせたくないのだ。
だからスクーターに乗る場合、安全運転は絶対である。任意保険にももちろん入る。運転する日は前日からお酒は飲まない。
他にできることはないだろうか。「はーいスクーターが通りますよー、危ないですよー、避けてくださーい」などど大声で叫びながら運転すればよいのだろうか。これはこれでかなり変な人である。悩む。
もし5年後、10年後に「大声ばばあ」といった都市伝説が生まれていたら、その元ネタは自分である可能性が高い。

オカルト、都市伝説等について書かれた本で印象に残ったものをいくつか



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うわさの遠近法 (講談社学術文庫) / 松山 巌 【中古】


くだんといえば
【くだんのはは】
小松左京
ハルキ文庫
がおすすめです









最終更新日  2020.10.12 20:10:04
2020.10.07
カテゴリ:ふしぎ
今、自分は辺鄙な地方都市の小さな部屋に住んでいる。
マンションとかアパートとかハイツとか、賃貸の呼び方はいろいろある。マンションというと高級そうだが、三階建て以上の賃貸はマンションだ、という文章をどこかで読んだ。それでいくとこの部屋はマンションなのだが、特に家賃が高いわけではない。
家賃は高くはないが、つくりはしっかりしている。地震が来てもびっくりするくらい揺れないのだ。ただ、台風の時は船にでも乗っているんじゃないかというくらいに揺れる。どんな構造なのかちょっと気になる。
つくりはしっかりしているが、築年数はかなり古い。かなり古い建物なのに、内装はおしゃれである。多分、この部屋に来た人の10人中8人は「すてき、ホテルみたい」と言うんじゃないだろうか。しかし、この部屋を今まで訪れたのはたった2人だけだ。自分は友達が少ないからだ。
そんな、いいのか悪いのかわからない部屋だが、個人的にはけっこう気に入っている。気に入っているのでだらだら長く住んでいる。立地がいいのか悪いのかは分らないが、辺鄙な地方でも都市なので、買い物には便利である。来年か再来年あたり実家に戻らなければいけないで、それまではこの部屋での暮らしを満喫するつもりである。

しかし、この部屋には謎がある。
たまにねじが落ちているのだ。
更にもっとたまにだが、小さな金属の粒が落ちているのだ。
金属の粒については実は解決した。自分が使っていたソフトダンベルが擦り切れて、その中身が少しずつこぼれていたのだった。しかし、ねじの出所はいまだに謎である。
過去、3本のねじをこの部屋で拾っている。1本は今も使っている椅子の下、もう1本は本棚の上、もう一本は玄関のたたきである。椅子の下で見つけたものは、椅子のねじが取れたのではないかと確認したが、どのねじもしっかりはまっていた。本棚の上には天井があるだけだ。玄関のものは外から入り込んだのだろうか。それにしては不自然だ。
そして実は今朝の話になるのだが、新しいねじが見つかった。自分の寝ていたベッドの足元からである。ベッドの下ならば、ベッドのねじが緩んで外れた可能性もあるのだが、マットレスの上で見つかるというのは‥‥。

最近、このねじは自分の身体から外れたもので、自分は実はロボットなんじゃないかとくだらない空想をすることがある。体調が悪いも眠いのもきっとねじが足りないからだ。






最終更新日  2020.10.07 20:00:07
2020.09.23
テーマ:占い(306)
カテゴリ:ふしぎ
占いが結構好きだ。
オカルトは好きだけど信じていないとか、あんなものは疑似科学だとか書いているくせに、占いのカードを10セットは持っている。ホロスコープを読むのも楽しい。ついでだが、幸運を呼ぶなんとかアクセサリーも持っている。
でもやっぱり、心底信じている、というわけではない。占いは自分と向き合うツールとして使う。アクセサリーは気合入れてある。

占いって古今東西、もうあらゆるタイプのものがある。カードをめくるとか、亀の甲羅を焼くとか、石を投げるとか拾うとか、星の位置を見るとかおかゆをカビさせるとか、誕生日からなんだか複雑な計算をするとか夢を見るとか。
そして歴史が古かったり、ちょっとなじみのない国のものだったりすると、“なんだか神秘的であたりそう”となる。女性誌の記事などでは、「これは古代、国政を左右するほどの力を持った占いで」といった説明のあと、「ではあなたの今年の恋愛運を見てみましょう」とある。国政から恋愛。ずいぶんと気楽になったもんである。
もっともこのあたりの矮小化というか日常化は、古代ギリシャだかローマでは既に一般的になっていた。最近疑問に思っているのは、結果の読み方の、時代や文化の違いについてである。
たとえば自分のことなのだけれど、ある東洋の伝統的な占いでは、あまり運がよろしくない。ひらたく書くと、なんだかすごい才能を持っているらしいのである。なんだその才能って。そして、うっかり勉強なんぞをさせるとその才能が花開き、開きすぎてヘンな人になってしまうらしいのだ。そんな変な人になってしまっては不幸だ。特に女の場合は学なんかつけずにとっとと結婚でもさせなさい、それが本人の幸せのためですよ。そんな微妙な運なのである。
これをそのまま今、たとえば親戚の女の子やその親御さんに言ったら立派なセクハラである。周りからは「なんだ、この前時代的なヘンなやつは‥‥」と白い目で見られるであろう。しかし、伝統的な結果だとそうなってしまう。
さあ困った。就学前からたくさんの本を買い与え、夏休みのたびに国内を旅行し、模型を使って日食や月食の仕組みを解説してくれた亡父の子育ては失敗だったのだろうか。
才能はともかく、たしかに自分はヘンな人間である。本とワープロソフトとフランス語の辞書とkindleを取り上げられたら生きる望みを失う。どんなイケメソと結婚したって無駄である。死にはしないだろうが、ふて寝して死を待つだけになりそうだ。不幸である。いや、こんな人間に育ったことが不幸なのか。
気になってその占いについてネットで調べると、あるサイトがヒットした。自分と同じ星を持った成功者の名前がたくさん並べられている。その中の何人かは、自分も知っている人だった。たしかにみなさん才能に溢れているが、ヘンというか、ややエキセントリックな印象がある。だけど、その才能を封じて、平凡な人生を歩んだ方が幸せだったろう、とはやっぱり思えない。今の時代、この日本という国に生まれたらこそ言えることなのだろうけど。

占いの読み方も、時代や文化圏によって変わってくる。それに対応するのがプロの仕事なんだろうなあと思う。じっさい、上に挙げたサイトではそう解説されていて、正直ちょっとほっとした。
ちなみに家族の話では「結婚しようがしまいが大学に行こうが行くまいが、そんなことでお前のヘンさはどうにもならない。お前はとにかくヘン」とのことでした。そうですか‥‥。




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最終更新日  2020.09.23 20:00:07
2020.09.19
カテゴリ:ふしぎ
引き寄せの法則ってあるじゃないですか。

冒頭から変な口調になってしまった。なんだそれ、という方も多いだろう。念のために説明すると、“世界は自分の内面の反映である”という考え方である。
これについて書いてしまうとものすごく長くなってしまう。日本では特に勝手な解釈が横行していて、本来の引き寄せとは真逆の主張も多い。なので余計に説明するのが難しくなってしまうのだ。この法則を信じている人はけっこういて、紙に書いたり言葉を唱えたり、あれやらこれやらに感謝をしたりして自分の人生を成功に導こうとしている。
正直に白状すると、自分もそうしたものに興味を持った時期があった。もっとも、色々読んでいるうちにすぐに「なんか変だ」と気づいてしまった。
元々そうした法則を提唱した人の、ごく一部の発言を切り取ってまったく逆のことを書いたり、疑似科学的な言葉を使って科学的に証明されていると言い張る人が少なくないのだ。それで馬鹿馬鹿しくなって読むのをやめてしまった。今も新月の願いなんぞを書いているのはその名残である。

だけど、更に正直に白状すると、「変な偶然だなあ、引き寄せみたいだ」と思うことがけっこうある。
今日もそうしたことがあった。
わたしは最近体力の低下に悩んでいる。なんとなくやる気が出ない、なんとなくぼんやりしている。なんとなく目眩がする、なんとなくだるい。そんな感じだ。
秋のせいだろうか。ストレスだろうか。それともスタミナ切れだろうか。
そういえば最近卵を食べていない。自分はコレステロールがちょっと高めなので、毎日食べていた卵を週2回にしたのである。あれがよくなかったのかもしれない。せめて3回にしよう。たまごは優秀なタンパク源なのである。わたしの身体には卵が必要なのだ。
などということを友人とメッセンジャーで話し、そのすぐあと、お昼を買うためにコンビニに入った。いつもと同じ野菜サンドを買おうと棚に行くと、時間帯のせいか休みのせいか、いつものサンドイッチはなかった。
代わりに
たまごとツナ
二種類のたまご
たまごとチーズ
たまごとハーブ
そして
プリン
のサンドイッチ(とハンバーガー)
が並んでいた。はっきりと事実を書くが、それ以外のサンドイッチはなかった。いや、ホットドッグがひとつあったがそれだけである。
そうですね、たまごを食べましょう。
わたしはたまごのバーガーとソーダ水を買って家に戻った。

こういうことがあるから、引き寄せの法則って今もなんとなく気になっている。
(以前全くおなじパターンで、けっこういいうどんと大量のじゃがいもを引き寄せたのことがある)




ニューソート その系譜と現代的意義 [ マーチン・A・ラーソン ]

引き寄せ方は書いていありませんが、引き寄せを生み出した思想の成り立ちがわかる本です。






最終更新日  2020.09.19 20:00:05
2020.09.10
カテゴリ:ふしぎ
オカルトとかスピリチュアルは、基本的に信じていない。信じていないがけっこう好きだ。好きと信じるは違うのである。あくまで遊びとして、冗談として、あるいは人の願望や不安の表れとして好きなのだ。
しかし、この辺りを理解してくれる人間は少ない。なので普段はオカルトが好きだとか、スピリチュアルに興味があるとは言わないようにしている。

信じていないくせに、新月の願いというものをずっとやっている。始めて10年くらいになると思う。専用のノートを作ればよかったのだが、手帳や日記に書いていたので古いものは残っていない。
新月の願いというのは、新月になって48時間以内にノートに願いを書くと叶う、というものだ。理由はよくわからない。わからないからみんな好き勝手に自説を披露している。科学的根拠はない。あったとしてもガゼである。まあおまじないみたいなものだ。
誰にも見せないものだから、書きたい放題である。そして大抵は叶わない。当たり前だ。そんなことで願いが叶えば苦労はしない。
しかし、その中にひとつ、叶っていたな、というのがあった。視力についての願いだ。
自分は子供のころから眼が悪い。近視も乱視も酷く、三日月どころか満月すらひとつに見えたことがなかった。だからその新月の願いのときに、ほぼ毎月「視力1.5」とか「1,2」と書いておいた。所謂ダメ元というやつである。それが叶ってしまった。今の自分は裸眼で0.7、眼鏡をつけてちょうど願いに書いたくらいなのだ。その経緯については前日と前々日の記事で書いた。ひらたくいえば、若年性白内障の手術を受けたのである。
これを叶ったといえるのか。個人的には偶然だと思う。まあ不可解なことはある。実は子供のころから白内障を持っていた、という点だ。スピリチュアルどっぷりの人間なら、なにがしかの力が時空を超えて作用し、あなたの願いをかなえるために白内障をもつ世界にあなたを移動させたのだ、とでも言うだろう。そうかもしれないが、証明はできない。だから自分としては、ありがたい偶然だろうということにしている。
しかし先週、また別の願いが叶っていたことに気づいた。願ったこと自体忘れていたが、2か月前に叶っていたのだ。
実はその願いを叶えるには、けっこう遠くまで旅行する必要があった。だからコロナ終息までは無理だな、と諦めていたのだった。
それから更に、別の願いも叶うことになった。先日、「そういう方向で話を運びますが、よろしいですね」と言われた。「いろいろ迷いはありますが、よろしいでしょう」と答えた。けっこう大きな願いで、叶うと生活が大きく変わってしまうため、手放しには喜べないのだ。しかし、これもまた何年も新月の願いに書いてきたことだ。偶然にしても、謎の力が働いたにしても、「やっぱりやめた」というのは勿体ない。

よく、こうした願いはひとつが叶うと次々に叶いだすと言われている。自分にもその波が来たのだろうか。わからないし、あまり欲をかくのもよくない。浮かれてあらゆるものに感謝しはじめるというのも変な感じだ。なのでを淡々と願いを書きながら、今も淡々と暮らしている。
最終的には大金持ちになって、図書室つきの豪邸に住んで、大型の猫を飼って暮らしたい。






最終更新日  2020.09.10 20:00:08
2020.07.19
テーマ:お守り(3)
カテゴリ:ふしぎ
子供のころから占いだとか、おまじないが好きだった。雑誌の付録や安物のお守りを集めて、誕生日にもらった木のボックスにしまっていた。手に入れるだけで使わなかったのである。我ながら不思議だ。

使わなかった理由はいくつかある。買う前、たとえば写真やお店では、いかにも神秘的で“効きそう”に思えても、自分の部屋で包みから出してみるとなんだか安っぽく見える。それでがっかりして、そのまましまい込んでしまうのだ。
でも、もっと大きな理由は「まだその時じゃない」というものだった。
だったらいつがその時なのだ、せっかく魔法のお守りを手に入れたのなら、とっとと身に着けて幸せになってしまえ、と今は思うのだが、当時の自分にとって、お守りをいつ身に着けるか、というのは結構大変な問題だった。
まだ子どもだったわたしは、高くてもせいぜい1500円くらいのめっきとビーズのペンダントに魔法の力が宿っていると本気で信じていて、その魔法を使うには、よくよくの理由がなければいけない、と大真面目に考えていた。こういうものは、いってみれば冒険ファンタジーの伝説の剣みたいなものだから、人生でほんとうに困ったときまでとっておくべきなのだ。そして、その時というのは、両親が揃っていて住む家があり、食べるものに困らず、居心地が悪くても学校にはどうにか通えている“今”でないのはたしかだった。
だけど、そのときはぜったいに来るはずだった。わたしは小さいころから世界というものを恐ろしい場所だ、と感じていた。いつかそれに立ち向かわなければならないときが来る、そのためには特別の武器が必要だ。それがその、安物のお守りだったのだと思う。
お守りと、もうひとつ自分が“特別の武器”にしていたのが占いのカードだった。でも、それが当たったことはほとんどない。多分自分が下手なだけなのけれど、なんとなく誤魔化されたような、曖昧な答えばかりが出てしまう。ふーん、そうすか、それで? というかんじだ。
その後、大きな病気をしたり、怪我や手術をしたときも、占いやらお守りやらには頼らなかった。病気の時はずっと本を読んでいた。怪我の時は病院のベッドで狂ったようにipodで音楽を聴いていた。手術のあと、リハビリ中は毎日自販機で『ヨービック』を、売店で『堅あげポテト』とアーモンド入りのチョコを買っていた。自分を支えてくれたのはけっこう俗なものだった。

それでも神秘学とか、象徴を読み取ることは今も好きで、夢を見ると日記をつけて分析したり、悩みがあるとホロスコープを読んだり、カードを切ってみたりする。それで解決策が出るわけではない。ただ、この人生でやってゆくしかないなあ、という覚悟のようなものが決まるのだ。

先日、ネット書店で久しぶりにオラクルカードを買った。


Gateway Oracle Cards

​今引くと『Taking Action』というカードが出た。先延ばしにしていたことをやりなさい、とのことだ。なかなかはっきりしたメッセージである。(ちょっと心当たりもあった)








最終更新日  2020.07.19 20:00:07

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