カテゴリ:カテゴリ未分類
小田急多摩線開業40年 (7) 沿線の昔と今 (その6) 最後は新百合ヶ丘です。
(12) 開通の日、新百合ヶ丘駅から北西側を望む (1974年)。水田と山林が広がる風景でした。県道世田谷町田線から仮設の道路が敷かれていました。
40年後 (2014年)。都市化しています。新百合ヶ丘は丘陵を切り開いて計画的に建設された街なので、駅周辺には大型ビルが林立しています。
(12) の撮影地点。
バスターミナルの周囲に大型ビルが建つ新百合ヶ丘駅南側 (2014年)。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは。以前の記事に恐縮ですが書き込ませていただきます。懐かしさに駆られて。。。 新百合ヶ丘開通当初の駅から世田谷通り方向、こんな感じでした。どこかに写真がないかなぁ、と探していました。私が小学校低学年のころ、多摩線開通し、新ゆり付近は自転車で鶴川の実家からは小旅行かねた格好の遊び場でした。おおらかな時代のこと、白状しますが、トイレ借りる振りして駅員さんに断って、多摩線ホームに入り込んで、確か15分ヘッド(日中30分でしたか?)で、1700系、1900系、2100系が4000系の中間車増備直前のために廃車になる直前の行き来を眺めたりしました。いまや一大ターミナルの新百合ヶ丘ですが、40年前は何でこんな駅を作るのか、不思議な思いでした。 懐かしい写真を見せていただき、ありがとうございました。
(2016.04.30 18:00:11)
コメントありがとうございます。
多摩線開通の時に撮影に行ったのは20歳の時でした。未開の地もやがて変貌する…実は家に小田急線が開通した3年後の1930年、世田谷の家から撮った写真があります。それは見渡す限りの田園風景。初めはどこの田舎の写真だろうと思いましたが、今住んでいる所の写真だとわかり、びっくり。多摩線沿線も同じように変貌するに違いないと、開通直後の風景を撮りました。 (2016.05.04 08:28:50) |
|