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わが街小田急沿線

2017.04.02
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カテゴリ:鉄道
小田急線開通90年(2)
 小田急線の歴史2
 History 2 of Odakyu Line

東急から独立
 第二次世界大戦は1945年に終わりました。そして、戦争が終わった頃から、“大東急”という巨大になりすぎて硬直化した組織の中で、旧小田急電鉄の社員を中心に以前の路線への分離独立の気運が高まってきました。特に旧小田急電鉄の社員には「縄張り意識」があり、小田急沿線の住民の子弟達が小田急電鉄の社員になり、小田急沿線の住民が乗客の少なさを我が身のことのように心配していた「おらが電車」という意識がありました。そのため、小田急という個性発現のためにも独立を希求したのでしょう。そして、1948年に小田原線、江ノ島線は東京急行電鉄から独立しました。この他、京浜急行線、京王線も独立しましたが、合併前に小田急電鉄の路線であった旧帝都電鉄線(井の頭線)は電力部門を持たない京王線の採算性を考慮して京王帝都電鉄の路線となりました。
 小田急電鉄の東急からの独立なくしてその後の個性的な特急ロマンスカーの登場はなかったでしょう。

戦後の復興
 第二次世界大戦で東京の中心部は焦土と化しました。幸いなことに人家のまばらな世田谷あたりから郊外にかけては被害がなく、このことがのちの小田急の隆盛につながっていくことになりました。日本の復興が始まり、アメリカの進駐軍が上陸し、小田急沿線には厚木基地、座間キャンプといったアメリカ軍の施設ができ、アメリカ人が多く住むようになりました。
 一方、戦争で被害を受けた都心から郊外へ引っ越す人が増えていきました。小田急沿線では田畑の広がる平坦な世田谷を中心に住む人が増え、それに伴って小田急線の利用客が増えていきました。小田急線の新宿駅の1日の乗降客数は1942年に6.5万人であったのが、終戦から10年後の1955年には13万人と倍増しました。
 また、当時の車輌の色は「あずき色」が一般的でしたが、小田急電鉄は青と黄色の2色を配した斬新な色の特急車輌を設計し、1949年に登場させました。その車輌が颯爽と走る姿は沿線の人々に新しい時代の到来を感じさせたことでしょう。

  
        1952年に登場した元特急車輌の1700形
   1700 type of former limited express which came up in 1952
(3扉化され各駅停車として使用されていた1970年撮影(経堂東車輌基地))

高度成長とともに
 わが国の高度成長が始まった1960年前後から小田急も新たな躍進の時期に入りました。1949年から導入した青と黄色の特急車輌に続き、1957年にはグレーとオレンジ色の配色の間に白のラインを入れ、先頭車輌の形状を航空機のごとく流線形とした画期的な特急ロマンスカーを導入しました。その車輌は走行時に「ド・ミ・ソ・ド」「ド・ソ・ミ・ド」(ソは下のオクターブ)と音階の付いた警笛を鳴らしながら走り、沿線の子供たちに爆発的人気を博しました。

      
        1957年に登場した特急ロマンスカー旧3000形
     The limited express pair-seat car which came up in 1957
                     (1966年撮影(小田原))

 1955年頃からは沿線の世田谷区、川崎市、町田市などに大型団地が次々と建設されるなど、住宅が多く建設され、1955年に13万人であった新宿駅の1日の乗降客数はその後毎年1割ずつ増加して1959年には19万人に達しました。乗降客数はその後もの増え続けると見込まれたため、1960年に新宿駅の大改良工事が始まりました。これは地上4線であったものを地上3線、地下2線とし、地上線を特急、急行が、地下線を各駅停車が発着するようにしたものです。この工事は1964年に完成し、これにより急行が6輌編成から8輌編成に、各駅停車が4輌編成から6輌編成になり、乗客数の増加に対応できるものになりました。

経営の多角化
 沿線の人口が増えれば商業施設の充実が求められます。小田急では1960年に新宿駅西口における百貨店開業を計画し、1962年に駅前の道路を隔てた場所に小田急百貨店を開店しました。その後新宿駅と一体化したビルを建設して1967年に小田急百貨店を移転し、駅と直結した百貨店となりました。その後、町田、藤沢にも小田急百貨店を開店しました。

  
   小田急百貨店新宿店 Odakyu Department Store Shinjuku store
                           (1967年撮影)

 また、1963年頃から、当時としては新しいストアの形式のスーパーマーケット「OXストア」を沿線の駅に次々と開店させました。1970年頃から経堂と相武台前に車庫跡地を利用してショッピングセンターと医療機関、住宅を一体化した駅直近の複合ビルを建設し、住民の利便の向上に努めました。

  
          経堂駅北口のショッピングセンター
   Shopping center of the Kyodo Station north side(1973年撮影)

 さらに、小田急線の鉄道としての役割を補完するものとして小田急バス、小田急交通(タクシー業)が設立され、駅と周辺地域の間の輸送を担いました。

  
         赤地に3本の白線が印象的な小田急バス
   Vehicle of Odakyubus that three thin white lines are impressive
                            (1991年撮影)

    
       初代ロマンスカーの塗色を踏襲する小田急タクシー
     Vehicle of Odakyutaxi following a coat color of the first
     pair-seat car
                         (2017年撮影)

                              (つづく)







最終更新日  2021.01.17 10:08:37
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