|
カテゴリ:カテゴリ未分類
1903年(明治36年)5月22日、日光・華厳の滝において、エリート学生・藤村操(ふじむら・みさお)が投身自殺しました。
藤村操は1886年(明治19年)、北海道で藤村胖(ふじむら・ゆたか)の長男として生まれました。 自殺する直前、近くの木に『巌頭之感(がんとうのかん)』という遺書を書き残しました。 彼の祖父、父、兄弟らは当時の上流階級、エリート層でした。 厭世観によるエリート学生の死は『立身出世』を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与えました。 そして、彼の後を追う者が続出しました。 彼の死後4年間では、185名が同所で自殺を図りました。 多くの者が警戒中の警察官に保護され未遂に終わりました。 しかし、40名が目的を達しています。 いまだに華厳の滝は『自殺の名所』として知られています。 それは、藤村操の死ゆえです。 遺書を記したミズナラの木は、警察により伐採されたといわれています。 『聖地』になることを恐れたのでしょう。 しかし、それを撮影した写真が現存しています。 現在でも華厳の滝では『お土産』として、その写真の複製が販売されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|