「アユタヤに・・」

アユタヤへタクシーで行く

大学卒業後入社した旅行会社を半年でやめたのは、旅行作家になりたかったからだ。会社をやめてからツテをたよって、旅行雑誌の記事を書くライターさんのアシスタントをしながら、いつか、自分も原稿を書いてみたいと思っていた。そんな私をある旅行ガイドブックの出版社が使ってくれることになった。といっても、出版社から直接請け負った仕事ではなく、下請けの編集プロダクションのそのまた下請けだから、いわゆる孫受けだ。原稿料のことなどは一切気にせず、ふたつ返事で了解した。仕事は海外取材を一ヶ月ほどやって、一冊のガイドブックを作ることだった。行き先はタイのバンコクである。25歳の春のことだ。
初の海外取材である。失敗ばかりしていた。不安と緊張、そして、乾季の猛暑にさいなまされた一ヶ月だった。行きの空港ではパスポートを置き忘れ、空港内放送で呼び出された。悪名名高いパッポンのGOGOバーでは、ボラれ、仕事道具のカメラをとられそうになる。眩暈がする猛暑の中の連日のバンコク市内の取材中には財布を落とす。そして挙句の果てに、帰りの飛行機には乗り遅れ、自腹で航空券を買わざるを得なかったから、一ヶ月分のギャラはちょうどすべて吹っ飛んだ。
そんな取材日程の後半の1日だけ、バンコクを脱出して、アユタヤへの取材を予定していた。喧騒と猛暑とスモッグで充満した3月終わりのバンコクを一日だけでも抜け出せるのは、くたびれきった心身にはもってこいの栄養剤となるように思えた。
 その日、朝5時ごろ、ホテルの前で、昨日予約していたタクシーを待っていた。今日も暑くなりそうだった。予定時間を20分過ぎた頃、タクシーがやってきた。今日一日、アユタヤまでの往復とアユタヤ市内の取材の足にと、奮発してチャーターしたタクシーだった。取材費が底をつきそうだったが、効率を考えるとこの手がベストだった。タクシーの運転手はこざっぱりとした開襟の白いシャツに黒いサングラスをかけて、にっこり微笑んだ。英語が話せるというのが条件だった。大柄で40代の運転手は「ロイ」と名乗った。サングラスの下のすわりのいい鍵鼻が沖縄のシーサーのようだった。こちらでよく見る顔だった。タイの多くのタクシーやオート三輪(サムロー)の運転手同様、ロイも家族思いだった。子供のもとに話にむけると、眼を輝かせて話した。
タクシーは冷房が効いていて快適だった。「東京から来たのならこの国は、毎日暑く感じるだろう。一時間かかるから、ゆっくり寝ていてくれ」とロイは穏やかな口調で言う。僕も横にならせてもらった。バンコク市内のこれまでの取材では、ほとんどオート3輪にしか乗らなかった。排気ガスや騒音、暑さは当たり前だったから、このロイのタクシーはすばらしく快適だった。合成樹皮のシートがひんやりして気持ちよく、窓が閉まっているから、騒音も聞こえない。おまけに、ロイは私が横になるのを確認すると今までつけていたラジオのボリュームをぐんと弱めてくれた。心地よい揺れを感じながら、だんだん意識が薄れていった。助手席に飾られた黄色い花を編んだお守りがゆっくり揺れている。国王の写真が飾られていた。「微笑みの国、タイ」と聞いていたが、この取材中、一度もそんな安穏とした感じは味わえなかった。カーヒーターが心地良い唸りをあげて、車内を冷やしている。
アユタヤには朝6時過ぎについた。ロイは王宮前に駐車した。車を出ると、小鳥のさえずりが聴こえた。周囲は森になっている。深々と息を吸い込んだ。空気がしみじみ美味い。誰もいないと思ったが、駐車場の一角で、子供たちが一本の木を見上げていた。どの子も色白で髪が黒い。日本の田舎の子供たちに風貌がそっくりだ。木の上に何かいるらしい。近づいてみると、一匹の猿が黄色い花びらの向こうに顔を出した。目のまわりが黄色く、尾は赤茶色で細長い、短髪の南国の猿だった。子供たちと並んで見上げた。花の放ついい香りが早朝の緑多い古都の王宮に漂っていた。ロイが背後にやってきた。私にタバコを勧めて、自分でも一本くわえた。「ここの周囲は有名な遺跡が数多い。徒歩で回れる。朝のうちは撮影にいい条件がそろっているだろう。いっぱいいい写真を撮って、いい本を作ってくれ」ロイが分厚い掌で僕の肩をドンと叩く。人なつっこい笑顔だ。よし、がんばるぞ、今日の取材が終われば、この長期取材の峠は越したも同然だ。
王宮を取材して、ビルマ軍の建てた尖塔、涅槃仏など有名な遺跡も次々に取材し、カメラに収めた。アユタヤは川に四方を囲まれた巨大な中洲の島で、あちこちに遺跡が散らばっていた。とても珍しい木の幹に埋め込まれた大仏の顔の写真もとった。これは、ビルマ軍がこの地を侵略した時のこと、仏像や寺院を破壊しつくした際に、仏像の頭をすべて胴体から切り離したことが発端だった。偶然にも地下に放置された仏頭を一本の木が吸い上げ、成長するにしたがって、仏頭も持ち上げたと言い伝えられている。ファインダーから覗いた仏像は観念しつつも安寧の時を楽しんでいるような表情だった。
 急ぎ足で、小一時間ほどで第一の取材エリアをすべて回り終えた。今日も暑い一日になりそうだった。王宮前の駐車場に帰ってくるとロイが運転席をグラインドさせて眠っていた。近つくと彼は目を開け、驚いたような顔をした。
「随分早かったな、すべて撮ったのか?」
「そうだ。一日でアユタヤの見所をすべて撮影しなきゃならないので、大変なんだ。次は北の草原のほうへ行ってくれ」
ロイはノロノロとした動作で車のエンジンをかけた。
「後どのくらいまわるんだ?」とロイに聞かれて、私は地図を見せながら、取材ルートを説明した。ロイの顔つきがだんだんと険しくなってきた。
「これはつらい仕事だ。こんなに取材しなくても、いいだろう」
ロイが意見した。ガイドブックの仕事は取材件数が多い。今回のアユタヤでも20ほどの撮影候補地があった。
「それは、無理だ。忙しすぎる」
ロイが厳しい口調で言い放った。さきほど、私を送り出すさいに見せた満面の笑みとの落差が大きいのに驚いた。「大体、なんだ、こんなに取材をするなら3日間だ。一日でまわるのは気違い沙汰だ」ロイがたまりかねたように大声で叫んだ。車内の雰囲気は重くなった。ロイとの友好関係に大きな亀裂が走った。
その後、ロイをなだめすかしつつ、予定通りに撮影を進めて行った。自分で覚悟はしていたが、バンコク市内の駆け足取材に匹敵するタフな行程だった。ロイはそれから一度もしゃべらない。朝の陽気さが嘘のようだった。ロイとの気まずい雰囲気から逃れるように車窓を眺めた。また、仏頂顔のロイを見るのが嫌なので、徒歩で行ける遺跡は多少無理して歩いて回った。水牛が水浴びをしている牧歌的な田園風景が広がっている。トラックの荷台に乗った、よく日焼けした裸の男の子が手を振っている。
 最後の撮影は、島の北端に切先を天空に伸ばした尖塔だった。その尖塔は、この町を破壊しつくしたビルマ軍が勝利のシンボルとして、今まであったどの塔よりも高く建立したしろものだと聞いていた。尖塔は遠目では他の尖塔とは明らかに様式が異なり、なにか好戦的で色も黒々としていた。神を挑発しているかのような獰猛ささえ感じた。運動靴の紐を縛りなおして、足元に注意しながら急勾配の階段を上り始めた。誰かの視線を背後で感じたので、見下ろすと、木蔭におばあさんが一人佇んでいて、私と目が会うと、目を細めてにっこり会釈をした。上を目指して更に上ると突端のあたりからクスクス笑いが聞こえてきた。昇りきって中を覗くと、村の子供たちが3人、ほっこり隠れていて、クスクス笑いながら小石で地面に絵を書いて遊んでいた。彼らの秘密基地なのだろう。「サワディー、クラッ」と挨拶をする。一番年上の男の子が妹らしき娘の頭を腕で引き寄せ、恥ずかしそうに「サワディー、クラッ」と蚊の鳴くような小声で挨拶を返した。子供たちに背を向け、腰をおろし、タバコに火をつけて、大きく紫煙を吸い込んだ。ややもすると子供たちも遊び終えたのか、私の隣に並んで腰をおろした。私たち4人は腰を下ろし、夕暮れの眺望を眺めた。川が表面をキラキラさせながらゆったり流れていた。ふと下を見下ろすとさっきのおばあさんが、手招きをしていた。子供たちは歓声をあげながら年かさのお兄ちゃんから順に驚くべき早さで塔を駆け下りていった。女の子が履いていたサンダルが片方脱げて、転げ落ちて行った。先を走っていた2番目のお兄ちゃんが上手に受け止めて、誇らしげにサンダルを天にかざした。おばあさんが立ち上がって何か叫んだ。それからは3人は女の子の速度にあわせて、ゆっくりゆっくり降りていった。燃えるような夕陽が国道の向こう、草原が作った地平線にかかった。子供たちに先導されて、おばあさんが私に会釈をして森の小道に入っていった。4人の後ろ姿はやがて見えなくなった。
駐車場に帰ると、ロイは木蔭にしゃがんでいた。私を見ると、サングラスをかけて立ち上がり、尻のほこりをパンパンと払い、運転席のドアを開き、無言で車に乗りこんだ。
 30分ほど走ると、車は渋滞に巻き込まれた。僕は今日一日のハードワークでぐったりシートに身体を埋めていた。いや、疲れたのはロイとの確執からだった。車の外は寿司詰め状態のバンコク行きのバスが見える。乗客の青年が車内に大きな太鼓を持ち込んでそれを狂ったように叩いている。大太鼓の音が振動となって、車の窓を揺らす。ちょうど金曜日の晩なのだ。バンコクに出て一晩中遊ぶ青年たちなのか? 夕方から感じている頭痛が太鼓の振動に共鳴してズキズキしだした。
 途中、トイレにいきたくなって、ロイに車を留めてもらった。トイレでは、気分が悪くなって吐いてしまった。フラフラと、車に戻ると裸足の子供たちがロイを取り囲んでいた。
私が戻ってきたのを見たロイはすぐに車に乗り込んだ。
子供たちが一斉に僕たちに何か言っている。手にしたキャンデーを見せているので、売り子たちなのだろう。
ロイはなかなか車を発車させない。と、彼がくるっと振り向いた。
「おまえは後20ドル余計に払わなくてはならない。ガソリン代がかかりすぎた」
最初の契約とは違った。私とロイは睨みあった。「ガソリン代がかかりすぎだ。ここで払え!」つい2週間ほど前のパッポンの暴力バーの手口を思い出した。あの時は、拒否するとバーテンダーに殴られた。首からぶらざげていたカメラをもぎとられそうになって、もみ合いになり、結局商売道具のカメラを守るために、その時持っていた金をすべて払ったのだった。「アー?」ロイは、どすの利いた声で促すように言葉を発した。
サングラスの下のロイの目が私のカメラを眺めた。あの時の二の舞はごめんだった。カメラをとられては、すべてが水の泡だ。ロイを睨みつけながら財布から紙幣を出して、くれてやった。ロイは無言で、当然のように受け取った。    
敗北感に打ちのめされて、深々と頭を背もたれにのせた。エンジンが入る音が聞こえたが、なぜか一度入ったエンジン音が止んだ。ふと見ると、ロイが車から降りた。道路の反対側の木蔭にみすぼらしいなりをした老人がいた。ロイは道路を横切ってズボンのポケットから何か老人に手渡した。さきほど渡した10ドル紙幣2枚が見えた。突然の施しを受けた老人の小さなしょぼんだ目に光がともった。しわだらけの口がポッカリ開いている。ロイは大またで車に戻ると、エンジンをかけ、アクセルを強く踏み込んだ。私が後ろを振り返るとその老人のまわりに売り子の子供たちが集まっているのが見えた。子供たちと老人の姿は土ぼこりの向こうに遠ざかっていった。
 さっきから頭が痛かったのが本格的になった。熱もでてきたようだった。車もあいかわらずノロノロ運転だ。その後私はぐったりしていたのだが、一つだけ覚えていることがある。それはロイがもう一度車を停めて、どこかに行ったかと思うと、戻ってきて、私の鼻に何かを押し当てた。ロイが何かを言っている。それは、ミントの香りのする赤い小さなプラスチックの瓶だった。その香りを嗅ぐと、やや気分がよくなった。私は薄目を開いた。小瓶のラベルにはミミズがはったようなタイの文字がびっちり記されている。外を見ると、もうすっかり夜だった。ロイが車を発進させる。私は派手なイルミネーションが窓の外を流れるのを見て、バンコク市内に戻ってきたことを悟り、再び目をつぶった。



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