カテゴリ:平和
NHKで政治圧力で元「従軍慰安婦」の証言がカットされましたし、教科書からも従軍慰安婦や南京大虐殺を削るようにとの圧力があります。
で、「従軍慰安婦」の碑を見に行くツアーに行きませんか。 4月5火~6水1泊2日5万円です。5日新大阪8時20分発~6日新大阪着20:36です。千葉県館山市、軍都館山の戦跡と戦争講座(予定)主催:大東革新懇・企画協力JU観光です。 「従軍慰安婦」慰霊碑のある大東と館山カニタ村ー 街おこしで頑張るNPO法人の戦跡案内で千葉房総、夕日海岸ホテルの夕日は絶景です。 (南房総文化財・戦跡保存フォーラム発行のパンフレットより) 「石のさけび」=戦後40年、ひとりの女性の告白より 「深津先生へーー軍隊がいるところには慰安所がありました。看護婦とみまがう特殊看護婦になると将校相手の慰安婦になるのです。兵卒用の慰安婦は1回の関係で50銭、また1円の切符を持って列をつくっています。私たち慰安婦は死の影と共に横たわっていました。私たちは洗う暇もなく、相手をさせられ、死ぬ苦しみ。何度兵隊の首を切ってしまいたいと思ったかしれません。半狂乱でした。 戦争が終わって40年にもなるというのに、戦死した兵隊さんや民間の人のことは各地で弔われるけれど、戦争で引っ張られていった慰安婦に対する声はひとつも聞こえてきません。中国、東南アジア、南洋群島、アリューシャン列島で、性的欲望のため体を提供させられた娘たちは、死ねばジャングルの穴に捨てられ、親元に知らせるすべもない有様です。 途中で足でまといになった女はほっぽり出され、荒野をさまよい凍てつく山野で食もなく、野犬か狼のエサになり、骨はさらされた土になり、粉々に砕けた手足は陣地の表示板になりました。 それを私は見たのです。この目で、女の地獄を・・・。 戦後40年が過ぎても健康を回復できない私ですが、今は幸せです。 ・・・1年ほど前から、祈ってると、かつての同僚の姿がまざまざと浮かぶのです。 どうか鎮魂の塔を建ててください。 それが言えるのは私だけです。 生きていても、そんな恥ずかしい過去を話す人は誰もいないでしょうから・・・」
Last updated
2005年02月01日 18時14分22秒
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