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カテゴリ:戦争反対
この花は、1937年南京大虐殺のあった年、南京郊外の紫金山の麓にあたり一面に咲いていた野の花です。 当時、陸軍衛生材料廠の廠長だった山口誠太郎さんが、このはなに出会いました。自分の犯した過ちをどう償ったらよいのかと悩み苦しんだ末、日本に持ち帰ったこのはなを咲き広めることにしたのです。鎮魂と平和への思いに賛同する人々によって各地に広げられました。今では「ピースフラワー」として、全国で見られるようになりました。 春の野に咲く、薄紫の野の花です。 花だいこん、諸葛采、オオアラセイトウ、むらさきはなな、二月蘭、アユエランと呼ばれています。 この話を合唱朗読構成「紫金草物語」ー不忘歴史・面向未来ーとして全国で歌が広がっています。 千茶庵も北京に行って歌いました。第8章の「どう伝えたら」の独唱をしました。 中国全土に侵略戦争を広げるあの盧溝橋事件の盧溝橋のほとりにある「抗日戦争記念館」の中、館長さんらの前で、献花と献歌をしました。 大阪で幾度も歌ってきました。 去年もらった紫金草が今年も咲きました。 今年は、種をとって、広めたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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紫金草が花大根とは知りませんでした。今まで以上に身近に感じます。
(2005年04月01日 16時19分31秒)
その花を広めることで平和への誓いを強めたいですね
南京大虐殺をはじめとする罪を償えるものとは思えませんが (2005年04月01日 17時11分30秒)
南京大虐殺については、どうしてこんな大量の人数なんだろうと疑問でした。中国側が、無抵抗主義ですぐに捕虜になり、関東軍が食料現地調達主義だたため、捕虜のための食料がなく、後手に縛ってつないで、皆殺しにしたようです。中には、繋いだ状態で揚子江に突き落としたという記録もあります。おびただしい量の遺体の処理については、日本の南京特務機関は新興宗教団体「道院」の社会事業実行団体である紅卍字会に遺体の埋葬をさせました。他のさまざまな団体も遺体の埋葬をしました。これらの記録から東京裁判では、少なくとも20万人以上と示されています。強姦については総大将である松井石根・中支那方面軍司令官が「一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具なり)強姦もありし如く、多少は己(や)むなき実情なり」(12月10日)「南京、杭州付近また奪掠、強姦の声を聞く」(12月26日)と記述するぐらい歯止めが利かなかったようです。匪賊でもやらないような悪逆無道な強姦を日本軍がおおっぴらにやったことが、中国人の抗日意識に火をつけたようです。今でも中国の学校では先生が、「南京大虐殺の人数は?」と生徒に問いかけ、生徒たちに「30万人」と唱和させ、先生が「中国人が生涯忘れてならない事件は?」と問いかけ、生徒が「南京大虐殺」と唱和して答える式の授業が行われています。一方の日本では、南京大虐殺はなかったという人が増えてきています。たぶんその人の親や親戚がそのような非情なことをしたことを闇に葬りたいからでしょう。
紫金草については去年中国に行かれた市会議員さんが歌われたというのをどこかで読みましたが、こんな意味があったとは知りませんでした。 (2005年04月01日 20時22分10秒)
通行人さん
>少なくてもあったと主張する人間がこれまで証拠として提示してきた写真は、全て証拠としては通用しないものである事が明らかになっている-- 証拠写真は極めて少ないが、ないわけではなく、証言が一致することをみてもあったことは明白だ。写真が別のものであると証明した教授でさえ、「なかった。」と結論づけてはいない。 1932年の平頂山事件が明るみに出たことにより、「一般市民を機関銃で皆殺し」したことがあることが証明されている。 (2005年04月02日 07時29分14秒)
通行人さん
南京大虐殺の証人、李秀英さんが最高裁で勝訴しています。 南京大虐殺を生き残った李秀英さんは、戦後この事実の証言をして、二度とこのような被害がないようにと訴えてきました。 この李さんを日本の右翼・松村俊夫さんが「南京虐殺の大疑問」(展転社刊)という著書で「ニセモノ」呼ばわりしました。 怒った李さんが、松村さんと出版社を相手に名誉毀損で訴えました。1999年のことです。 東京地裁(2002年5月10日)東京高裁(2003年4月10日)とも李さんの主張を認め、松村さんらに損害賠償を命じ、2005年1月20日、最高裁は松村さんらの上告を退けて、高裁の判決が確定しました。 その内容は「松村本の記載は名誉毀損に相当する。松村と出版社は李さんに慰謝料120万円、弁護士費用30万円を支払え」というものです。 これで「南京虐殺はなかった」という松村さんや展転社の言い分は通らなかったということになります。 南京虐殺をなかったことにしようという策動は崩されたわけです。 李秀英さんが、彼女の生涯をかけて、南京大虐殺の真実を多くの人に広め、日本が再び侵略の戦争を起こさないようにと生きて来たという名誉を確保できたことは大変喜ばしいことだと思います。 そして、日本の司法機関が、南京大虐殺の事実を認めたという点でも、この判決は大変大きなものということができます。 「南京虐殺はなかった」という右翼が、今、全国で暗躍し、歴史の教科書から、この事実をもみ消そうという策動を進めているときに、日本の裁判所が李秀英さんの被害事実を認定したわけです。 残念ながら、原告の李秀英さんは、この判決の1ヶ月前、ご病気でお亡くなりになってしまいました。 この勝利判決をご本人に伝えることはできませんでした。ご冥福を祈りたいと思います。 (2005年2月25日、日中友好新聞より) (2005年04月04日 12時02分35秒)
> これで「南京虐殺はなかった」という松村さんや展転社の言い分は通らなかったということになります。
> 南京虐殺をなかったことにしようという策動は崩されたわけです。 > (2005年2月25日、日中友好新聞より) ----- この部分の元の記事みつけました。 http://www.suopei.org/saiban/nise/igi.html ほんと、おさがわせです。 (2005年04月15日 20時27分20秒)
初めて立ち寄らせていただきました。いつも御苦労様です。こうして様々な市民レベルでの声を通い合わせることで交流して平和への思いを広げて行くことはとても大事ですね。時にはどれだけの力になるのだろうかと思うこともありますが、きっと流れを変えていくものだと信じたいものです。中国の人々との心の交流を通してそれを実感してきています。
大変な時代の流れになってきていますがあきらめずに。 ウミホタルの事も知っていただけて嬉しいです。大阪のほうでも歌ってもらえたらうれしいです。是非広めてくださいね。9月3日に藤村さんの指揮で初演です。戦争中こんな光まで軍事利用のため研究していたとは驚きでした。お互いにがんばりましょう。 (2005年06月20日 07時14分18秒)
これ、うちの親父(栗原利一)の話。
小平市剣友会元会長、小平市福島県人会元会長の話。 B4判150ページの手書きの戦闘記録を近くCD-Rにして公開する予定です。 http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html (2006年04月16日 23時30分48秒)
核心さん
>これ、うちの親父(栗原利一)の話。 >小平市剣友会元会長、小平市福島県人会元会長の話。 ありがとうございます。 勇気をもって信実を語られる姿を応援します。 (2006年04月18日 17時38分11秒)
畠中秀夫氏が親父(栗原利一)の証言を真逆に曲げた捏造記事のオリジナル原稿のコピーが見つかったので気が乗らないけど捏造部分を指摘しておきました。
この捏造の面白さは共謀共同正犯として防衛庁も絡んでいる点ですね。 http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr ;tree=2658;id=sikousakugo#atop (2006年07月01日 16時26分34秒)
http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/%83X%83P%83b%83%60%92%A0%8E%CA%90%5E.jpg
(2006年07月31日 13時27分40秒)
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
半円形にかこんだ重機関銃 軽機関銃 小銃の列が 川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と 集団からわきおこる断末魔の叫びとで 長江の川岸は叫喚地獄 阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが いまなお忘れえない光景は 逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な「人柱」である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず 次々と倒れる人体を足場に うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り 少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか と田中(栗原)さんは想像する。そんな「人柱」が ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。 (2006年07月31日 13時34分22秒)
この人たちが
http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/%83X%83P%83b%83%60%92%A0%8E%CA%90%5E.jpg (2006年07月31日 19時26分10秒)
核心さん
>この人たちが > > http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/%83X%83P%83b%83%60%92%A0%8E%CA%90%5E.jpg 素晴らしい貴重な写真ありがとうございます。 手書きの文字がわかりづらいのですがなんて書いてあるのでしょうか教えてください。 ----- (2006年08月02日 16時08分05秒)
千茶庵さん
>手書きの文字がわかりづらいのですがなんて書いてあるのでしょうか教えてください。 写真の右下にカーソルを合わせると拡大アイコンが表示されます。 それをクリックすると写真が元の大きさに拡大されます。 それで読めると思います。 「昭和12.12.13日捕虜13,500この敵兵上海戦で徹底抗戦され数万の我が戦友が戦死したのである」 女性や子供がいるのが分かり胸が痛みます。 (2006年08月03日 12時37分14秒)
捏造派が防衛省や旧将校とむすびついている証拠をいつもの掲示板「思考錯誤」に提示してあります。ただ、父(栗原利一)は大虐殺ではなく大量処分だと言っています。
(2007年01月30日 08時55分26秒)
防衛省は昭和59年8月8日に森松俊夫氏と原剛氏が父(栗原利一)から採取した証言と証拠を提示して、大虐殺のあったことを認め、自衛隊員に嘘を教え続けるのは止めなさい。
(2007年01月31日 09時35分30秒)
日本は戦争に負けたんだから仕方ないですよね。
本当は事実とは異なるのですが。 (2007年11月03日 00時33分54秒)
http://www.kuriharariichi.com/sketch/to_0078/0074_b.html
この記事にある「敵の遺棄死体は八、九万捕虜数千に上った」の遺棄死体八、九万はどのようにして出来たか、が南京の核心です。 これを戦後、旧将校連中が「自衛発砲」で殺害した、と歴史を捏造したことで日本人が南京が分からなくなってしまったのです。 (2010年04月23日 14時45分43秒)
核心さん
> http://www.kuriharariichi.com/sketch/to_0078/0074_b.html > >この記事にある「敵の遺棄死体は八、九万捕虜数千に上った」の遺棄死体八、九万はどのようにして出来たか、が南京の核心です。 >これを戦後、旧将校連中が「自衛発砲」で殺害した、と歴史を捏造したことで日本人が南京が分からなくなってしまったのです。 ----- (2010年06月16日 10時29分48秒)
核心さんの核心はこの「南京の核心」から来ているのですね。
貴重な写真も見せていただいてありがとうございます。 (2010年06月16日 10時32分50秒)
5月25日大阪NHKホールで男声合唱団昴と関西紫金草合唱団の10周年記念コンサートを成功させました。その中で紫金草物語の歌を全国(金沢・奈良・広島・東京・茨城・宮城)からの応援も得て全曲演奏しました。私は「どう伝えたら」の兵士のソロを歌わせてもらいました。会場には南京から鎮魂と平和の願いをこめ持ち帰った紫金草の種をまき広めた、故山口誠太郎さんの息子さんの山口裕さんも会場に来られました。
また南京から孫曼さんも来られました。 南京の事実を日本人に正しく理解してもらうことは、アメリカ人に悪魔の兵器、原爆の恐ろしさむごさを正しく理解してもらうことと通じると思います (2010年06月16日 10時41分53秒) |
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