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タイの歴史は13世紀のスコタイ朝に始まり、アユタヤ朝、トンブリ朝、バンコク朝と引き継がれていく。そのアユタヤ朝時代の首都があったところである。日本人には山田長政、日本人町、などの語で馴染みがある。
1767年、アユタヤはビルマ軍により陥落し、アユタヤ朝は滅びた。その間もなく後、アユタヤを逃れた中国系の武将タークシンが軍を率い、ビルマ軍からアユタヤを奪回するのだけれど、町はすでに修復できないまでに破壊しつくされていた。彼は旧都に見切りをつけて南下し、トンブリで一代限りの王朝を築く。続くバンコク朝もトンブリ対岸のバンコクへ移っただけでその地に留まった。以来アユタヤは捨て置かれてきた。 廃墟は近代に入って発掘調査の後整備され、バンコクに次ぐタイの代表的観光地となった。パック旅行には必ず組み込まれるところである。1991年には世界遺産のお墨付きをもらったので、ますます観光客が訪れ、お金を落として行くだろう。喜ばしいことだ。 ところで、アユタヤに現存する建造物は、王宮、寺に関するものばかりである。「ははあ、支配階級は大体こんな感じであったか」と言うのはなんとなくつかめるのだけれど、華やかで壮麗な都を支えた庶民の生活が見えてこないのはいささか残念だ。 当時のアユタヤは完全な階級社会であった。支配者が被支配者のどちらかである。支配される側には一般庶民と奴隷がいた。 庶民は大きな商売を禁止され、農業や手工業を生涯つづけなけらばならなかった。市場で米、野菜を売るくらいのことでは金などたまるはずもない。だからアユタヤには中流がいなかった。この二極構造境界をぼやかしつつもつい最近まで続いてきたように思う。 日本からも船が行き来したように、アユタヤは国際貿易都市として数百年間にわたり名を馳せたけれども、これは庶民を使って只で商品を集めさせ、あるいは安く買い取り、それを外国に高値で売った結果である。支配者階級は庶民が貿易にかかわることを厳重に禁じ、利益を独占した。彼らはさらに力を貯え、庶民との差は開くばかりであった。 アユタヤに暮らす庶民の男はすべて二十歳になると兵にとられた。一度徴兵されると六十歳になるまで隊を抜け出すことは出来ず、自由に住居を移動することもままならなかった。 国が平穏時には戦の代わり、一ヶ月おきに労役につかされた。一ヶ月労役をすれば、一ヶ月は自分が生活していくための仕事をする、と言う具合である。労役は賃金が得られないばかりか、食べ物も与えられない、手弁当の奉公である。この点では、一応、衣食住の保障がある奴隷のほうが庶民よりましであった。 労役の間、食べ物はどうしたかというと、女房殿が届けた。女房を持たないものは母親である。おかあちゃんがお父ちゃんのいない家を支えたのだ。 けれど、たいていの男は、労役が明けて家に帰ってきても、ぶらぶらしていただけのようである。もっぱら官につかわれるのみで、何の能力も持たなかったのだ。手に職を得るにしても、一ヶ月経てばまた労役の戻らなければならず、このことがやる気をなくさせてしまったらしい。 男たちは朝、起こされて飯をかき込んだ後、再び一眠りし、昼頃のこのことこを這い出した。午後からは、引き続きボーとしているのか、さもなければ賭け事に熱中した。その間、妻は田畑を耕し、市場へ物売りに出かけ、懸命に働いた。 モラルは時代によってつくられる。きっと、夫を養うことが女の甲斐性、とでも言われたのだろう。そうやって正当化しなければやっていけなかったに違いない。 女たちは子供や親兄弟、夫まで養わなければならず、苦労した反面、自由であったようである。生活のためにという大義名分の下に、好きなところへ行き、好きなことをして稼ぐことが出来たのだ。この性格は幾分現代にも受け継がれている。 結婚適齢期は女十五、男十八である。若いし、ほかに娯楽はないし、子供がぽんぽん出来たのではないだろうか。 夫は自分を養ってくれる妻には忠実であったそうだけれど、以外にも絶対権力を持っていたのは夫の方である。 その頃の法律では一夫多妻が認められていた。めかけを持つことは庶民の間でも一般的で、夫には正妻意外の女子供を売り飛ばす権利すらあった。戦や強制労働に使われる男は短命で絶対数が少なかったせいかもしれない。 離婚は出来た。女から申し出ることもあったが、決断は男が下した。その際の子供分配方がちょっと面白い。妻は奇数、夫は偶数番目の子供それぞれ引き取るのである。女には人手が必要であったことから、奇数のときは一人余分にもらえた。よく出来ているといえばよく出来ているけれど、たびたびこういう訴えを持ち込まれるお奉行さまが「ええい、面倒だ。女は奇数、男は偶数。これでいいだろう、」と、やけっぱちになって作ったような法のような気もする。 愉快なことに、男たちは二十歳になると、一物に何かを埋め込む習慣があった。厄除け、あるいは超人パワーを得るためではないだろうかと言われている。やっぱりあれは力強さの象徴だから、そういう信仰があってもおかしくない。みなぎる十八のあさときたら・・・・・・。 町には専門家がいて、訪れた男の皮を引っ張り、鋭い刃物で切り目を入れ、一ダースの錫玉を押し込んだ。術後はぶどうのようであったという。 果たしてアユタヤとの繋がりがあるのか、日本では刑務所ではモンモンのお兄さんたち、懲役暮らしの憂さ晴らしに歯ブラシの柄とかを磨いて入れてるらしいけれど、そんなものではない。ぶどうですよ、ぶどう。一ダースのぶどうの粒。 金にいとめをつけないヤツは錫の代わりに、金を加工して中に砂粒を入れた小さな鈴を挿入した。動くたびにちんちんがチンチン鳴ったという。まことに風雅である。イボなしのノーマルはむしろ身分の引くものであったそうだ。 夫が絶対権力を誇ったこととぶどう粒は何か因果関係があるのだろうか。気になるところである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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