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記憶が薄れる間もなく『虐待』という言葉を耳にします。
最悪の場合、『死んでしまう』子どもへの虐待。 親としても人間としても悲しいし辛い思いで一杯です。 虐待はなんで起きるのだろう? 子どもを愛しいと思うことは当たり前? お腹を痛めた子を愛せないのはおかしい? 子どもを叩く親は最低? 愛すること愛されることを頭でなく実体験で感じている人は 虐待をすることは少ないと言われます。 全てにあてはまるわけではないけど 『愛された実感』のない人は 『愛し方がわからない』と思います。 親子間の愛の欠落…ってその親自身の親子間にも 愛の欠落部分があったのかもしれません。 そういう人に、 『子どもを愛しいと思って当たり前』 という考え方は、さらに追いつめてしまうかもしれないです。 自分は親として最低だ。 自分の子どもが可愛いと思えない…。 こう考えた人が子どもを叩いてしまったら… それに追い打ちをかけるように 『自分の子どもが可愛くないのか?!』 と言われたら?自暴自棄になる人もいるかも。 (意識してもしなくても可能性はあると思います) 実際に、虐待をしてしまった人と関わったことがあります。 虐待…したきっかけは 『躾』のつもりで厳しくしていたものが エスカレートした…とのこと。 その人は、自分自身が親に育てられたことがありません。 祖母に育てられ、その祖母はとても厳しい人で 行儀が悪かったりすると容赦なく叩いたそうです。 自分がそうされてきたからそれ以外の方法がわからない。 そんな中で 『子どもは叩いてはイケナイ。』 『子どもを慈しもう』 育児書やその人が関わる社会では 当たり前のように聞く言葉………。 その言葉のように自分は子どもを育てられない。 私は子どもを叩くから子どもを愛していない……… という思いになりどうして良いかわからなくなり 子どもを虐待し続けました。 (いけないこととわかっていてもやめられないそうです) 勿論、それが全てではないし他にも原因はあると思います。 虐待死…の場合、 結果死んでしまった…ということが多いです。 初めから死なせるつもりなら 止めることはできないかもしれないけど 虐待の場合は早くに上手に関われたら 幼い命が失われることは避けられると思います。 そのためには、 その親子に関わる温かい目が必要だとも思います。 書きたいことが上手くまとまらないので、 また続きを書くと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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