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『人が人を決めつけて否定する』
楽天のお友達の日記のタイトルですが とても興味深く読ませていただきました。 ちょうど、人の価値観や色んな常識について 考えていたときだったので タイムリーでもありました。 人が人を決めてつけて否定する…って やられて気分のいいものではないし やっていい事とも私は思えないけど そうされる経験はあってもいいと思っています。 否定される経験がどう活かされるかは どう転ぶか?みたいに賭けの部分もあるのだけれど 例えば、 否定された事により 『私はそんなに悪いのか?』 『私の考え方は間違っているのか?』 と考える事は大切だと思います。 その答えが 『私は悪い』 となり…より一層悪い方へ転んだり 本当は悪くないのになげっぱちになり悪い方へ行ってしまう こんな最悪のパターンもあり得ると思うのですが^^; 『私は~なのだろうか?』 と考える事は大切だと思っています。 子どもの場合は、色んな価値観に触れる事から 自分の価値観を身に付けていく時期だと思うからです。 ギャングエイジ…思春期…その辺りは特に 様々な価値観に触れその価値観がぶつかり合い 『自分の考え』の基本みたいなものが出来ていく時期。 否定されて素直にそう受け止めたり 否定されて反感を持ったり きっと一番それが多い時期であるのかな? ただ、一方的に否定される立場にだけ身を置いていると 自分自身が駄目に思えてくるし ただ反感を持つだけで『考える』というところまで行かないかもしれません。 ある程度は、関わる大人側のテクニックも必要かもしれません。 そんなもの、子どもにはわからないし わかってほしくもないと思うのですけど^^; こんな事を考えながらふと目にした文章がありました。 爆笑問題の太田光さんが書いたものですが…要約すると… 彼が小学生の頃、当時みんなを笑わせるのが好きだった彼は 宿題の発表をする時に周りの期待の目に答えるように もじもじしたり笑いをとるような仕草をしていた。 その時横で見ていた担任の先生がいった。 『いつまでも愛想を振りまいていないで早く発表しなさい』 全身に汗をかく程恥ずかしい思いをした。 自分の本質を見透かされたような気がして自分でも薄々気付いていた 嫌らしい自分を言い当てられたような気分だった。 自分は『嫌らしい子ども』としてみられていたと考えると 辛くなり、クラスメイトの笑顔も蔑みに変わったように思えた。 太田さんは、このときの経験を『今となっては』 私の中の嫌らしい怪物のようなもう一人の私の存在を 気付かせてくれた先生の行為も見事だったと思えている。 『今となっては』という事なので 当時の彼の気持ちを考えるとそれまでの自分の感じている事を 『面白い事をクラスメイトは期待しているはず』とか そう思っていた彼の事を先生は否定したわけだし 先生にそんなつもりはなくとも 彼はそう受け止めたように読み取れました。 (彼も、先生のそのひと言は偶然向けられたと書いています) けれど、そのひとことについて太田さんは 『私にとっては後の人生観を変える程の大きな影響力のある 一言なった。 人は偶然の中で何かに遭遇し、偶然によって変わっていく。』 (TVBros 天下御免の向こう見ず/爆笑問題 より抜粋) と結んでいます。 ここまで、影響があるかはどうかはともかくとして 否定される経験って必要だと感じました。 ただ、その後のフォローも必要だ思うのですが^^; 否定される事もフォローされる事も必要で それらは色んな環境(関係)の中で行われていて… よく分からないけど 必要な事なのだろうなぁ…と感じたのでした。 あぁ、上手く書けない^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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