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今日はリハビリ。
最近ゆうのリハビリはあんまり目新しいことがない。 でも少しずつ、OTではゆうが将来自分で言いたいことを伝えられるような準備をしている。 今日も、先生は新しく「おしまい」のサインを取り入れ始めた。 サインにしろジェスチャーにしろ、こちらがただ使って本人に理解してもらうだけでなく、最終的には本人が意思表示をするために使うのを目的とする。 ようするに、本人の言いたいことを言うための手段を作るのだ。 私は日頃つくづく思っているのだが、人間というのは、誰かに自分の考えを伝えたい生き物なのだと思う。 程度の差、内容の差はある。伝える(表現する)手段も違う。ある人は絵で、ある人はブログで。もちろんしゃべって伝えるのが一番得意な人もいる。 そうおもって周りを探すと、人間の表現の手段っていかにたくさんあるかがわかる。文化的なものすべてが、表現する手段なんだと言っても過言じゃないんじゃないかな。 もし、伝えたい気持ちが妨げられたり、手段がなくなったり、伝えたい気持ち自体が萎えてなくなってしまったら。 自分がどうなってしまうかは簡単に想像できるかもしれない。あらゆる努力をして避けることもできるかもしれない。 でも、他人がそういう状態になりつつあるかどうかは、意外と気づかないものかもしれない。 常に心にとどめておいて、いつでも気にすることができるようにしておかないといけないなぁ、と、思ってはいるが、これって、案外実行するのはなかなか難しい気がする。 もしかしたら、他人のこういう気持ちを、意図的にくみ取らなかったりもしている気がする。 伝えることができずストレスをためたり、伝えることをあきらめて無気力になったり。 ゆうは言葉が出ない分、そうなる可能性が高い。一番身近な親が、一番わかってあげたいなぁ。(とはいえ、その資質が自分にあるかは、まったく自信がない…) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 21, 2006 11:10:03 PM
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