|
カテゴリ:パンクロック&音楽
もはや、日記というか、覚書レベルになるが、今回は祖父、爺さん、のことを書こうと思う。
婆さん、というか祖母、のことは以前書いたから、今回は爺さん、祖父のことだ。 ウチの爺さん、私が物心ついた時には、すでに半身不随になっていた。 よくわからねえが、基本母屋の一室に一日中寝ている。テレビ位は見ている。 もちろん、現在から言えば要介護。風呂すら自力では入れない。 その面倒は主に私の母親が見ていた。 しかし、その母親、といえども仕事がある。24時間、介護の対応などは不可能だ。 というわけで、幼いながら、物心ついた時点で、例えば私、などが出来る範囲、ながら介護をしなければいけなかった。 聞けば、爺さん。半身不随になった原因は、脳溢血であったという。 ある日突然、庭でいきなり倒れ、そっから半身不随になったのだという。 運良く?なのかは分からんが、そこにクソ親父が居合わせたため、速攻で救急車で運ばれ、なんとか一命は取り留めたらしい。 もちろん私が生まれる前の時点の話、だ。 原因は主には酒の飲みすぎ、だったらしい。 当たり前だ。朝から晩まで酒を飲み、さらには食事などもまともに採らない。 基本的には、飯さえたべない。食事、は全て刺身位しか食べず、しかも同時に酒を食らっている。 これでは倒れるのも分かる気がする。 そーんな感じの爺さんだったらしい。物心ついた時点で半身不随。私には意味がわからない。 ただ、祖父だ、ということは解る位だ。 だが、現役で活動中は、頭の回転は速かったらしい。 ぶっ倒れて、半身不随になったのが話に聞くと祖父が49歳のとき。 だが、その時点で家2軒は立てている。 現在、私が住んでいる離れ、も祖父が建てたものだ。離れ、といっても、プレハブなどではない。 一応一軒家。全て木造。6畳間一つ、8畳間一つ、4畳半一つ、また水道、トイレも完備されている。 そのぶっ倒れる49歳までの間に、現在の母屋、から私の今住んでいる離れまで、2軒家を建てたらしい。 そのため、凄まじく働いたようだ。 家業の農業の傍ら、よく知らないが現在で言うアルバイトに行き、さらにはほかの家の農作業の手伝いまでしていたようだ。 それでなんとか飯を食っていたらしい。 一応、心あたたまるエピソード、というか爺さんの名誉のためにお話を一つ。 あるとき、爺さんの少し年下の友人が、借金を申込にきた。 理由は、なんでも会社を設立したい、ということだった。 ウチの爺さんは、即座に300万円位は用立て、無条件で貸したらしい。 現金でそのまま300万円。 一切、利子など取らない。 現在だと、300万円?大したことねえな、とか思われるかもしれんが、時代は昭和30年代くらいだ。 サラリーマン、大学卒の初任給など、1万円ですらない。精々何千円、だ。 現在だと、平均、というか最低でも18万円位はもらえるとは思う。 そんな時代の300万円。多少ご勘弁ください。 家族からは守銭奴のように見られていた爺さんだったが、そんくらいのことはする人だった。 その時、設立に金を貸した会社は、現在でも存在している。 零細企業なのかもしれんが、まだ営業中。よかった。ある意味、爺さんが生きていた証拠、でもある。 その爺さんから金を借りた友人は、ウチの爺さんが死んだ後も、感謝の気持ちなのか、死ぬ直前まで事あるごとに訪ねて来てくれていた。 もちろん、自分の爺さんと同じか、少し年下かわからんが、ヨボヨボの爺様、だ。 とここまで書いて燃料切れ。 爺さんの思い出。 またいつか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/09/06 11:28:40 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|