なんとなく、楽しく暮らそう

2018/04/13(金)10:31

家族葬というもの

地元生活(233)

​​地元の実家と我が家は徒歩で5分の距離にある。 私が実家のそばに家を買ったのではなくて、私が買った家のそばに高齢者になった父母が10年後ちょうどいい売家があり、引っ越してきたのだ。前の実家は貸すつもりだったが買い手があり、引っ越してのちに売ってしまった。 昨年末、うちから徒歩10分くらいの場所に、家族葬専門の小さな葬祭会館ができた。一階二階で2組の葬儀ができて、一室50名までは入るが、家族葬だとじゅうぶんだ。 父の葬儀に間に合わせたような真新しい家族葬専門の葬祭会館の真っ白な内装の部屋で通夜葬儀を行なった。 父母の兄弟姉妹と私ら親子だけで甥や姪も近所の方や友人も参列を断ったり、知らせなかったり。 帳場さえ、私が受付長机に座り、お香典を預かった。親族控室で母希望の料亭仕出しを取り、通夜後の会食をしてにぎやかに昔話をした。みんな定年になった兄弟姉妹は、よくみんなで旅行に出かけていたから思い出も多い。 父の歳の離れた弟にあたる叔父は高次脳機能障害で施設にいて、きっと父が亡くなったことも理解できないでいるだろう。 生花は葬祭セットに一対付いているのだが、棺に入れるお花は華やか方がいいので、兄弟名と会社の福利厚生でさらにニ対いただいた。社長は外国人でミドルネームのある長い名前がカタカナで書かれている。笑 父の遺影写真は母の兄弟たちと10年前に徳佐(山口県)にリンゴ狩りに行った時、地元で写真家の叔父が撮ってくれた写真にした。父は目が不自由なため、正面を向くのが苦手なのだが、この写真は笑顔で良く撮れていた。但し通夜葬儀最中は一切写真を撮らないでとお願いした。 カウンセラーの妹は通夜の昼間も葬儀の翌日からも予約があるとかで勤務した。 母と私でだいたいの小さな通夜葬儀を執り行ったが、83歳の母は挨拶をしっかりしたので感心したよ。何度も練習していたものね。 家族葬は、本当に親しい者たちで静かにお別れをする。畏まった挨拶もなしにして、母も私も「自分もこれで行こう」と思ったのだった。 同じ日に葬祭会館で通夜葬儀があったのだけれど、遺影写真は、大学卒業式に写したと思われる若い女の子で、参列者の若い女の子達が涙していたので、こちらももらい泣き。 やはり父の年齢まで生きるということは幸せなのである。​​

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