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なにかの本で読んだ「過去は変えられないけど未来は変えられる」昨日の夜、意味不明の不安にかられながら思い出した。過去は意識しだいで、作り変えられるような気がするが起きてしまったことは変えられない。記憶の中でなかったことにしようとしても起きてしまったものは起きてしまったことだ。それに対する心構えは変えられる。そこからどう行動するかで未来はいくらでも希望あるものにも絶望的なものにもなる。
治療の勉強をしていたときに先生が「借金が1億あったとしよう、それは変えられないが、エネルギーの方向を変えることはできる」と言っていた。悩むことにエネルギーを消費するのかそれとも行動するほうへ消費するのか。悩むことをどうしてもやめられないときにちょっと手助けをしてあげる。そうすると身体を壊すことを事前に防ぐことにもなるそうだ。現に悩むほうへ費やすエネルギーの矛先をキネシオロジーによって変えると、身体にも変化が現れていた。 わたしは今まで逃げてきた。嫌なことからは逃げてきた、結局逃げれば逃げるほど利子がつくようにつらい現状になっていった。これも何かの本で読んだが「恐怖はむきあうことでのみ解決することができる」とあった。まさにその通りだと思う。 わたしは学歴コンプレックスがある、勉強嫌いだからしかたがない、でもそのコンプレックスを克服するには学歴をつけるしかない、そのためだけではないが、今夜間学生だ。むちゃくちゃつらくて逃げ出したくなるが、一生学歴コンプレックスと中途半端だからなにもできないというあきらめにふりまわされなくないから向き合ってます。はっきりいってむちゃくちゃやめたくなる。 コンプレックスや気になること、それが理由でいろんなことを「できない」にしている。小学生のときにいじめにあった。だから人間関係がうまくいかないし、被害妄想になった。←うそだ!と最近思う。そう思っているだけ。 高校を卒業したときも思っていた。「友達がほしい」自分で失敗しながらもいろいろチャレンジしていたからか今ではそれが信じられないくらい人には恵まれている。「そんなことを思っていたなんて信じられない」といわれる。男性恐怖症でした、人見知りが激しかったの。今ではうそみたいだといわれる。そんなもんなんだろうな。自分でなんとかしたくてちょっとづつ変えようとしたことが何年もかかって実った。 今も同じなのかもしれない。わたしは夢がある。ここで嫌だからと目先の嫌なこと、恐怖に惑わされてこの夢を失うのはばかばかしい。 いつもうまくいくわけじゃない。この下にいる時にチャンスはある。自分がいかにここから飛躍するか、いかにいつもの枠を打破することができるかで変わってくるのだろう。それができなくてぐるぐるする。 逃げればそれは後悔という荷物になって背負っていくしかないだろう。 夢サンタさん(http://tb.plaza.rakuten.co.jp/yumesannta2/diary/200501170000/ )という方の日記にあったのですが。 プールで泳げない人が浮こうとじたばたするが、プールのそこに沈もうとしても浮いてきてしまう。浮上しようともがいても沈んでしまいそうになるなら沈みきった方が浮上しやすい。というような感じでわたしはとらえたのですが、 そうだなって。中途半端だからつかれるんだろうなって。 昨日はそんなことをもんもんと考えながら進むしかない。がんばれ、がんばれと自分をはげましていた、それは自分を追い詰めてしまうがんばれとは少し違う感じがした。 ちょっと希望のあるがんばれだった。 これも本にかいてあったが、顔晴る(がんばる)と漢字をあてているのだが、そんな感じがした。 なにかが変わりつつある、気持ちが春になりつつあるような感じがしました。 できることをやろうと思います。できないときは罪悪感なしに休めるようになりたいです(^^) 幸せが雪崩のごとくあなたにふりそそぎますように(^^)そしてまわりの人も一緒に幸せになれますように☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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