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桜丘*Cafe

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母と父の介護年表



1998年秋
「あれ?お母さん、おかしなことを言っているなあ」と思ったのは長男の七五三の時。
「お父さんがどうのこうの…」と愚痴を言います。
今思うと「まだら呆け」の症状なのですが、あれがないこれがない、今日あなたが家に来て物を取っていったでしょう、といった電話が頻繁にかかってきました。
そんなことが1年ほど続いて、やっと「あ、痴呆症なのかも」と本を読みだして気付きました。

父はまだ仕事を持っていたので日中一人きりの母。
子どもたちを連れて片道2時間の実家に、1~2週間に1度通いました。
保険証や通帳、ハンコも頻繁に無くしますし、ご近所の方も気遣って目も声もかけてくださるのですが、ご迷惑をおかけしてばかり。
一緒に銀行や生保に行ったりきたり。

伯父の葬儀の際に母と話して、母自身が不安でいっぱいであることを実感しました。
「施設に入れられてしまう」と不安がる母。

母が自転車転倒で肋骨を折った際に、わざと大きな病院に診察を受けるよう手配し、一緒に行って、院内の脳外科を受診する手はずを整えましたが、診察終了後怒ってどこかに逃げて行ってしまいました。
あの時、ちゃんと一人で帰れたんだろうか…
捜しまわってくたくたになって帰宅したら、ベビーシッターさんに「幼稚園バスのお迎えの時間が違っていました!」と玄関の前で叱られて、溜息の出る1日…
当時は携帯電話を持っていなかったのでしょうね。

長男が小2の時にPTA会長になりましたが、この頃良く我が家にひょっこり訪れていました。「あなたの家の電話番号と来方は覚えているの」と一人でまだ電車を使って移動できました。
子どもたちとの留守を頼んで会議に行き、戻ったら警察が来ていてびっくり!
「30万円持ってきたはずなのに、庭で草むしりしていたら無くなった」と…いうこともありました。
一泊して「お世話になりました」と書き置きを残していなくなっていたことも。
心配していたらひょっこり庭先から戻ってきたり。


父と母と私の3人で福島の三春に桜を見に行きました。
母が元気なうちにという父の願いもありました。
初めて見る、桜の時期の滝桜・・・
ここだけでなく、町内にはしだれ桜が見ごろでした。


そうこうするうちに、父も退職して家にいられるようになったので、安心して私も仕事を増やしましたが、母の幻聴や徘徊がすすみました。
立川から清瀬や所沢まで歩いて行ってしまうのです。
夜中でも警察から連絡があればタクシーで迎えに行ったり、我が家までタクシーに乗せて送っていただいたりしていました。
父の方がダウン。高血圧、ふるえなどの症状が出始めます。

2004年7月
近くにあるデイサービスに2度ほどお世話になりましたが、2日ぐらい行方不明になり
小平にある国立精神・神経研究医療センターを受診、父による介護も限界だろうからすぐ入院させたほうがいい、との言葉に泣き崩れ、うずくまる母でした。(本人の前でも言葉を選ばない先生でした…)

ここは「古い病院」というイメージ。大きな声を出す男性も入院されていて、母は怖がっていました。お散歩で院内の庭を歩き、ピンクや赤の花に声をあげて見入る母。
隣に市民プールがあり、子どもと来たときに2回ほど入りました。

落ち着ける施設に早く移ってもらいたくて、急いで老人保健施設を探しました。立川市にある「わかば」です。
http://www.tokyosekishinkai.jp/wakaba/index.php
広くて明るい場所で、良いところでした。
母も静かな心持で過ごさせていただきましたが、ここにいられるのは半年~1年が目安なので、この間に特別老人ホームを探してあちこちに申し込みをします。

2005年12月
運よく「至誠ホーム」に入れました。「いいところに入れましたね」と声をかけられる、評判の良いところです。ありがたい。
このころのブログを読み直して、あらためて自分に「お疲れさま(^O^)/」を言ってあげます。

「わかば」に入ったころから、ワーカーズの「こっとん」さんに週一回2時間、お散歩連れ出しをお願いしました。このころはまだ会話もできましたし、足で歩けました。
1時間当たり1200円+交通費で、月15000円ぐらい。
仕事&ちびっ子連れのいったりきたりであわただしい数年でしたが、だいぶ楽になりました。

一方母の方は、ゆるやかに着実に痴呆がすすみ、足腰も会話もめっきり衰えていきます。

2006年4月
福島の三春へ法事に。
足腰が弱った母ですが、小柄なのでいざというときには私が抱き上げて移動できますので、新幹線で移動。
母が福島に来れるのもこれが最後かなという気がしましたので思い切って実行しました。

2006年10月
父のお供で上高地へ。

2007年3月
お世話になっていたワーカーズ「こっとん」が解散。
暖かい時間をありがとうございました。

2007年11月
父のおともで箱根へ。

2008年11月
祖母が亡くなった時間の頃、母は泡を吹いてけいれんをしていました。
祖母が母のところに立ち寄ったのかな?
相続等の手続きに入るため、母の印鑑が必要なのですが、あらゆる印鑑を無くしているのでそのためだけに私が成年後見人になる事態になりました。
家庭裁判所に行って面談をしたり。。。次男がインフルエンザになりました。
理解のある職場に替わったばかり。助かりました。

2010年2月
父のおともで箱根へ。
雪景色や富士山を撮影し、喜ぶ父。


2010年12月
父が緊急入院。
骨髄異形成症候群に加えて骨髄繊維症を合併しておりかなり難しい状況。
もう歳なので根治治療としての骨髄移植ではなく、造血効果のある薬を使って様子を見ていくとのことでした。

3分の1の人は3ヶ月~2年以内に急性白血病になる。また一部の人は進行しながらも生きる。また一部の人は出血しやすくなっているのでそれらで死亡する、とのことで、最悪のケースなどもすべてご説明いただきました。

その他、輸血することのリスク、おこりえる合併症、今後の治療方針など、あらゆることをもの柔らかながな口調でお話いただき理解できました。

先は長くないものと思ってください、体が動くうちは好きなことをやってください。

1月中旬に退院し、週1回の通院で輸血しています。
買い物も自分で行き、通常の生活もできているようです。

2011年7月22日
母の主治医と施設の担当者と面談。
飲み込む力が落ちているので、口から食事を取れなくなるのもそう遠い先ではなさそう。
そうなったときに、延命治療(鼻から管を通して、や胃に穴をあけて、など)をするか、自然のままに、見取りに入っていくか、気持を決めておいてくださいとのこと。










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