今日のディケイド総括
本来は最終回が放送された昨日書く予定でいましたが、最終回であるにもかかわらず、最終回としては最低のテレビでは一切完結せずに、映画に丸投げというものを見せられてしまい、それだけで全否定するところでしたので、間をあけて今日書く事にしました。とはいえ、やはり最終回については、最初に触れざるを得ないですね。最終回で全てが完結して、その後に何もやる余地がないというものではないと納得しないというわけではありません。何か含みをもたせて次の展開(続編など)を期待させるようなものも、ありだとは思います。しかし、前提として最終回が最終回として機能し、納得できるか否かはおいておいて、とりあえずの結末を見せる事が必要です。昨日の最終回の感想をいろいろなブログで拝見させてもらった中にも、ガンダム00やマクロスFなどを例にして映画につなげるという最終回の在り方について触れているものが多く目につきました。例にあげ映画というものにつなげるやり方をあざといとしながらも、今回のディケイドとの最大の違いは、最終回として一応の区切りを見せていた事をあげており、ディケイドの最終回のようにブツ切れで続きは映画でという丸投げではないと。今回の最終回の最大の問題点は、3ヵ月後の映画に行かない事には結末そのものが分からないという事になります。映画につなげたいとするならば、テレビ本編を一応の完結を見せ、その上で映画で補完する内容のものにするであるとか、一応の完結を迎えたかに見えて実は・・・というようなやり方ができたはずです。それが、なんでこうも露骨にあざとく映画に来いというようなやり方になってしまったのか、納得はいきません。これがために、作品そのものを全否定される余地を作ってしまっただけで、話題性狙いなんていう言い訳すらもできないでしょう。最終回に対する批判はこれくらいにして、全体の総括に入りましょう。ディケイドという作品は平成ライダー10周年を記念した完全なる企画物です。平成ライダー9作品の世界を回り、今まで平成ライダーでは行われなかった別作品同士の共演を実現させるため、基本的にはリ・イマジンとして作品の世界観を再構築し作り直すという、なんとも手間のかかる事をやるものだというくらい、企画物でありながらもただの企画物には終わらせないようにしようという意欲も垣間見られるものだったと言えるでしょう。開始当初は、この再構築の部分が受け入れにくかったというか、最初の作品がクウガであったため、五代君とユウスケのキャラ設定の違いに戸惑いと、世界の破壊者とはディケイドという存在ではなく、ディケイドという作品そのものではないかとすら思えました。ユウスケに関しては、クウガの世界から出てから好感度は上がりましたし、その後作品世界によって出来にばらつきを感じる事があるにせよ、2話でまとめるという時間制限が逆にいい結果になり、無駄を省いた分だけテレビ本編で個人的に失敗したと思える作品ほど、好印象のものに仕上がっていたと思えます。ここら辺は、平成ライダー特有の風呂敷を畳まないスタイルというか、無駄に詰め込んで消化しきれていない作品に対する批判的な感覚が思い起こさせられていたからかもしれないですが。概ね、粗はあるにせよ企画物としては十分及第点だろうと思っていたディケイドですが、どうしても気になる点は、メインライターである會川昇氏の途中での降板です。どういう経緯で、どういう理由で降板したのかはわかりませんが、メインライターの途中降板は、こういった作品世界が重要な作品での影響は少なからずあったはずです。9つの世界を回らないと世界が消滅する事になるという前提で旅を始めたからには、世界を回った後どうするつもりなのかを何も考えないで始める事は、まずあり得ないはずです。最初に考えた構想から結果違うものになるにせよ、ある程度の着地点を決めない事には、謎も伏線も張りようがないはずですから。しかし、結果的に9つの世界を回った後どういう影響があったのかという事は何も考えていなかったんじゃないかと思えるものになっています。映画で昭和のライダーまで勢ぞろいさせ、大ショッカーという敵と戦うという企画が出たのがいつなのかわかりませんし、ひょっとしたらディケイドという作品が動き始めてから急遽やる事になったとか、突貫工事になった可能性もあり、そのために予定と違う事になったために、調整ができなかったという可能性もあります。残念ながら、作り手側に混乱があったにせよ、それを言い訳に出来ないだろうというのが、9つの世界を回り終わった後の展開です。何の説明もなく、世界は9つだけではなくもっと沢山存在するとして話を展開させようとしたときには、ただただ唖然としました。まがりなりにも9つの世界を堪能し、回った後にどういう展開が待ち受けているのかと思いきや、いきなり世界を旅した影響すらなにもなく、ただ元からこういう世界も存在するんですよという、ネガの世界。また、存在意義がよくわからないまま付きまとっていた、大樹の謎が何か解明されるのかと思いきや、結局全体のストーリーとしては何も進展がながった大樹の世界と続いた時は、これを担当した脚本家こそが世界の破壊者だと確信すらする事態となってしまいました。無駄な時間を使っただけでしたからね。しかし、ここからシンケンジャーの世界で建て直し、RXの世界で上手く昭和の力技がディケイドの世界観では、むしろハマるなど、夏の映画の大ショッカー編に向けて十分に楽しむ事は出来ました。それだけに、最終回直前でまたもや風呂敷を広げて結論放り投げにして、テレビシリーズとして最終回を破壊した事はどうしても受け入れられないですが。個人的には、最終回放り投げを横に置いておけば、企画物として粗もあり、言いたい事は山ほどありながらも楽しんではいました。ただ、この企画を最後に、平成ライダーの中で私が評価していない部分、謎そのものでストーリーに興味を持たせるような作りをしながら、伏線未消化放り投げ。脱勧善懲悪狙いという理由だけでの、内ゲバ的ライダーバトル。ここら辺は破壊していいのではないかと、破壊からしか創造は生まれないとはっきりと宣言したからには、こういう部分こそ破壊して次の世代のライダーを創造してもらいたいという、気持を強く抱かせる作品でしたと言う事で。総括と言いながら、あまり総括になっていないのは内緒だ。