2006/05/29(月)14:50
溝川のおさん
歴史の道めぐり・その3(まだまだ続く?たぶん…)
竹田市寺町に溝川というところがあります。廉太郎トンネルを抜けて、廉太郎記念館や豊音寺というお寺のある情緒があってとても素敵なところです。なくなった祖父が入院するまでは、この溝川に住んでいました。足を運ぶたびに、いいところに住んでいるな~なんて思っていました。今はその家もほかの住人がいるようです。
こんな感じのところです。
写真は廉太郎トンネルを抜けてからの風景で、そのまま坂道を登っていくと円通閣や愛染堂、右に行くと廉太郎記念館や豊音寺、そして観音寺の十六羅漢のあるところにたどり着きます。結局は道はつながっているんですけどね。
そんな溝川には、ちょっとした伝説があります。子どもの頃に読んでいた「大分の伝説」(大分県小学校教育研究会国語部会編)に載っていましたので、紹介したいと思います。
溝川のおさん
「今ではこんなことを言う人も少なくなったが、昭和の初めのころまでは、子どもがいたずらをすると、
『おさんが出るよ』
と言っていたという。
むかし、溝川を流れる八幡川を中心として、真夜中になるとおかしな音がきこえてきた。米をとぐ音のようでもあり、アズキを洗う音のようでもあった。また、口笛のような音が、溝の中を上ったり下ったり一晩中さわいでいた。
人々はこれを、むかしおさんという女がいて、貧乏のためにひとに隠れて、夜に米をといでいたうらみだと、うわさしあった。そこで、村の人たちで、おさんの霊を手あつくなぐさめると、それからは、おかしな音はしなくなったという。」
というような、ちょっとした怖い話らしいです。でも、私は読んでも読んでもこのお話がチンプンカンプンなんです。貧しいと米を夜にとがなくちゃならないの?それは人を怨むようなことなのかしら?なんて思ってしまいました。どういう根拠で…。知っている方がいらしたら、教えてください。
溝川を流れる八幡川も探しました。市内出身の母は流れていると言うのですが、私にはどこかわかりませんでした。川らしい川が流れていなかったので。もしかして、御客屋のところの水路のことなのかな?