「ごちそうさま。」からまた見えたもの。
以前、今年に入ってから感謝を言うようになったという記事★を書いたのだがそんなある日、ダンナさんが晩御飯を食べた後に「今日も美味しいご飯、ありがとうございます。ごちそうさまでした。」と突然言ってきた。今までこのような言葉を言われたことは、ないに等しい。と思う。我が家は、ダンナさんが仕事でいつも帰りが遅いのでほぼ一緒に食卓を囲むという事がなく面と向かってこのようなセリフを言われたことは忘れているだけかもしれないが自分の記憶には残っていない。何を急に言い出すのかと、こちらもビックリしたので思わず「どうしたの?何かあった?」と聞いてしまった。すると「いや、感謝を伝えておかないと・・・」と。普段、聞きなれない言葉を聞くとやましいとかじゃなく、変な方に胸騒ぎがして何か素直に喜べないというか、何というか・・・。しかし、この感謝の言葉「ごちそうさま」が後に自分の負担になる言葉だと思う事に気づく日がやってくる・・・。何日か同じセリフを言ってくれていたのだがその日は違った。「ごちそうさまでした。」その日は特に気にならなかった。そしてまた違う日「今日も美味しいご飯、ごちそうさまでした。」あれ?日によってセリフが違うぞ。そしてまた違う日「ごちそうさまでした。」変に勘ぐってしまう自分はピン!ときた。自分好みのメニューだったり特に味が良かったと評価された日は「美味しいご飯」をつける。そうでもない日は、そのまま「ごちそうさまでした。」何とも分かりやすい表現だと感心したが自分もこういう事には敏感すぎるとこもあり気にしなきゃいいとは思うんだけどそれもそう上手くはいかない。自分はこういう事をされるのが、とても嫌だ。何かジャッジされているようで。なので思った事を言ってみた。そしたら苦笑いしつつ、案の定図星だった。このように言うなら今度からは「ごちそうさま」だけでいいと、ダンナさんに言った。そうすると、この話を聞いていた子どもは「え?自分ならそう言われたら、次はもっとおいしく作ろうと思うな」・・・色んな考えがある。しかし自分は、子どものようなポジティブな考えにはならなかった。負けず嫌いで、ヘソ曲がりな性格なのか。だが、そう言われたからといってヘソを曲げて次からは、不味く作ろうとかは思わないけど少ししょっぱかった(塩辛い)と言われれば次からは少し塩味を減らすとか、そういう事はしている。たぶん今の今まで、このように言われた事がなかったし何かプライドが傷ついてしまったのだ。しかし以前のように、ここで気持ちを抑えてもストレスが溜まって、自分の心にも良くない。なので、相手に言わないのではなくいつまでも、後に引かない為にもこの時の感情をきちんと受け止め冷静に自分の気持ちを正直に話した。何を言われても、受け流すという事が出来れば(ムーディ勝山さんのように・・)良い事なんだという事も、この「自分見つめ直し期間」で身につけたと思っていたのだがそうでもなかったようだ。やはり嫌なものは嫌なのだ。長年身についた思考や性格を今日明日で治せるものでもない。もういい意味で「がんばらない」と決めたのだ。だから「ごちそうさま」の一言はただの感謝の気持ちと受け取りそれ以上の言葉ではないと思う事にした。・・・が、昨日の「ごちそうさま」も微妙だった。感情がまた乱されそうになったが今、ここにこうして書くことによりまた気持ちの整理をしている。だけど、この事があって今までどれだけ言いたい事を言えなかったのか言えないような雰囲気の家庭だったのか(自分がそうしていたのか)前にも書いたが、今やっと家族らしくなってきた我が家にとっては良い出来事だったのかもしれない。(ここはポジティブ)自分の性質もあるけど(HSP気質)それも分かったうえで「がんばらない、無理をしない」ことを心に留めて、またこれからご飯を作ろうと思う。また何か言われたら心の中で「ムーディ勝山さん」を思い出し歌う事にしよう【37歩目】