神社仏閣【西国三十三観音霊場】
こんばんわ~。今回の旅、目的の一つに『西国三十三観音霊場』を巡礼するというのがあります。まぁ、一気に回れないので、長い年月かかるかも知れません。すでに、行く先々で、面白い発見があり、寄り道ばかりしてる状況ですので。。少しずつ写真と資料の整理をしながらUPしていきます。大丈夫ですよ~。飽きない様にチョコチョコ休憩入れま~す♪西国三十三観音霊場と言っても、神社仏閣に興味なければ???ですよね。では、簡単に『西国三十三観音霊場』についてのお話。養老2年(718年)、大和長谷寺の徳道上人は、病のため仮死状態になったとき、夢の中で閻魔王に出会い、「おまえはまだ死ぬ事を許さない、世の中には、悩み苦しむ人々がたくさんいる。その人々を救うために、三十三箇所の観音霊場をつくり人々に巡礼をすすめなさい。」といい、起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されました。しかし、世間の信用が得られず、巡礼は発展しませんでした。徳道上人は機が熟すのを待ち、授かった宝印を中山寺の石堰に納めました。それから約270年後、花山法皇が紀州国の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を受けました。そして花山法皇は、中山寺で宝印を探し出し、西国三十三観音霊場を再興させました。その際に那智山を一番とし近畿各地の観音様を巡拝されましたので、那智山青岸渡寺が一番札所となりました。これが、西国三十三観音霊場の由緒になるんですが、三十三という数については、観世音菩薩が衆生を救うとき、三十三の姿に変化するという信仰に由来するといわれており,西国三十三箇所の観音霊場を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるといわれております。全ての霊場にて御宝印をいただいた納経帳などは、閻魔王が授けた御宝印ということから極楽浄土への招待状ともいわれており、死者の棺に入れる習慣もあります。というわけで、まずは第一番札所から巡礼を始めてまいります♪そして、各札所で授かる御宝印はこちらの納経帳に。そして、各札所で納める納札も準備。それでは、行ってきま~す♪過去の巡礼記録はこちらから↓熊野詣 西国三社参り