興福寺伽藍
かつての興福寺には『中金堂』『東金堂』『西金堂』という3つの金堂がありました。境内の中心は、南から北に『南大門』『中金堂』『講堂』と配置され、境内の東側は、南から北に『五重塔』『東金堂』『食道』と配置、境内の西側は、南から北に『南円堂』『西金堂』『北円堂』と配置されていました。また、境内南西隅には『三重塔』、境内南東部には『大湯屋』が建てられていました。これらの多くの堂宇は、創建以来、度重なる火災に見舞われ、焼失と再建を繰り返しました。また、慶応4年(1868年)の神仏分離令により興福寺は大打撃を受け、一時は廃寺同然にまでなりました。上記の建築物のうち、『南大門』『西金堂』『講堂』については、享保2年(1717年)の火災で焼失しましたが、再建されませんでした。また、『中金堂』についても同じ火災で焼失しましたが、102年後の文政2年(1819年)に『仮堂』として再建されました。その『仮堂』も老朽化のため、平成12年(2000年)に解体されました。そして現在、薬師寺の旧金堂を移築し、『仮金堂』として御本尊を安置しております。その興福寺の中心的堂宇である金堂ですが、平成30年(2018年)落慶予定で、ただいま再建に取り組んでおります。