2005/11/30(水)17:09
ばぁちゃんさよぅなら・・・・・
24、25日が仕事ぉ休みだったけど・・
22日ばぁちゃんの容態が悪いみたぃで、休みもらって仕事終わってから速攻ぉとんと鹿児島帰った。
23日に家族みんなして鹿屋のばぁやの入院してる病院までぃった。
前いったときとは顔色も悪くて、話すことすらできなくなってた。
けど、意識はちゃんとあるみたぃでぅちらの言うことにぅなずいてくれたりした。
みんなして泣いた。
ぉとんはホントはもぅ北九帰るつもりだったけど、残ることにした。
妹も次の日学校で、一旦家に帰った。
次の日24日・・
ぉとんは先に病院に。
なほはぉかんと午前は街にでて喪服を探してた。
午後に病院に向かった。
もぅ処置のしよぅがなかったみたぃで5階の部屋に移ってた。
隣のぉばぁちゃんは苦しそうにずっと叫んでた。怖かった。
ばぁちゃんは2回ぐらぃ目をパッチリひらぃてくれた。
なぁんだ。元気になってるねぇ~
って皆して言ってた。
そしたら急に口呼吸になりだした。
ホントに苦しそうでつらそぅで・・
それ以来意識があるのかなぃのかわかんなぃ状態・・・
帰り際に手を握った。凄く冷たかった。
泣くのをこらぇた。
おかんは泣いてた。
おとんを残して、なほはおかんとモヵと鹿児島市内に戻った。
おかんに見送られて新幹線で帰った。
モヵはずっと震えてた。ビビリめぇ~
博多駅に着いた。
乗り換えの電車を待ってると、妹から電話。
・・・ばぁちゃんが死んだ。
ありえなぃ・・。まだ1ヶ月はもつともってたのに。
しかも、独りで死んでった。
おとんがご飯食べたりしておちつぃた時間に・・
けど多分ばぁちゃんはおとんと最後一緒にぃれて嬉しかったんだともぅ。
だから淋しい死に方じゃなぃ、ばぁちゃんは幸せだったともぅ。
急いで帰ってモヵを置いてまた新幹線のろぅとしたけど、もぅ終電がいったあとだった。
いつもいくラーメン屋にいった。
つらくて麺なのに喉を通らなかった。
泣きながら食べた。
大切な人って亡くしてきずくことが多い。
もっとばぁちゃんに会いにいってあげればよかった。
もっとばぁちゃんに優しくしてあげればよかった。
もっともっと大事にすればよかった。
って・・・後悔ばかりが残る。
チロの時もだったけど、やっぱ大切な人を失う悲しみってのはなんともいえなぃ。
どうか天国でチロとばぁちゃんが楽しく暮らしてくれたらぃぃなぁって思う。
25日は始発で鹿児島に帰った。
鹿屋のばぁやに垂水まで来てもらって、2人して泣きながらばぁちゃんのうちにいった。
着いたら妹とぉかんがゴロゴロしてた。
仏壇の前にはばぁちゃんが寝てた。
顔色もあって普通に寝てるみたいだった。
今にも目をあけそうだった。
だからばぁちゃんが死んだってのがまだ現実にうけとめられなかった。
日記があった。
たまになほやかなの名前も書いてあった。
なんか嬉しかった。
その日はうちの家族だけで儀式をして、葬儀屋で御通夜をした。
おねぇさん達も5人帰ってきてた。
2、3歳ぐらぃに会ったいとこが小6になってた。
クソ生意気だ。笑
花ダン見た。
見てんのにそいつ横からうるさぃ。
26日。
葬式。
朝見たらばぁちゃんの口から血がでてた。
かわいそう・・・
誰かが拭いたみたいだけど・・・・・。
10時ごろから式が始まった。
棺おけに花を入れた。
ばぁちゃん、今までありがとうね。
天国でぉじぃちゃんと幸せに暮らしてね・・・。
火葬場にバスでいった。
トイレにいってたら、もぅおとんが火葬のスイッチを押してた。
はやっっ・・・
おべんと食べた。
1時間ぐらぃして・・骨がでてきた。
これがばぁちゃんだって思えなかった。
また火葬場に戻っておべんと。
汁ソーメンめたんこ食べた。
その日はおねぇさん達もみんなでばぁちゃんちに泊まった。
こんなんばぁちゃんが生きてる時にあればよかったのに・・・
何回ってそう思った。
何年ぶりかにばぁちゃんちのお風呂にも入った。
凄い懐かしかった・・・。
27日。
朝からみんな掃除してた。
邪魔そうだったから、かなと散歩した。
近所の犬がめっちゃ可愛かった。
墓参りして鹿児島に戻った。
なほは新幹線に乗って福岡に帰宅。
なんか長いようで短かった・・・。
後悔ばかり残ってしまったけど、ばぁちゃんはこれで幸せだったのかなぁ???
天国で私達を見守っていてね・・・。
チロもよろしくねっ・・・。
ばぁちゃん、今までありがとう・・・・・・。