25日の日記
ハアーイ チッピです
今日は、お母さんは那須野が原CCで、ゴルフです。朝から、鼻歌など歌ってごき
げんです
だから、わたしは、しかたなく、お父さんの事務所についていきました。お父さん
はなんだか難しそうな、研究のお仕事をしています。
今日は、とても、風が強く、お父さんの事務所の一番居心地がよさそうな(猫は家
の中で一番いいところに座る習性がある)ソファの上で、うつらうつら、居眠りをし
ながら、自分の運命について、深く考えました。
思い起こせば、8月1日、もし、お母さんに拾われなかったら、わたしは、悲しく
も残酷な運命のもと、大好きな牛乳を腹一杯飲むこともなく、暖かいコタツに寝転ぶ
こともなく、いまのような、夢のような暮らしは得られなかったでしょう。紙一重の
ところで、幸運にも不運にもなるものだと、つくずく思うこのごろです。
思い起こせば、
2006年夏、私にはまだ、名前などありませんでした。このごろでは、記憶も薄
れぎみなのですが、8月1日のお母さんとの「出会い」だけは、鮮明に覚えていま
す。おなかが空いて、おなかが空いて、それはそれはもう、口に入るものは、カエル
でも、ミミズでもなんでも、食べていました。暑いのでシランの葉陰で体を休めてい
ると、建物の換気口から、いいにおいがしてきたのです。元来、人間は信用しないこ
とにしているのですが、勇気をだして,ナイテみました。1回、2回、3回、・・・
・すると、勝手口のドアーが開いたのです。私は素早く、シランの葉かげに隠れまし
た。「なんだ、空耳か?」
その時、私はしっかりとその女の人を見ました。まさに、私のタイプでした。こん
な、女の人の腕枕で眠ったらどんなに、幸せだろう、そう、思うといても立ってもい
られず、恐る恐る、シランの陰から、顔をだしました。目と目が合ったのです。
「あら、あなた、子猫なの?」と、おばさんは叫びました。だって、その時の、わ
たしの姿といったら、まるで、ボロ雑巾のようだった、て、今でもお母さんは、ペン
ションのお客さんに私を紹介するたびに、大笑いしているのです。体重おおよそ30
0g、片手の掌に乗るぐらいの大きさ、体にはネズミトリホイホイの糊がベットリと
張り付き,その糊に木の葉がいっぱい張り付いていたんですって。私には、そんなこ
とはどうでもよかったのです。とにかく、食べ物をねだりました。幸い、この家には
「キータン、チョビタン」という、2匹の姉妹猫が飼われており(正式にはえさだけ
食べにくる)キャtットフードが常備されていたのです。その、美味しかったこと、
言葉にできません。「空腹は最大のごちそうである」本当にそう思いました。私は、
幸福に満ちていました。こんな家に飼われたら、どんなに、幸せだろう・・・
しかし、お母さんから出た言葉は、私には地獄行きのキップを買った時のような言
葉でした。
「あんた、かわいそうだけどね、ウチでは飼えないよ、今は夏で、忙しいから、お
まえを捨てにいけないけど、お盆が過ぎたら、捨ててくるよ」 そう言ってお母さん
は、捨てに行く時の猫を入れるカゴを、お勝手口に置いて、ドアーを閉めたのです。