「故郷」へ、、、
2004年11月23日 21日の日曜日にマニラに帰ってきました。地元の大阪に6日滞在しました。日本は思ったほど寒くなかったですが、妻は関空到着直後に風邪を引き翌日に病院に行きました。体が弱いというか、たぶん体全体の細胞がやる気ないのだと思います。私は仕事が詰まっているときは意外と元気ですが、ふと仕事が抜けてヒマになり油断をすると風邪を引いたりします。たぶん精神的に構えているときは免疫力も強くなっているのでしょう。厳しいですが、仕事が忙しいときに具合が悪くなり休むような社員がいれば早くクビにしたほうが良いです。彼は確実にやる気がないのですから。 さて、3ヶ月ぶりの我が祖国ですが、やはり停滞しているとはいえ日本という国はあなどれないですね。マニラに比べれば大阪なんかでも未来都市のようです(人々が大阪弁で話しているのはぶち壊しだが・・・・私が大阪文化が嫌いであることは近いうちに述べる)。高速道路や鉄道やその周辺の建造物など、都市の組織を形成する「器官」は細かい部分まで非常にメカニキャルですしその動作は非常にシステマテックです。この二つの外来語はマニラにおいては当てはまりません。マニラはジープニー路線図が今まで存在しなかったという事実からもわかるとおり(最近日本のJAICAかなんかのヒマ人が完成させたらしいが)、都市の機関=器官は自然発生的に形成された感が強いです。つまりなんら組織化された思惟はなく、個々の欲望のみで形成されてきた有様です。蟻塚や蜂の巣ではなく岸辺の石の裏に生息する生物たちに近いですね(、、、言い過ぎか)。 そんな未来都市大阪でも人間に関しはどうも垢抜けない。電車に乗っていても人々のファッションやスタイルなどは、マニラの高級な商業地のほうがオシャレなくらいです。これは私が大阪市営地下鉄に乗っているときに気づいたのですが、よく見ると電車の乗客の多くが50歳以上のお年寄りなのです。で、あとのほとんどが40から30歳くらいで、若者はほんの少ししかいません。これでは人々の服装に華やかさがないのは無理のないことです。地下鉄に乗った時間帯にもよるのでしょうが(午前11時くらい)、この光景は人類史始まって以来といわれる急激な少子化のせいなのでしょうか。少しゾッとしました。これは特に、子供の数が異常に多いフィリピンに住む私だから感じるのかもしれません。少子化はニュースで伝えられる数字だけではイメージがわかなかったのですがこの地下鉄の光景で問題の深刻さが少し理解できた気がします。 さて、日本とフィリピンとどちらが良いですかと、よく初対面のフィリピン人に聞かれるのですが、まあ、もちろん私は日本人なので日本が好きです。まあ「日本人だから日本が好き」ならばこれはフェアーじゃない。むかし観た「朝まで生テレビ」で天皇制を論じていたとき、その初めのほうで左翼系の大学教授(色川なんとかいう人)に対して民族派(新右翼)の故・野村俊介がドスのきいた言い方で「色川さん、あなた日本が好きですか?」と聞き、色川がしどろもどろになりながら「好きですよ」と答えたら野村が畳みかけて「どこがですか」と聞きました。彼はまたしばらく逡巡したあげく「人が好きですね」と答えたので私は思わず笑ってしまったのです。野村は日本に批判的なことしか言わない左翼知識人の代表と色川をみなし率直に問いを投げたわけで、これはある意味「踏み絵」でもあるのですが(オマエは一体何人なのだ、という問い)、確かに日本のどこが好きかと聞かれたら、まあ例えばフィリピンでも中国でも同じでしょが「人が好き(=同じ言葉を話し同じ文化でくらす人々がいるから好き)」と言う以外しかないでしょう。では、自分が何人(なにじん)かをカッコに入れて無国籍人間になり、同じ質問に答えるとしたらどうでしょうか。これは先の野村の質問に含まれていない問いです。その国のどの階級に所属できるかにもよるのでこんな質問は意味が無いのですが、私は、あんがいフィリピンも悪くないかも、と思うような、またそうでもないような、、、。昔、顧客だったあるクラブオーナーとフィリピン人の奥さんの間に中学生くらいの女の子がいたのですが、彼女は日本語とタガログ語を両方母国語としており流暢で、中学に上がるときに両親から日本とフィリピンとどっちで暮らしたいかと聞かれ、彼女はフィリピンと答えた、と。それで今でもフィリピンで暮らしているそうです。ま、彼女が正確な知識で両国を秤にかけたのかどうか知りませんが、、、。私がもし中学生になったときに、日本の地下鉄の灰色の人々の間で暮らすのとフィリピンの熱射と垢まみれのクソガキ達の中で暮らすのとどちらが良いか決めろと言われたら、、、、、イギリスとかはダメなんスかあ?とか、とりあえず聞いてみてからやはり日本を選ぶでしょう、、、か、ね。うーん、分かりませんな。まあ私は「どこで暮らしても同じだろうと、、、」(浅川マキ「少年」)なんて思っているのですが、私の場合はどちらかというと悪い意味です。どこの国でも嫌な部分はあるし嫌なヤツもいますからね。どこ行ってもダメなヤツはダメですし、、、。だからどこでも一緒といえば一緒です。 そう思うと、例えば村上龍などが繰り返し,海外に行けば何とかなると主に若い読者に向けて書いているのを読むと白けてしまいます。彼の帰国子女に対するコンプレックスも見苦しいですし、、、。何処でも誰でも、思っているほどたいしたことはないんだ、というニヒリズムがあって、で、本来そこから作家が生まれるものではないのか。確かに80年代というのはとにかく外国に行ったら勝ち、みたいな風潮がありましたがね。80年代ってオウムと宮崎勤以外なにも残らない文字どおり無残なDECADEでしたが、、、。とにかく、何処に行っても人間は変わらないです、と、まず各自銘記しましょう。 「だからなんなんだよ、おめー、エラそーに」とか言われそうですね。「どうやって今までの話をまとめるんだ、このヒマ人め!」とか、、、。へへっへー。ナンも考えてないでゲスよ。ただ、実は日本でDVDの「摂氏零度」というの買ってきたので昨日家で観たのです。これは私の生涯順位3位内に入る映画「ブエノスアイレス」(ウオン・カーウアイ:香港/1994)のメイキング及びインタビュー・フィルムです。この映画が好きな人は「摂氏零度」は必見ですよ。噂に聞いていた本編の数十倍の長さのフィルムの一部が垣間見られますし、全く別のストーリが存在したこともわかり衝撃的です(フェイが自殺未遂している!!)。この映画はブエノスアイレスを舞台に香港人の愛憎を描く物語です。ハイ、あらすじ終わり!(いつものごとくはしょりすぎか)。異国の中で異邦人となった人たちが登場するのですが、世界に(から?)投げ出されたような壮絶な孤独感が映画全体に満ち溢れ、観ると私なんか眩暈がするほどこの映画の世界に浸ってしまいます。今回、この、楽屋話的ではあるが、映画が現実世界もそうであるように誰も知ることのない複数の出会いや物語を持っているということがわかるこの「摂氏零度」を観終わって私は、実は我々は異国から故郷に帰る途中で果てしない寄り道をしているだけなのではないのか、と思ったのです。「故郷」とは国ではなくて例えば今の現実の生活の基盤を失ったら帰るべき場所です。しかも実際はそんなところはすでに無く、我々は皆それに近い場所を探すか作るしかないのです(作る手伝いをしてしまったのが「惑星ソラリス」です)。前回に私がブログで書いた「サンクチュアリ」もその「故郷」に重なります(ただし多分これは一つではない)。そこ以外は実は通過点でしかありません。何処の国に住むかはなんら問題ではないのです。 80年代に席捲したニューアカ・相対主義は今になって悪い影響ばかり強調されますが、この思想が持つニヒリズムの果てしなき荒野に「故郷」という仮定された定点を打ち込みさえすればそこを中心にして裏返りなんらかの「希望」が生まれるのではないかと私は考えます。映画「ブエノスアイレス」では「生きてさえすればいつかまた必ず会える」という「故郷」をテコにして絶望から希望を生み出そうとしています(「ブエノスアイレス」の原題は「春光窄漏」{春光一瞬漏れる}です)。 そうです。我々は皆、帰る途中なのです。帰るための旅費がないのでバイトしたり就職したり、寝るためのアパートを借りたりしているのです。寂しくて他の「帰る途中の人たち」と友達になったり恋人になったり結婚したり、また子供を生んだりします。それは非常に苦しく、中には自分が「故郷」に帰る途中であることを忘れてしまい、目先のことばかり考える卑小な人間に落ちぶれてしまう者もいます。しかし我々の故郷は今いる此処にはありません。故郷とは日本でもフィリピンでも中国でも、家でも会社でもフィリピン・パブでもカラオケでもないのです。現実には何処にもありません。あると言っているヤツがいればそいつは嘘つきです。故郷=希望は形を変えて次々に我々の前に現れます。宗教的な姿をしているときもあれば政治的な理想の形をしているかも知れません。しかしそれらはニセモノです。騙されてはいけません。何処にもなく、それは、「故郷」とは、絶対に自分の内だけに存在するものです。「希望」とは自分自身でしかないのです。 今回大阪の実家に帰ったとき、私の部屋に昔から使っていたカラーボックス(安物の本棚)がまだありました。1500円くらいのスーパーで買ってきたやつで、その側面にビーバップ・ハイスクールのシールなんかが張っていて情けないですが、なんかいろいろ思い出してしまいました。その部屋には13歳くらいから大学に受かり京都に下宿するまで住んでいたのですが、まあもちろんあまりいい思い出などないのですけど、なぜか、私の内にある「故郷」にはこのカラーボックスがあるような気がするのです。