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カテゴリ:交通
1985年8月12日の日航機事故から29年が流れた。
その時のことはよく覚えている。 仕事が終わって家でフジテレビのニュース(スーパータイム)を見ていた。 緊急事態の第一報は逸見政孝と幸田シャーミンが読み上げた。 それから番組は飛行機の行方を追った。 いくつかの目撃情報が寄せられ、群馬・長野県境のぶどう峠という地名が報じられたりした。 しかし実際に飛行機が墜落したのはそれよりはだいぶ南側の御巣鷹山にほど近い地点だった。 地図で見るとこのあたりだろうか。(左が昭和51年の5万分1、右が現在の地理院地図) 現在の地図では道路ができており、その終点に記念碑の記号がある。 これが慰霊碑と思われる(図中赤丸)。 今日、奇しくも自分に当時第一報をもたらしたフジテレビが特番を組んだ。 ボイスレコーダーのより精度の高い解析と、一部の生存者と遺族の証言をもとに当時のコックピットとキャビンの様子を再現したものだった。 生存者全員の証言ではなかったので、取材に応じてくれた方の証言を再現の根拠としていた。 (生存者にとっては思いだすのも辛いことであることは十分に察する) 実際の様子をどこまで再現できたのかは分からない。 ただ、この番組を事故から29年目のこのタイミングで放送することにはそれなりの意味があったのではないか。 遺族の高齢化や世代交代により徐々に事故の詳細な記録が困難になるであろうこと、そして多くの若者は事故のことを知らない世代であり、単独事故としては世界航空史上最大の犠牲者を出した事故でありながらも、風化の懸念もあっただろう。 実際に出演した遺族でも、事故の後に生まれた人も多かった。 航空機は事故が起きてその原因を究明して対策をすることでより安全な乗物へと進化する。 日航機事故が多くの教訓を残したことも事実だろう。 このような悲劇が繰り返されないことが犠牲になった方に報いることになるのかもしれない。 事故機と同型のB747、いわゆるジャンボジェットは日本の国内線から既に退いている。 そして奇しくも政府専用機がJAL整備のB747からANA整備のB777へ変更されることがこの日決まっている。 この日が慰霊と空の安全を忘れないための大切な日として続いていけばいいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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