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2014.09.08
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カテゴリ:災害記録帳
防災週間過去の災害記事第8回(そろそろ最終回にしなければいけませんね)は「島原大変肥後迷惑」を。


「島原大変肥後迷惑」はユニークな名称とは裏腹の日本最大の火山災害だ。
この災害は火山災害でありながらも、地震、土砂災害、津波と多くの要素が重なった最悪の災害となる。おりしも島原藩は藩主松倉重政の悪政や寛永14年(1637年)の島原の乱で領内が荒廃、ようやく復興を遂げた矢先に訪れた災難だった。そしてまさかの甚大な被害を被った対岸の肥後にとっては、想定外の大災害であった。


普賢岳噴火と四月朔地震

島原半島の中央にそびえる雲仙岳では寛政3年(1791年)秋頃から地震が頻発、火山活動が始まっていた。翌寛政4年(1792年)正月18日には普賢岳が噴火し、2月には溶岩流の噴出もあった。「三月朔の地震」では島原で震度5~6の揺れがあり、地割れや湧水の発生が見られた。さらにその後も震度4~5程度の地震が何度か続いていた。
現代であれば、この段階で避難勧告等があってしかるべき状況だろう。

火山活動が始まった頃には、噴煙を見物する者が集まり、中には宴会を催す集団もあったというが、3月に入り地震が頻発したことで島原の町から避難する人々も多くなる。しかしやがて小康状態になったことで人々は徐々に町に戻りつつあった。そんな折、4月1日、「島原四月朔地震」が発生する。

20時頃、震度6の揺れが島原を襲った。そして雲仙岳の東側、島原の町のすぐ裏にそびえる眉山(普賢岳の手前にある山の意である「前山」から転じた山名)が轟音とともに大きく崩れ落ちた。


岩屑なだれと大津波

崩れた山は岩屑雪崩となって島原の町を直撃した。崩れた土砂は3億4000万m3に及び、人も家も田畑も飲み込みながら有明海へと流れ込んだ。
流れ込んだ土砂が大津波を発生させる。津波の高さは10mとされ、島原ばかりでなく、有明海の対岸である肥後や天草をも襲った。さらに肥後の海岸で反射した津波は島原を再び返り被害を拡大させた。

津波の遡上高は肥後側で15~20とされ、三角町大田尾では22.5mに達した。島原半島側では布津大崎鼻で57m以上との記録もある。

この災害による死者は島原側で5000人、肥後側で1万人といわれ、日本最悪の火山災害である。
この時有明海に流れ込んだ土砂は島原の沖で九十九島を作りだした。これは流れ山と呼ばれる、山体崩壊により形成される火山地形となる。

なお、三月朔地震の直後に眉山の直下で、南北720m、東西1080m、滑落崖90mという「楠平の地すべり」の発生と地下水位の上昇があったことが分かっており、山体崩壊の前兆現象として避難行動をとっていれば犠牲は少なかったのではないかといわれている。もっとも、その場合でも対岸の肥後では、まさか大津波が押し寄せることなどは夢にも思わなかっただろう。

外海でなくとも津波が襲う可能性があるということ。この時代ばかりでなく、現代でもなかなか想定されにくいリスクかもしれない。

島原1.jpg
<眉山の崩壊跡と九十九島(地理院地図より)。山体崩壊と土砂が流れた跡が九十九島や島原市街にかけて見てとれる>

島原2.jpg
<津波は島原から対岸の肥後に達し、反射して再び島原を襲った(地理院地図より)>


眉山崩壊メカニズムの謎

眉山が崩壊した原因については、これまでも様々な議論がされているが、今もって定かではない。

一つは火山爆裂説である。
根拠は眉山自体も雲仙岳に所属する火山であり、古記録に爆発を示唆する火気・噴煙・硫黄の匂いや微弱地震などの記載があること、あるいは馬蹄型崩壊跡と前面の流れ山の存在が、火山爆裂特有の地形であるとするものだ。

一方現在最も有力とされているのが地震崩壊説だ。
これは眉山そのものが局部的に砂状に砕かれ、また地下水を多く含んで崩れやすいこと、古記録にある崩壊時の地響きが爆発音にしては小さいこと、そして火山噴火であれば地震→小爆発→爆発→溶岩流出という一般的なプロセスに矛盾があるとするものだ。

この他普賢岳の噴火活動の影響により眉山山体内で熱水が増大し、地すべりを誘発したという説や、普賢岳へのマグマの上昇で熱水圧が高まり岩盤郷土が低下した上、浅い直下型地震が引き起こされたとする説もあり、メカニズムは完全に解明されていない。


土砂災害による津波の例

島原大変肥後迷惑は日本の災害史上でも稀なケースではあるが、土砂災害による津波の発生そのものは決して起こり得ないことではない。

最も有名な事例は1963年にイタリア北東部のバイオントダムで発生した津波だろう。深く狭隘な谷に建設されたダムで262mという堤高は当時世界一であった。
このダムの上流で大規模な地すべりが起こり、それにより発生した津波はダム下流の集落を襲い、2000名の犠牲者を出す惨事となった。

なお、国内でも平成23年(2011年)7月19日、台風6号の影響で高知県の平鍋ダム上流で土石流が発生し、その衝撃によりダム湖で5m以上の津波が発生、ダム堤を乗り越える事態が発生した。堤上部にあった電気制御設備が損傷したが、幸いにも人的被害はなかった。

また、現段階での津波の到達高度の世界最高記録は1958年のアラスカ南端のリツヤ湾における520mというとてつもない数字だが、これは氷河地形であるフィヨルド特有の急峻な斜面が地震により崩壊し、9000万トンにものぼる岩石が一気に湾内に落ちたことで発生した津波が対岸に達した際に記録されたものであり、通常の津波と異なり湾外へ出ると消滅している。

このような被害の例は決して偶然ではない。火山災害は山体崩壊を伴うことがしばしばある。こうした事例が過去にあったことは知っておいた方がいい。
あとで「想定外」なんてことにならないためにも。



※この記事は2012年に書いた文章を一部改編したものです。






Last updated  2016.03.06 13:24:04
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