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2014.09.30
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カテゴリ:災害記録帳
平成5年(1993年)7月12日22時17分、寝入りばなの奥尻島を北海道南西沖地震(M7.8)が襲った。震度6(推定。当時奥尻島には地震計が設置されていなかった)、死者202人、行方不明者28人。被害を大きくしたのは発生直後に来襲した大津波だった。第1波がやってきたのは地震からわずか3分後。津波警報の発令よりも早かった。島南端の青苗地区は特に被害が大きく、火災と津波で潰滅、住民の1/3にあたる70人の死者・行方不明者を出す惨事となった。


恐るべき高速津波

地震の震源は日本海で、新潟地震や日本海中部地震と同様にユーラシアプレートと北米プレートの境界で発生している。プレート境界であることから元来歪みがたまりやすい条件にありながらも地震空白域となっていた地域だった。

この地震に伴い発生した津波は初速が時速500kmといわれ、地震発生からわずか3分で奥尻島に、7分で北海道南西海岸に到達した。津波は秋田、新潟、舞鶴、隠岐と日本海に広く伝わり、韓国の鬱陵島で3m、江原道三陟でも1mの高さになり、港に係留中の漁船15隻が沈没、11 隻が破損する被害が発生、ロシアでも行方不明者が3人出ている。

奥尻島での津波の高さは藻内地区で21m、発松前やホヤ石付近で11m、青苗地区で5~10mとされる。大学等の調査では藻内地区で30.6mに達したという報告もある。

第1波は島の西海岸に到達したものが最も早かった。また、津波は1波では治まらず、翌朝にかけて4波、5波の大波が島を襲ったとされる。これは島を回り込んだ波や、北海道本島で反射した波が繰り返し押し寄せたことによる。最大波は第2波で、これは島を回り込んで大きくなったものだった。
特に被害が大きかった青苗地区は島の南端に岬上に張り出していることから、西からの波を受け、さらに東からも襲われるという悪条件が重なっていた。

奥尻島被害状況.jpg
<奥尻島の被害状況(奥尻町HPより)>


被害が集中した奥尻島

被害の多くは津波によるものだ。津波での死者・行方不明者は奥尻島で198人と人口の4%に及び、北海道本島でも島牧村で7人、北檜山町で4名、瀬棚町・大成町(いずれも現せたな町)ではそれぞれ10名・6名の犠牲を出している。

津波の到達が早かった奥尻島では、津波が避難途中の人々を容赦なく飲み込んだ。助かった人の多くは着の身着のままで高台に駆け上がった人たちで、逆に犠牲になった人たちの多くは、車で避難しようとして渋滞にはまったり、家族と一緒に避難しようと留まったり、近所の人たちに避難を促して回っていたり、あるいは一度避難したものの何かを取りに戻るなど、避難行動に躊躇が見られたケースがほとんどだった。

中には歩けないお年寄りを避難させようとリヤカーに乗せて一人で曳いていたところを津波に飲まるという悲劇もあった。「津波てんでんこ」の精神が守られていれば、防げたかも知れない犠牲だったが、同時に高齢化が進む過疎地における共助の難しさを示す例でもある。

また、10年前の日本海中部地震の際も奥尻島を津波が襲っているが、その時は津波到達まで17分とやや時間があったため、その経験が災いして避難が遅れたケースも報告されている。同じ災害は二つとない。過去の災害教訓の逆作用については今も変わらぬ課題である。

逆に引き波に家ごとさらわれながらも屋根の上に上って漂流していて漁船に発見されて助かった例もあった。生死は常に紙一重のところで明暗を分ける。

津波の被害が大きかった奥尻島青苗地区では火災が発生し、延焼拡大して189棟を焼く大火となった。これは住民が津波からの避難を優先したことや、消防隊が津波により道路が通行不能となったことから火元に近付けなかったため、有効な消火活動ができなかったことが大きな要因となった。

また、奥尻地区では大規模な斜面崩壊でホテルが下敷きになり、宿泊客など28人が亡くなるという被害もでている。
一方、この地震の被害の特徴として、地震動による建物の被害がそれほど多くなかったことが挙げられる。これは北海道の住宅特有の強固な基礎がひとつの要因であると考えられる。

aonae.jpg
<津波に襲われた青苗地区(奥尻町HPより)>

青苗地区の被害状況.jpg
<青苗地区の被害状況(建設技術研究所資料:奥尻町HPより)>


津波警報のあり方

この地震で気象庁とNHKは地震発生5分後に大津波警報を発表した。日本海中部地震では発表まで14分を要していることを考えれば大きな進歩だったが、それでも奥尻島では津波到達に間に合わなかった。なお、奥尻町では独自の判断で、地震の3分後に大津波警報に先駆けて防災無線で「津波の恐れあり」として避難を呼び掛けていたが、これも生存には直結しなかったとされる。

津波警報が第1波に間に合わなかったという事実は、災害に対する技術の限界を示すものであり、重く受け止める必要があるだろう。そして、例え間に合っていたとしても、3分間でどれだけの避難行動がとれるのか、今をもってなお解決できない様々な課題を突き付けた地震であった。
政府の有識者検討会が2014年8月に日本海を震源とする大規模地震について初の調査報告書を公表したが、その中で地震発生から津波到達までの時間は最短1分という地域もあった。今後様々な対策が検討されるだろうが、ハードとソフトのそれぞれの強みを生かした複合的な対応が必要になってくるだろう。

また、当時の大津波警報は予報文をそのまま流すものだったのだが、予報文は「高いところでおよそ3m以上に達する」となっていたため、避難しなかった住民も多かった。このことから気象庁とNHKではその後予報文をそのまま発表するのではなく、「場所によっては予想より高い津波が襲う」「津波は第1波よりも第2波以降が高くなることもある」「津波は何回も襲う」といった文言を追加することとなった。しかしそれも東日本大震災における津波で効果的に生かされたとはいえない。

この地震のようなケースを考えると、「地震即津波」と考えていち早く高台へ避難することを徹底する以外、有効な対策はない。



※本記事は2012年に執筆した文章を一部改変してまとめたものです。






Last updated  2016.03.06 14:29:02
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