2016/06/08(水)01:33
ニュータウンの現在と未来
「耳をすませば」の舞台になった東京都の聖蹟桜ヶ丘が「完全に寂れた」(livedoorニュース)
「最も凋落が著しい高級住宅街」として名前が上がってるのが多摩市の桜ケ丘。
週刊誌の記事なので「没落するセレブタウン」などと煽っているが、何もセレブタウンに限った話ではなく、いわゆる高度成長期に端を発した「ニュータウン」全体に共通する問題であるといえる。
中心市街地の人口が飽和状態になったことで、郊外を開拓する形で整備されたのがニュータウンであるが、その根底にはイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した田園都市(都市の社会・経済的利点と農村の生活環境を結合する形で自然との共生を目指す)や、アメリカのクラレンス・ペリーが唱えた近隣住区(計画都市と地域コミュニティの形成により日常生活を住区の範囲内で完結させる仕組み)といった考え方があった。
しかし経済成長が鈍化したことや社会の少子高齢化により地域コミュニティの機能が低下し、地域内の小規模店舗は維持できないなど目指したところの機能は果たせなくなりつつある。
また、ニュータウンの乱開発は自然との共生には程遠く、近年では開発に伴う谷埋盛土の存在が災害時の脆弱さにつながるといった防災面の課題も指摘され、ニュータウンは未来へ向けて何らかの転換を迫られる結果となっている。
記事に書かれている桜ケ丘もはまさにそうした問題が顕著に現れている地域といえるかもしれない。
交通の便が悪く(駅までバス便であることが多い)、坂が多いため徒歩や自転車による移動が大変で、高齢になって車の運転ができなくなるとどうしても出不精になりがちになる。
地域内の店舗が少なくなっていることから繁華街(駅周辺)まで買い物に出なければならないのもネックになっているようだ。
今昔マップで明治期の地図を見てみると、現在の桜ケ丘周辺は山(丘陵地)で、集落は街道沿いに点在するのみだったことが分かる。
住宅街の輪郭が出来上がるのは1960年代の高度成長期で、1970年代にはほぼ現在の形が完成している。
つまり住宅街としては「アラフィフ」ともいえる世代。
当時働き盛りの30~40代で購入した層も現在では後期高齢者。
そのまま代替わりしていればいいが、記事にもあるように子どもが家を継いでいないケースも多い。
家そのものも築40~50年だとかなり傷みがきていることも想像に難くない。
現在全国のニュータウンで同じような問題が起きている。
当時多くの人が夢に見た「マイホーム」。
それは必ずしも住居を指しているのではなく、そこに集い幸せに暮らす家族像そのものだったはずだ。
ニュータウンはその象徴の一つだったが、少子高齢化とそれに伴う社会や経済の変化は家族のあり方にも大きな影を落としているのではないか。
そんなことを考えずにはいられない。