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ちずらぼのちずらぶ

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2015.01.25
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東京23区で緑が多い区はどこか?

東京都建設局のホームページに掲載されている東京都都市公園等区市町村別面積・人口割比率表(平成26年4月1日現在)をひも解けば分かる。

国都区市町村立の都市公園等(自然ふれあい公園、海上公園等を含む)の区別の面積を可視化(地図化)したのが次図。

150125_1.png

葛西臨海公園(805,861m2)のある江戸川区がダントツの1位。

2位は木場公園(238,711m2)や猿江恩賜公園(145,088m2)のある江東区。

1位:江戸川区(7,652,331 m2)
2位:江東区(4,296,935 m2)
3位:足立区(3,222,124 m2)
4位:世田谷区(2,815,162 m2)
5位:大田区(2,804,146 m2)
6位:練馬区(2,071,605 m2)
7位:板橋区(1,951,802 m2)
8位:葛飾区(1,931,730 m2)
9位:千代田区(1,702,767 m2)
10位:渋谷区(1,640,407 m2)

では、1人当たりの面積ではどうか?

150125_2.png

1人当たりの都市公園面積等が5m2を超えているのは次の5つの区。

住民が少ない千代田区(33m2/人)を別とすれば、江戸川区と江東区は絶対面積も1人当たりの面積も多いことが分かる。

1位:千代田区(33.05m2/人)
2位:江戸川区(11.34m2/人)
3位:江東区(8.97m2/人)
4位:渋谷区(7.69m2/人)
5位:港区(6.45m2/人)

ゴミの埋め立てによって、緑豊かな都市公園を獲得した江戸川区と江東区。新築マンションが多い区でもある。

(マンション・チラシの定点観測より)
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ちなみに23区内の都立公園の面積ランキングがこちらにあった。

150125_3.jpg

1位の水元公園(葛飾区)936,999m2と2位の葛西臨海公園(江戸川区)805,861m2が圧倒的に大きい。
江戸川区では篠崎公園も10位に入っており、緑が多い区であることが分かる。

東京は都心にもそれなりに緑があり、1人当たりで千代田区が1位なのはそれに加えて居住者人口が少ないこともありそう。
江戸川区や江東区は大型公園が功を奏している印象だが、それぞれの居住地の近くに都市公園が配置されているのかどうかは別問題。
実際葛西臨海公園や夢の島公園など臨海部の埋立地に位置しており、「居住地に緑が多い」と単純には言えない。

この辺りは、実際にそれぞれの区の住民へのアンケート等で居住者の感触というのを聞いてみたい気もするのだが。






Last updated  2015.01.25 14:08:48
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2013.03.24
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小田急小田原線の東北沢、下北沢、世田谷代田の3駅(いずれも東京都世田谷区)が、23日の始発から地下化された。
同日未明には代々木上原−梅ケ丘駅間にある9カ所の踏切が撤去され、朝夕のラッシュ時の1時間のうち40分以上閉まっていた「開かずの踏切」が解消した。

下北沢駅では23日午前4時40分に新しい駅舎が開放され、カメラを手にした鉄道ファンらが入場。
同55分、始発の新宿行き普通電車がホームに入ると、カメラのフラッシュが一斉に瞬いた。
駅舎はまだ工事途中で、昨夜まで使われていた地上の線路とホームには立ち入りできないようフェンスが張られていた。

周辺の飲食店では地下化に合わせて若者の交流イベント「街コン」が開かれた。
100人近くの参加者が22日夜から翌朝まで飲食を楽しみながら、「地上」の終電と「地下」の始発を見届けた。
参加した近くの会社員、篠倉智樹さん(32)は「開かずの踏切がなくなり便利になるのはうれしいが、逆に街の風物詩がなくなってしまうようで寂しい思いもある」と話していた。

(毎日.jpより)
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前週の渋谷駅に続いて、今度は下北沢駅が新旧交代。

懸案でもあった開かずの踏切の解消が実現したのは安全面でも導線面でも大きな一歩。
そして地下化は街の景観を大きく変化させるトリガーとなる。

雑然としたおもちゃ箱的面白さは下北沢の大きな魅力でもある。
裏路地まで個性的な店が立ち並ぶ様は東京の中でも独特の位置づけで人気も高い。
若者を中心とした文化の発信地としての顔もある。

一方で狭い道路と建て込んだ街は防災面での危険が指摘されており、再開発を促す声もある。
しかし自然発生的に存在感を確立した下北沢の存在価値はその混沌にあるともいえるだけに、商店街を中心に反対の声も大きい。

今後の街のあり方は依然として五里霧中。
合意形成の難しさはあるものの、安全安心も重要な選択肢ではある。

小田急の地下化が街の今後にどのような影響を与えるのか、まずは見守りたい。







Last updated  2013.03.24 03:02:46
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2012.09.05
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東京都千代田区の景観まちづくり重要物件に指定されている大正時代の銅板建築「柏山(かしやま)邸」(神田須田町一)が十月、老朽化のため取り壊される。
将棋の駒のようなユニークな形の「マンサード屋根」を持つ建物を記憶にとどめてもらおうと、近隣にある大学の学生らが「お別れ会」を企画、パネル展示やライトアップなどで、およそ九十年の歴史の幕引きをする。

PK2012090402100123_size0.jpg

神田のオフィス街にある木造三階建ての建物は、交通博物館があった旧万世橋駅跡地の目の前に位置する。
正確な年月は不明だが、大正期の建造とされ、家の正面部分に、現在は薄緑色になった銅板が張られている。
屋根は勾配が上部は緩く、軒に近い方で急に折れ曲がっている。

この十七世紀のフランスの建築家が考案したマンサード屋根と、銅板との組み合わせは珍しく、区が重要物件に指定した。

戦時中、付近一帯は空襲を免れ、戦後は一階でボタンやジッパーなどを扱う洋服の裏地店が営まれてきた。
所有者の柏山和子さん(86)は店主だった夫を亡くし、三人の子どもが独立した後、八月まで一人で暮らしていた。
「周囲のビルの建て直し計画や、家屋がやや傾いている状況などを考え、残念だが売却し、近くに引っ越すことにした。あと五年は住んでいたかった」と柏山さんは話す。
一帯は再開発され、オフィスビルが建つ予定だ。

「お別れ会」を催すのは、地域の街づくりを手伝っている日大、東京電機大、明大、東京芸術大の学生やOBら約二十人。
日大OBで、区観光協会に勤務する本郷寛和さん(30)が呼び掛けた。
「建物は協会のまち歩きツアーのコースだった。柏山さんに大変お世話になり、恩返しをしたかった」と本郷さんは話す。

九月十~十二日、柏山さん家族が暮らしていた二、三階の内覧会や、昔の写真などのパネル展示をするほか、最終日の夜には建物をライトアップし、柏山さんや近所の人々を招いての懇親会を開く。
一方で建物の内部を計測、平面図や立面図を作成したり、ビデオ撮影するなど、記録に残す作業も進めてきた。

メンバーの一人、明大理工学部建築学科四年の山本真兵さん(23)は「秋葉原に近く、周囲の開発が進む中で、魅力的な建物がよく残っていた。味のある銅板が、昔はどんな色だったのか想像すると楽しい」とメジャーで熱心に計測していた。
学生たちの行動に柏山さんは「本当にありがたく、感謝しています」と語った。

内覧会などは誰でも参加可能。問い合わせは区観光協会=電03(3556)0391=へ。

<千代田区景観まちづくり重要物件> 歴史的な価値があり、区民に親しまれている建造物などを、区景観まちづくり条例に基づき指定する。所有者が保存工事を行う際に、区は専門家の派遣や工事費の一部を助成している。今年3月現在、日比谷公会堂、神田まつや、聖橋など51件を指定。所有者の申し出などにより、指定を解除する場合がある。

(東京新聞より)
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神田でも須田町など一部の区画は戦災を免れたことで古い建物が残っている地区で、関東大震災後に建てられたいわゆる看板建築が並ぶ。
軒がなく、防災対策として区画整理で道路幅を広げたことによる敷地は減歩から生まれた苦肉の策ともいわれる、また耐火性を向上させるため、外側を銅板で覆ったため独特なルックスになった。

時代の象徴だった看板建築も多くは戦災で焼かれ、神田の一角に残るのみとなっている。
それでもこの一角には藪やまつや、伊勢源、ぼたん、竹むらといった老舗が軒を連ねることもあり、レトロ気分を味わいに訪れる人が多かった。

柏山邸もそんな古き良き時代を感じされる建築のひとつだけに寂しい。

古い景観を残したい一方で、防災上の観点から再開発が必要との声もある。
直下型地震の激しい揺れによる倒壊や火災から街を守るには、やはり耐震や免震といった構造上の対策を進めざるを得ない。

東日本大震災では歴史的建造物である九段会館で天井が落ちて犠牲者が出たこともあり、この問題が急浮上した。
人気の高かった九段下ビルディングも、倒壊の危険があるということで解体されてしまった。

多くの人の命を守る上で防災対策を放棄するわけにはいかない。
しかしその流れの中で街の景観を作っていた伝統的建築物を解体せざるを得ないというジレンマ。
今後の東京を考える時、避けて通れない問題なのかも知れない。






Last updated  2012.09.05 00:42:00
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2012.06.01
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大街道商店街の89店舗の写真をアクリル板に納めて、街並みを100分の1サイズで再現した「ミニチュア大街道」が、松山市一番町の松山三越アトリウムコートで展示されている。
松山大街道商店街振興組合(日野二郎理事長)が、県内の写真家や画家らに協力を依頼し、6か月かけて制作したもので、訪れた人らは「商店街に親しみがわきますね」などと話していた。

20120530-085071-1-N.jpg

ミニチュアは、同組合の梅林良一理事らが「ひと目で商店街がわかるものを作ろう」と企画。
県内の写真家に頼んで、一番町から三番町にかけて並ぶ89店の写真を撮ってもらい、アクリル板に転写。
同じ街並みになるよう、長さ約3・5メートル、幅56センチ、高さ20センチのアクリル板製のアーケードを作った。
梅林さんらが特に苦労したのはアクリル板の透明度。
写真が鮮明に見えるようにするため、メーカーに何度も作り直してもらったという。

アーケード内をのぞき込むことも、外側から眺めることもでき、外側からだと、写真は左右反転して見える。
買い物に訪れた松山市内の今井映子さん(50)は「商店街の様子が分かりやすくまとまっており、かわいい」と笑顔を見せた。

6月4日まで松山三越で展示。その後は、立体的なフロアマップとして、商店街の路上に設置することも検討する。
梅林理事は「実際に多くの人に利用してもらう日が来るのが楽しみです」と話していた。

(読売新聞より)
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子どもであれ大人であれ、模型というのはわくわくするものだ。
精巧なジオラマなどはいつまで見ていても飽きない。
これは男の子特有の習性なのだろうか?

松山でもっともにぎやかな大街道の模型。
商店街振興会も力が入っている。
ベースが写真というのも面白い。

立体的なフロアマップという位置づけもいい目の付け所。
せっかく作ったのだから、ただ展示するだけでなく、大街道の名物にしたいところ。
この手法で古い時代の大街道の姿を模型で復元して、現在の模型と比べられたら楽しいと思う。

是非見てみたいが、松山はちと遠いかな。






Last updated  2012.06.01 00:44:10
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2012.05.23
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東京の墨田区押上は、京成線や地下鉄半蔵門線など4路線が乗り入れる交通の要衝ながら、これといった特徴のない下町のローカルタウンだった。

それが東京スカイツリーの出現で、突如として全国区の知名度となり、タワーの建設中から多くの人が押し寄せている。

当然地元への波及効果も期待されており、周辺の商店街はご当地キャラクターを作ったり、独自のみやげ物を考案したり、開業直前の週末にはみこしを担いで雰囲気を盛り上げるなど、波に乗ろうと準備を進めてきた。

しかし東京の下町で生まれ育ち、今もスカイツリーを近くに眺めて暮らす筆者としては、目論見通りに事が進むかどうか気がかりだ。

最寄りの押上駅、とうきょうスカイツリー駅(旧・業平橋駅)から周辺のどの商店街へ行くにも、スカイツリーまでの道から少し外れるか、逆方向に歩かなくてはならない。

しかもスカイツリーには300店以上を収容する巨大な商業施設が併設されている。
飲食も買い物も、すべてスカイツリー内で完結し、期待していたほど周囲にお金が落ちない懸念が浮上している。

隅田川を挟んで、浅草という横綱級の観光地が隣接していることも、押上には不利に働くかもしれない。
遠方からの観光客が、スカイツリー見学のついでにもう一カ所訪れるとしたら、回り道が必要な商店街よりも、電車で3分程度の浅草に向かう可能性が高い。
浅草寺の五重塔とスカイツリーを同じ写真に収めるのは悪くない。

ただ、押上界隈にも潜在的な集客力はある。

スカイツリーから程近い鳩の街通り商店街の周辺は、作家・吉行淳之介の芥川賞候補作「原色の街」、芥川賞受賞作「驟雨」の舞台となった。
もう少し足を伸ばせば、永井荷風が「?東綺譚」で描いた玉の井(現・東向島辺り)があり、往年を忍ばせるタイル張りの民家がわずかながら今も残る。

すでに鳩の街には古民家を利用したカフェなどが登場しているものの、文豪の遺産を観光資源としてさらに生かせば、文京区と台東区にまたがる谷中・根津・千駄木のような、文化的な香りのする人気スポットになれるかもしれない。

スカイツリーの近くまで行くと、昭和のまま時代が止まった町並みに、何の脈絡もなく巨大な塔がそびえ立つ風景に少しぎょっとする。
スカイツリーという巨木は、栄養を吸い上げて周囲を枯らしてしまうのか、それとも周囲と調和し、たわわな実を落として地元を潤すのか。
スカイツリーは5月22日、開業した。

(ロイターブログより)
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華々しく開業した東京スカイツリー。
天候が悪かったり、強風でエレベーターが止まったりと上手くいかない部分もあったものの、あれだけの人が並んだという事実からもその注目度が尋常でないことを感じる。

ツリーだけでなく、水族館や商業施設など、付属施設も充実している。
東京でも今後一大観光拠点となっていくことは間違いないだろう。

ただ、記事にあるように地元商店街への波及効果については危惧される部分も多い。
街の活性化に際しては極力地元への配慮がされてしかるべきだが、以前からこの点については疑問を持っていた。

例えば、駅名の改称。
業平橋駅は東京スカイツリー駅になった。
東武鉄道にとってはシンボル的な意味合いも強く、意図は分からなくもない。

ただ、地元はスカイツリーの開業を期待して「おしなり君」というキャラクターを導入していた。
おしなり=押上と業平橋である。
これで駅名を変えられてしまったら立つ瀬がない。

要は、事前に地元との協調がしっかりとされていたのか、という疑問である。
開発の方針や、商業施設に伴う地元商店街の立ち位置など、ある程度配慮されるべきではなかったか。

場所だけ提供して根こそぎ持っていかれるのでは地元にとってあまり美味しいものではない。
街づくり的な部分では、企業の論理があまり前面に出過ぎてしまうのも感心しない。

地元への配慮はどの程度されているのだろうか。
そして商店街に利益をもたらすことになるのだろうか。
開業後の動向を注目したい。






Last updated  2012.05.23 00:06:17
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2012.04.02
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赤レンガで親しまれたJR東京駅丸の内駅舎の外観復元工事がほぼ完成した。
1945年の空襲で焼失した3階とドーム部分が復活。
1日までに足場や工事用シートの大部分が除去され、67年ぶりに創建当時の姿がよみがえった。

20120402k0000m040018000p_size5.jpg

同駅舎は924万個のレンガを使って1914年に完成。
空襲の2年後に修復工事をしたが、焼失部分は復元せず2階建てのままだった。
80年代に復元機運が高まり、07年から焼失以前の姿に戻す工事を進めていた。

復元後の駅舎は、東日本大震災で被災した宮城・雄勝産の天然スレートを南北ドームなどに使用。
尖塔(せんとう)部を含めた高さは46.1メートル、床面積は復元前の約2.2倍の4万3000平方メートルに拡大された。

今後は内部の工事が進み、6月には現在の仮改札が正規の改札として本格的に使用できるほか、みどりの窓口などが営業を始める。
さらに10月には駅舎内の「東京ステーションホテル」も営業を再開する。

(毎日jpより)
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日本を代表する「赤レンガ」の復活。
東京駅の東京駅たる所以。

駅周辺はここ数年で大きな変化を遂げているが、やはり丸の内の景観は赤レンガあってこそ。
かつての姿を復元しつつ、機能的に改良されるいい先例であって欲しいもの。

伝統のステーションホテルの再開は10月。
こちらもどんな姿に生まれ変わるのか、楽しみだ。






Last updated  2012.04.02 01:24:03
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2011.08.28
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門前町は宿場町と並んで街の発展形態として非常に分かりやすい。

それは生活の場としての集落でありつつも、外来者を受け入れる宿命があったことに関係するのかもしれない。

それでも昔の名残を残すような門前の参道は案外多くない。

東京では浅草寺や柴又帝釈天、富岡八幡宮あたりに雰囲気を残すが、明治神宮の表参道などはもはや面影もない(笑)
我が地元の大国魂神社も門前という意味ではあまりそれっぽくない。

そんな中、成田山新勝寺の参道はいい感じだ。
古い建物や老舗の店に交じって、今風のおしゃれな店もある。
全体の雰囲気を大きく壊すことなく、現代の需要を満たしているように見える。

こういうちょっといかした参道を見ると嬉しくなる。
そしてなぜか旅に出たくなるのだ。






Last updated  2011.08.28 00:50:56
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2010.12.10
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現在、青森駅はまさに青森市街地のど真ん中にある
しかし、1891(明治24)年に開業した際は、旧青森町の町外れに位置した。
北海道への連絡船の桟橋と接続するためには、当時の市街地の外縁部に設置せざるを得なかったのである。
その桟橋の建設は1898(明治31)年まで遅れ、それまで渡航客は、浜町桟橋(現青森市スポーツ会館周辺)まで2キロの道を歩くしかなかった。

町外れといいながら、青森駅が面する安方町は青森町が発祥する以前からの古い村である。
安方町は江戸時代初期までは善知鳥(うとう)村と称する漁村だった。
この漁村を、弘前藩では江戸廻米(かいまい)のための拠点港として整備することになり、1624(寛永元)年から、森山弥八郎を開港奉行として港町の建設が行われた。
このとき、新しい町の中心になったのは安方町より東側の現在の本町周辺であり、青森という地名も、本町周辺にあった青い森に由来する。
この小地名が町名になり、近代以降は県名となった。

青森は町奉行と町人の代表である町年寄が支配したが、善知鳥村は、しばらくは町年寄の支配を受けず、漁師村として漁師派頭(はだちがしら)の支配にあった。
青森町年寄の支配となったのは、1714(正徳4)年のことで、現在でも善知鳥神社に名前を残す。

江戸時代の神社周辺は、現在でいうところの官庁街であり、神社の前には青森町奉行所、その南(百貨店の旧「松木屋」周辺)には町奉行屋敷、屋敷の向かいには、廻米を収納する藩の米蔵(御蔵)や材木蔵が置かれた。
ちなみに現在の県庁は御仮屋(おかりや)といって、藩主の巡見のための宿舎が置かれた。御蔵の跡には、明治以降は青森市役所や青森警察署が置かれ(現在は駐車場)、時代は変わっても行政の中心地としての性格は継続されている。

明治末年の地図を見ても、青森駅西口は言うまでもなく、東口にもまだ一部に田んぼが残り、完全に市街地化していない。
明治の青森駅開業から、今年で109年、北海道新幹線との接続を考慮する新幹線新青森駅は、さらに市街地の西側にできた。
まだ空き地も目立つ新青森駅周辺だが、かつての青森駅周辺のように発達していくのだろうか。

(毎日jpより)
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以前から、「青森」という地名に魅かれていた。
それはたぶん子どものころからで、自分に未知の土地であるこの地を想像するにこの二文字はとても魅惑的だったのである。

大人になり、青森という町のことも知り、かつての連絡船への乗り継ぎ駅は新幹線に置いて行かれた現状を知る。
それでも青森という地名の由来は知らなかった。

駅と町の関係は鉄道開業当初から大きく変化した。
かつて国鉄の駅は必ずといっていいほど町はずれにあったが、現在では町は駅を中心に発展する。
記事にあるように青森駅周辺も様変わりし、やがて新青森駅周辺も変化を遂げるであろう。

新幹線の開業で東北本線そのものが表舞台から姿を消すことになる。
東北という地域を支えた大動脈はその役割を終えたのだろうか。

否、新幹線という怪物は都会の論理で成り立っている。
だから地元を救うことにはならないのである。

交通網が発達すれば町は栄えるというのはかつての考え方だったが、現在では逆に流出を助長する。

青森という素晴らしい町がもしさびれてしまうとすれば日本の大きな損失になることを多くの政治家が気づいていないのは残念だ。
地方都市の繁栄こそが日本の未来をつくることを確信している。






Last updated  2010.12.10 01:11:38
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2010.08.23
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京都市下京区の百貨店「四条河原町阪急」が22日、閉店した

京都を代表する繁華街・四条河原町の顔の一つとして人気を集めてきたが、消費の低迷と〈百貨店離れ〉の荒波を受け、34年の歴史に幕を閉じた。

この日は通常より1時間早い午前10時に開店、買い物客らが次々と訪れた。
また、建物北西の外壁にあり、待ち合わせの目印として親しまれた世界地図のレリーフ前では、記念撮影する人の姿が絶えなかった。

午後7時50分、玄関前で、亀井潤一店長(47)が「最後の日まで見守っていただき、ありがとうございました」とあいさつ。
買い物客らの大きな拍手の中、深々と頭を下げる店員の前でシャッターが下りた。

京都市下京区の大学職員、大西観栄さん(32)は「学生時代、待ち合わせ場所といえば阪急だった。買い物でも多くの思い出があり、さみしい」と残念そうだった。

後継テナントには、ファッションビルを展開する丸井グループ(東京)が決まっており、来春開業の予定。

(読売新聞より)
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時代の流れといえばそれまでだが、街の顔ともいうべき百貨店が消えるのは寂しいものだ。
軒並み苦戦する百貨店業界、名門阪急もまた例外ではないということ。

待ち合わせ場所として親しまれていたように、百貨店という以上の意味を街に与えていたのではないか。
もちろん新しいテナントへの期待は持ちたいが、やはり去りゆくものを惜しんでしまうのは年齢的なものなのだろうか。。。






Last updated  2010.08.23 01:19:44
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2010.08.02
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東京の夏の風物詩「隅田川花火大会」が31日あり、約2万発の花火が下町の夜空に咲き乱れた。

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今年で33回目。
東京都墨田区と台東区の会場には95万2千人(実行委員会発表)の観客が集まった。

会場そばには、30日に高さ400メートルを超えたばかりの建設中の東京スカイツリーがある。
今年は実行委に「ツリーを背景に花火の写真を撮りたい。いい場所はないか」との問い合わせが多く寄せられたという。

(asahi.comより)
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33回目を迎えてすっかり東京の夏の風物詩として定着した隅田川花火だが、今年は新参の光景があった。
スカイツリーである。

我々の世代は東京タワーを長年東京のランドマークとして見てきているので、スカイツリーが同じように人々に愛されるだろうか、という疑念が正直あった。
しかし、今年の花火の写真を見る限りツリーは背景として違和感なく溶け込んでいるように感じられた。

東京の下町の新しい光景。
少なくとも、夏の花火にはよく映えていた。






Last updated  2010.08.02 00:26:44
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