2010/01/23(土)20:20
ジーン・シモンズ 清純そのものの美人スターが辿った愛と苦悩
【一生涯保証付・一点もの】[直筆サイン] (映画 聖衣 等) ジーン・シモンズ
ジーン・シモンズ、イギリス映画「ハムレット」がジーンの生き様を変えてしまった。オフィーリアを演じた新人女優は観客の涙を誘い、新聞はこぞって彼女の演技を絶賛した。アカデミー助演女優賞にもノミネートされた彼女は20歳で栄光の渦中にあった。
ジーンは1929年1月31日、体操の元オリンピック選手を父として4人兄妹の末っ子としてロンドンで生まれた。14歳で郊外のダンススクールに入学。程なく新作映画の娘役を探しに訪れた映画プロデューサーの目がジーンに釘付け、強引な説得で映画界入り。
しかし、彼女の望みは、父と母が築いたような平凡で穏やかな暮らしで、決して高望みなどしていなかった。アイダ・フォスターについて演技を学び、後日に備えていた。
欲のない小柄な駆け出し女優の中に、スターの才能が眠っていることに気が付いたのが、ヴィヴィアン・リーやデボラ・カーを見つけ出した大物プロデューサー、ガブリエル・パスカルだった。
パスカルは超大作「シーザーとクレオパトラ」にジーンを抜擢した。その透き通るような美しさに目を見張ったのが、クレオパトラを演じたヴィヴィアンの夫、ローレンス・オリヴィエだった。
2年後、18歳になったジーンをオリヴィエは「ハムレット」のオフィーリア役に大抜擢、彼女はオリヴィエの厳しい演技指導に耐え抜いた。しかも撮影現場には「あんな子供に夫をとられる」と嫉妬と妄想に駆られたヴィヴィアンの目が光っていた。
そんな中で獲得した絶賛の嵐であった。「浮かれるんじゃないよ」と言って映画の世界に送り出してくれた父は、この世になかった。
父の死の穴を埋めるように、彼女は「シーザーとクレオパトラ」で共演した16歳年上のファーリー・グレンジャーと恋に落ち、50年に結婚。拠点をハリウッドに移した。
「聖衣」「スパルタカス」「大いなる西部」「エルマー・ガントリー」「野郎どもと女たち」と立て続けに出演、スターの地位を確実なものにした。その一方、31歳になった彼女は、グレンジャーと離婚、多才ぶりで有能なリチャード・ブルックスと再婚した。
しかし、その後は思うような役が来なくなる悲運に見舞われ、焦りの余りアルコールに逃げ場を求めた。そして、アルコール依存症との戦いに打ち勝ったジーンは48歳でブルックスに別れを告げ、自立し再起の道を歩んだ。
80年代はテレビで活躍、エミー賞も受賞した。2003年には大英帝国勲章を授与されている。
結婚は二度、彼女は惜しくも2010年1月23日、享年80歳で冥土の道を辿って行った。悲しき別れである。
* なお、アメリカのヘヴィメタルバンド「キッス」でボーカルとベースを務めるジーン・シモンズとは同姓同名(但し、Jean SimmonsとGene Simmonsで、つづりは異なる)だが、勿論別人である。