シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

2009/12/11(金)19:06

メリル・ストリープ ハリウッドを代表する”賞獲り女優”

マ~モ(31)

◆一生涯保証付・一点もの◆[直筆サイン入り写真] メリル・ストリープ Meryl Streep (映画 永遠に美しく…) メリル・ストリープ、彼女は28歳でフレッド・ジンネマン監督の「ジュリア」に出演、映画デビューを果たした。まさに遅咲きの女優である。彼女はこの作品に出たいために、名匠ジンネマンにひつこく食い下がり、その熱意に負けた監督が主人公の友人役を作ったそうだ。 メリルは1949年6月22日、ニュージャージー州サミットで生まれた。父親のハリー・ウィリアム・ストリープは製薬会社の役員で、母親のメアリー・W・ストリープはコマーシャル・アーティスト。 父方からはオランダ人の、母方からはスイス人・アイルランド人・イングランド人の血を引いている。 学校での成績は抜群だったが、ちじれた赤毛に度の強いメガネをかけた姿を同級生に囃し立てられる”いじめられっ子”だったそうだ。 劣等感に苛まれていた彼女が、そこから逃れることが出来たのは、12歳の時の学芸会で「聖夜」を独唱して大喝采を受けてからだった。 16歳になると、メガネを捨て、髪をブロンドに染め替えて変身、かっての自分と決別した。そして高校の演劇部の花形となり、人生に立ち向かう自信を得たのだった。 女子大の名門、ヴァッサー大学を卒業後、演劇学校のイェール・スクール・オブ・ドラマに進んだ。演技の基本をみっちり勉強して卒業、弁護士になるために司法試験の受験勉強をしながら、週給48ドルで地方劇団の舞台に立っていた。 女優の道かそれとも弁護士の道か、彼女は迷いながら司法試験を受けた。ところが、司法試験最終日の朝、メリルは寝坊してしまったのだ。これを”神のお告げ”と取った彼女は女優を一生の仕事と決めたのであった。 76年、27歳のクリスマス・イブに立った舞台で、彼女は14歳年上の俳優ジョン・カザールと出会い、たちまち彼の虜となった。彼の本質に迫る生き方に惹かれ、彼と暮らし始めたのである。 そして、続く「ディア・ハンター」でカザールと共演したが、この時、カザールは既にガンに犯されており、映画の公開を待たず世を去ってしまう。 悲しみに打ちひしがれていたメリルだったが、彼女は前向きに歩こうと再びたちあがる。そして、カザールの死の半年後、気鋭の彫刻家ドナルド・J・ガマーと結婚、78年9月のことだった。 ディア・ハンタークレイマー クレイマー 3年後の82年、出演を哀願した「ソフィーの選択」で彼女は念願のアカデミー主演女優賞を獲得した。ナチスのゲットーに入れられるソフィー役になりきるため、過酷なまでのダイエットに挑戦、鬼気迫る演技で見事初のオスカーを手にしたのだ。 そのとき、メリルは二人目の子供を妊娠中で、マタニティ・ドレスを着て、授賞式に出席した。 現在まで彼女の出演作品は40本を越え、ハリウッドきっての演技派で鳴らしている。その演技に対する姿勢は、女版ロバート・デ・ニーロといってもいいほどだ。デ・ニーロと同じく、役に成りきるため、撮影に入る前に徹底したリサーチを行うという。彼女がオスカーを獲得した「ソフィーの選択」では役作りのためにポーランド語訛りの英語を習得している。 翌年、「ディア・ハンター」はメリルに朗報をもたらした。アカデミー助演女優賞にノミネートされたのだ。続く80年、「クレイマー、クレイマー」ではアカデミー助演女優賞を獲得、「ジュリア」から僅か2年で、フォンダやレッドグレーブと肩を並べる演技派女優に成長したのである。 彼女の作品には、「愛と哀しみの果て」「マディソン郡の橋」「プラダを着た悪魔」「アダプテーション」「マンマ・ミーア!」などがある。     2009年現在、アカデミー賞に15回ノミネートされており、これはキャサリン・ヘブバーンの12回を抜き最多である。また、ゴールデングローブ賞に6回受賞(23回ノミネート)しており、これはジャック・ニコルソンと並ぶ最多回数である。 私生活ではドナルド・J・ガマーとの間に4人のこどもがいる。彼女は今年まだ60歳、まだまだ頑張っていい作品を見せてほしいものである。

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