愛し愛されて生きるのさ。

2004/09/27(月)00:29

『着信アリ』

映画感想・邦画(4)

2003年制作の日本映画。 監督はVシネから大バジェット映画まで多作な三池崇史。 主演はこの映画の主題歌も歌う柴咲コウ。 女子大生・中村由美は友人たちと合コンに行く。そこで友人である陽子の携帯電話が鳴る。発信者番号はなぜか自分の携帯番号。そして陽子本人と思われる声でけたたましい悲鳴がメッセージに残されていた。発信日時は3日後の日付。 そしてその3日後、陽子は携帯に残されていた時刻に、歩道橋の上から電車に飛び込んで死ぬ。メッセージ通りの悲鳴を上げて。 そして今度は由美の親友である小西なつみの元に着信が来る。しかも今度は、恐怖に怯えるなつみの背後に人影が写っている画像が共に送られてくる。 なつみは死の予告に取り乱し、どこから嗅ぎつけてきたのか突然訪れてきたテレビクルーの誘いに応じ、死の予告時間に生出演することになる。 親友のために事件の真相を突き止めようとする由美は、同じように死の予告電話を受けて妹を喪った葬儀屋・山下と知り合う。由美と山下はなつみの死を食い止めるために奔走する。 しかしその甲斐なく、なつみは生放送中に全身をねじ曲げられ無残な死を遂げる。 そしてとうとう由美の携帯にも死の予告が…。 三池崇史が割と真っ当な手法で撮ったホラー映画である。 三池作品の中には『オーディション』というホラー映画があるが、こちらは心霊現象がどうこうという内容ではなく、精神異常者が徐々に迫り来る恐怖を描いたサイコパスものであった。 「極道ホラー」と銘打った『牛頭』という作品もあるが、こちらはもはやコメディだった。 しかしどちらも三池節満載というか、監督自身が嬉々として撮っている印象がある。 しかしこの『着信アリ』は三池作品にしてはかなりストイックな造りというか、いつもの三池監督らしさが無いような気がする。 登場人物が次々と死んでいく様はなかなかにグロテスクでぶっ飛んではいるものの、そこが取り立てて目新しいというわけでもない。 原作者である秋元康に気を遣ってなのか、いつもの遊び心は封印されている印象を受ける。 唯一三池監督らしさを感じられたのは、吹石一恵演じる小西なつみがテレビの生放送中に全身をねじ曲げられ悶死するシーンか。 アイドル女優を使って、全身の骨をバキバキいわせて殺すなんて普通の監督はやらないだろう。 このシーンを観て、私の中で吹石一恵株が急上昇。 『リング』の竹内結子ばりに豪快な死にっぷりである。 しかしこの映画、結局何がどうなっているのかよく分からない。 要は幽霊たちが携帯電話を通じて人々に襲い掛かってくるわけなのだが、その理由が最後までまったくピンと来ない。 そもそもこの映画に出てくる幽霊はなぜ携帯電話というツールを媒体としているのか。 実にまわりくどい。 『リング』の貞子はビデオテープをダビングするということで怨念を伝播させていくのだが、こちらにはまだ説得力があった。というか疑問を疑問とさせないインパクトがあった。 しかし『着信アリ』の幽霊は、わざわざ携帯電話の持ち主の番号で着信を残し断末魔の声のメッセージを残し、そしてやっとこさサクッと殺すという、実に面倒臭い方法で人々を襲う。 しかもこの幽霊はなぜ他人を巻き込んでいくのかもよく分からない。 ラストで明かされる事件の真相は実にこじんまりとした次元での怨念が原因である。そんな個人的な怨念をなぜ不特定多数の他人に向けて伝播するのかが不明である。 きっと原作者の秋元康は「ホラーを作るに当って、目新しいツールは何か」ということで携帯電話を選び、ストーリーは後付けで組み立てていったのであろう。 だからこの『着信アリ』は矛盾や腑に落ちない部分ばかりが目に付く。 そういや韓国映画で『ボイス』という携帯電話を使ったホラー映画があったが、こちらも同じように腑に落ちない部分がたくさんあった。 もしかしてパクリ? 主演の柴咲コウは、正直ホラー映画に向いていない。 確かに芝居は巧いのだが、顔の造作や雰囲気が恐怖に怯えるヒロインに向いていない。 三池監督自身も「恐怖に怯える柴咲コウの顔が一番怖い」と言っているが、ごもっとも。 観客以上にギャーギャーと怯えているので、観ている側はなぜか安心してしまうのだ。 どうもストーリーのアラばかりが目に付く映画である。 ホラー映画なんてものは正直アラを探せばキリがないものではあるが、ストーリーの稚拙さと演出の甘さがアラを露呈させているように思える。 『リング』のように、よく考えれば矛盾だらけのストーリーでも演出がしっかりしていれば、ハッと息を飲むようなリアルな恐怖映画ができあがる。 『着信アリ』はただ安直なグロさだけが見所の、後を引かないショッカー映画である。 ★★☆☆☆

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