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久しぶりに連続ドラマを観ている。
1本は『がんばっていきまっしょい』。こちらはとても清々しい青春ドラマである。NEWSの某メンバーが不祥事を起こし代役騒動でてんやわんやの模様だが。 そしてもう1本がこの『女王の教室』である。 こちらは久々に予告を観て「おっ」と思ったドラマである。 「この物語は鬼のような女教師に闘いを挑んだ小学校6年生たちの1年間の記録」というキャッチが、このドラマが尋常でないことを物語っている。 そもそも学校もののドラマというと、熱血漢の教師に“なんだかんだ問題を起こすけど根はピュアなのよ”な子供達が絡んでいくというのが普通である。 『教師びんびん物語』なんかそうでしたね。例えが古いが。 私は総じて学園ドラマが嫌いである。熱血漢の教師もそこで起きる問題も妙にステレオタイプな生徒達もリアルじゃない。 ドラマだから必ずしもリアルが良いわけじゃない。しかしありきたりの学園ドラマが描く物語にどうもキナ臭いものを感じ取ってしまう。 私が今までに観た学園ドラマといったら浅野温子主演の『職員室』くらいか。 このドラマはやたら暗くて、浅野温子が演じる教師が沙粧妙子ばりにエロっちいのが面白かった。 そこでこの『女王の教室』である。 4話が終わった時点で、公式HPの掲示板には賛否の嵐のようだ。 やはり世間でも物議を醸しているらしい。 打ち切りを望む声や擁護する声、真っ二つに分かれている。 私の感想としては、ドラマとしてよくできていると思う。 慢性的にネタ不足が見受けられるドラマ業界の中で、なかなか新鮮な題材だと思う。 これがもし映画だったら何ら問題はなかったはずだ。実際にアメリカ映画で『鬼教師ミセス・ディングル』という作品もあった。 しかし受身の状態でも目に入ってしまうドラマだからこそ騒がれているのだろう。 やはり教育に携わっている人間と携わっていない人間とでは受け止め方が違うと思われる。 私は教育に携わっていない人間なので、フィクションとして、エンターテイメントととして割とすんなり受け入れられる。 ただ私の同僚の人間はかつて教育に携わっており、「あれはいただけない。やりすぎだ」という意見を持っていた。 そもそもテレビが人々に与える影響というのはそれほどまでに大きなものなのか。 かつて「テレビ番組に起因する青少年の犯罪」が騒がれたことがあったが、テレビによって概念が大きく覆されるということはよくあることなのだろうか。 私なんかは「たかがテレビ、全て虚構の世界」と思ってしまっているフシがあるので、サラッと受け止めているくらいの感覚なのだが。 だから低俗番組と騒がれている番組でも「放送を打ち切ったほうが良い」とも思わない。 ドラマだけに絞ってみても、劇中で毎日誰かが殺されている。 今までもずっとそうだった。 そんな状況で虚構の世界について騒いだところで、それ自体がナンセンスな気がするのだが。 テレビという媒体は、観る者が取捨選択できるものである。 「観たけりゃ観ればいいし、観たくなければ観なければいい」というのが極論であろうが。 でも実際、『女王の教室』はけっこう面白い。 やはり天海祐希の存在感が大きい。 長身で姿勢良くスラッと立つ姿はなんとなくシガニー・ウィーバーのようなインテリ感を醸しだしている。 そして宝塚出身であるがゆえの身のこなしと滑舌良い発音も普通じゃない感じを存分に出している。 実際にこんな人が間近にいたら、子供じゃなくてもビビっておしっこちびっちゃうかもしれない。 ストーリー的にも1つのクラスという小さな社会の中に、妬み嫉み裏切りと様々な欲望を盛り込んでいる。 小さな社会といえども子供にとっては大きな社会である。 そして子供は大人が思っている以上に強かで逞しいものである。 子供の社会だって結構ストレス溜まるし、うまくやっていくのは大変だったりする。 そういうところをこのドラマがどこまで描いて、賛否の嵐の中でどれだけコンセンサスを得られるかを注目したい。 物語は「いじめ問題」にシフトし始めた。 私は天海祐希演じる阿久津先生が「いじめ」に対してどういう視点を持っているのかが気になっている。 そこんとこも注目である。 ただ、メインを張っている子役の女の子の芝居はどうも受け付けないが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.26 21:57:35
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