訃報 さよならデヴィッド・ボウイ
1980年、京都に住んだ事もあったデヴィッド・ボウイ氏が、69歳でこの世を、いや地球を去りました。18ヶ月もの間極秘で闘病生活を続けた末だったそうです。 2016年1月8日に出たBlackstarは遺作となってしまいましたが、どうやらファンたちへのお別れの挨拶として作られた面もあったようです。動画は1980年に彼が出演した日本のCM 1960年代前半にデヴィッド・ジョーンズ名義でデッカからデビューし半世紀以上に渡り、音楽界のみならず多くの分野で多大な業績を残されたボウイ氏のご冥福を心よりお祈りいたします。 貴方は私たちの本当のヒーローそのものでした。■追記■世界中の著名人が続々とボウイへの追悼メッセージを公開してます。その中から意訳ですがご紹介いたします。ピーター・ガブリエル「今朝はデヴィッド・ボウイの死に深い悲しみを呑まざる得なかった。彼は私にとって非常に多くの意味を持たらせた。彼は常に社会との境界に彼ならではの音楽/ファッション/アートで挑戦し、模索し、全ての人々が望んだ感動を鮮やかに与えた。 ヒーローズは常に私にとってボウイの最も偉大な曲であり続ける。そのヒロイズムは抑圧と絶望の側面を持ち、その絶望的状況にも関わらず堂々とした何かを感じさせる。」スティーヴ・ハケット「デヴィッド・ボウイがこの世を去ったニュースを聞き悲しいです。 彼は音楽とビジュアルアートを結びつけた大変な開拓者であり、素晴らしい表現者であり多くの影響を与えました。」キース・エマーソン「デヴィッド・ボウイに哀悼の意を捧げる 私がデヴィッドと最初に出会ったのは60年代半ばのとある昼下がり、ロンドンはウォーダー・ストリートにあったマーキークラブでした。(※訳注/当時キースはマーキーと専属契約していた) 日曜日、ロビーでサウンドチェックに備えてる時、デヴィッドは「ザ・バズ」と呼ばれた彼のバンドを従えそこでプレイしていた。それまで一度も会った事が無かったのに、彼はそばに来るとまるで数年来の旧知の仲の様にお互いおしゃべりをしてました。 『僕はパリでマルセル・マルソーからフレンチ風マイムレッスンを受けてて、帰ってきたばかりなんだよ。』 そんな彼が何を成そうとしてるのか私は考えこんでしまいましたが、彼が様々な手法を取り入れてアートを切り開こうとしてる姿勢に深く興味をそそられました。ファッション/映画/コメディ等等が彼を触発し、彼の並外れた能力がそのすべてを昇華させたと思います。 1970年代後半、私たちはスイスのモントルーで再会しました。 ELPがそこでレコーディングしながら暫し生活していた時期。デヴィッドが尋ねてきて、彼と会ったのはそれが最後となりましたがまるで昨日の事のように思い出します。彼の息子ゾウイは私の息子アーロンと同世代同士で遊んでいました。 真の天才を具現化した精神デヴィッド・ボウイへ世界は今、別れの挨拶で溢れています キース・エマーソン」生前、最も交流の深い一人であったブライアン・イーノは、BBCに声明を出しています。和訳がAMASSにて公開されておりますのでリンクを貼っておきます。ブライアン・イーノ 亡くなる7日前にデヴィッド・ボウイから受け取ったメールについて明かすhttp://amass.jp/67625/深い友情が感じられるメッセージです。