2015/10/27(火)04:09
ゴードン・ハスケル氏に5年ぶりに質問してみたら
早速お返事がありました。質問内容は主に、
・1stアルバム(1969年)とシングル盤の参加ミュージシャンについて。
・アラン・バリーらジ・アクトレスはこれらの作品に関わってないのか?
・1977年ハスケルが組んでいたバンドJoeを始めとした参加ミュージシャンが制作した「いかすぜジャック / ツイスト決定盤」は、山口百恵のゴールデン・フライトと同じスタジオで同時期に制作されているが、主だった演奏家の顔ぶれはほぼ同じと見ていいものか?
ココらへんが今まで不明でモヤモヤしていたので思い切って尋ねてみました。
以下意訳。
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親愛なるXX
あなたの深い理解に感謝。
私は、貴方が持つ私の作品のトータルコレクションで驚いた。
私自身よりも良い!
私はこの3週間で書かれた私の最新の新曲について非常に興奮しています。
そして間違いなく、近いうちに新しいアルバムのレコーディングが行われます。
私にとってそれらが完璧な出来だったので、これが私の人生最高の作品になることを期待し信じています。
興味を持ってくれるであろうあなたにお知らせします。
では、質問の回答へ----
ジ・アクトレスは1stソロアルバムで私がしたすべての作業に関与していませんでした。
それとアラン·バリーは、あなたがご存知のように2NDソロアルバムのみに参加してます。
私の1stアルバム、セイル・イン・マイ・ボートにおいてどんなミュージシャンが参加したかは私には知られていなかったし、当時のロンドンでトップのセッションミュージシャンたちだったのですが、彼らの名を私は覚えていないです。
アルバムでいい仕事をしてくれたアレンジャーはジョン·キャメロンで、この後も良い仕事をたくさんやった人です。
ミュージシャンをブッキングしたのはプロデューサーのジミーダンカンです。
振り返ってみると当時の私は非常にナイーヴでそこら辺の人選には無知でしたので。
私は、リズムセクションのいずれも選択していないですが、ストリングスセクションはとても良かったですね。
私たちジョーが関与したセッションでは、加藤浩がすべてのミュージシャンを手配してました。
私はあなたが「グラフィティハウスバンドとゴールデン・フライトは同じ参加ミュージシャンでしょうか?」と述べたようにサックス奏者が同じだったとかなり確信しています。おそらくすべてのブラスセクションは同じメンバーであったはず。
申し訳ありませんが、私にこれ以上の事は判りません。
でもとても興味深い話ですね。
当時の私はあまりにも他人に依存したが為に、無知の代償を支払ってきた訳です。
現在の私は、私が先に書いたように非常に非常に慎重に私の作品の参加ミュージシャンを選ぶようになりました。
他の誰にも頼らず私自身がコントロールし長い時間を掛けた次のアルバムについて、私は非常に興奮しています。
ありがとうございました、再びの連絡をお待ちしております。
ゴードンハスケル。
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着いたばかりなので、早速翻訳させて頂きました。
結論として、
・ゴードン・ハスケルのセイル・イン・マイ・ボートの参加ミュージシャンは、当時のセッションマンをプロデューサーが手配したもので、ゴードンは名前ももう覚えてないそうです。彼の過去のインタビュー発言でも言っていたように、そういう人選に対し余りにものを知らなかったと懐柔してます。
・1stアルバムと直後に出た別アレンジシングルに、アラン・バリーらジ・アクトレスは関与してない。2NDアルバムではバリーやウェットンを起用する様申し出たハスケルでしたが、1stアルバムでは行ってないようです。
・1977年の山口百恵のアルバムゴールデン・フライトのメンバー表を見せた所、同年出されたグラフィティ・ハウス・バンド名義のアルバムでのブラスセクションの参加者はほぼ同一という事でした。
前作からしばらく経ったのでもうアルバムは出ないのかと僭越な心配もしてましたが、どうやら制作意欲も健在のご様子。新作の発売を待ちたいですね♪
以上毎度のずんどこ翻訳で読みにくい点も多々ありましょうが、最後までお読みいただきありがとうございました。