2015/10/27(火)04:05
ゴードン・ハスケル氏、春のお返事から
新年にお返事を頂きながらも家族と私個人が相次いでインフルエンザに罹り、簡単な謝辞も出来なかった非礼をお詫びすると共に、いくつかの質問を致しました。そのどれもが非常に古い話なので、お答えをあまり期待せずおりましたが、本日ご丁寧な返信がありましたので、かいつまんで翻訳いたします。(私個人のハスケル氏作品との出会いとか感想は訳してもしょうもないので割愛してますw)
― 随分長い手紙を貰ったけど答えますよ。
(お元気でいらっしゃいますか?)
― OKありがとう。これと言って何も起きてないね。新曲もラジオに掛からないし。君の体調がよくなるよう願ってるよ。
(フィンランド人とのデュエットソングについて)
― レコード会社に頼まれ現地盤Look Outに入れる為録音したけど、あまり好きじゃなかった。
(昔のインタビュー記事を引き合いに、セカンドアルバム It is and it isn't 英国での録音時期は?と質問)
― 申し訳ないけど、思い出せないなぁ。
(アルバム後のUSツアーについて、その時期はいつ?)
― 米国ツアーについてはオファーを得られなかったんだ。
(日本の一部ネットで60年代前半リーグ・オブ・ジェントルメンに、フリップの後釜としてジョン・ウェットンが入っていたと書かれていることについて)
― それは事実じゃないね。私がウェットンと最初に会ったのは1970年のロンドンでしたよ。
(イングランドの限定CDガーデン・シェッドに「ゴードン・ハスケルのヘルプ」と書かれていたが)
ー 私は関与してないんだよ。
(新作の状況について)
― シングルにお金をたくさん使ったのでアルバムまで手が回らなくなっている。
ニューアルバムは来年1月までお金を貯め改めて取り組むと思う。
以上です。
今回の質問の肝であった。セカンドアルバム時期の質問。
1991年インタビュー記事では、少しだけあったツアーについても語っていましたが、やはり上手く行かなかった点も含めいい思い出が無いのか、具体的な内容については語られませんでした。
自伝によるとレインボウでの大規模コンサートから始まり、スタクリッジ他とツアーしたそうですから、英国国内だけ廻っていたという事かも知れないですね。
今回、私はあまりに質問を書きすぎて要点が絞りきれていなかったというのが反省点として残りました。自分が答える側としての想像してみればわかりそうなことでしたが、ついついあれやこれや聞きたくなってしまいまして(汗)。
しかしながら、今回も体裁を繕わず、真摯に正直にお答えをしていただきました。
イングランドCDでの謝辞については何でだろうと不思議な感じが残りました。謎がまた深まると言うオチで申し訳ございません。
オチがあんまりなので、セカンドアルバム It is and it isn't 発表直前ゴードン・ハスケル名義で最初に彼が出演したビッグショーThe Rainbow Theatre in Londonのポスターとプログラム画像。
1971年11月12日と13日に開催され出演は、ウィッシュボーン・アッシュとマウンテン、そしてゴードン・ハスケル。
(14日はポール・ロジャースのピース、モット・ザ・フープル。)
今回色々調べた結果、ハッキリしていなかったセカンドアルバムの米国ATCO盤発売月が判明。1971年12月13日で英国アトランティック盤と発売時期の差は不明です。11月のコンサート時には英国盤が出ていた可能性もあります。
よく海外オークションでも72年作とか書かれて出品されてしまっているのは、発売が年末だったのが影響しているのでしょうね。購入した本人が翌年に買ったからとかそんな理由でw
こうなるともうハスケル氏のセカンドアルバム発売後、スタクリッジやオーディエンスと行なったツアーにウェットンが関わった可能性は、時期的にもゼロに等しいのではないかと推測されますね。いつもややこしいブログになりすみません。
■2015年3月24日追記■
・ハスケルのセカンドアルバム It is and it isn'tの英国での収録時期を尋ねた件について。
既にご存知の方もいらっしゃるでしょうが、実はこの作品、英国で二週間ほど制作された後、米国で追加録音が施されています(LPにもアディショナル・レコーディングと記されてますね)。
デヴィッド・スピノザなど米国人ミュージシャンが参加しているのがそれで、ハスケル本人は米国での録音に行ってないと過去のインタビューで述べていました。
それゆえ、今回の質問で「英国での録音時期」を尋ねたと言うわけです。ハスケルの活動時期を知りたかったのもありますが、ウェットンの参加時期も知りたくて、コレで明快な回答が出てきたら色んな疑問解決に繋がると期待していたのですが。まあ、なにせ44年も前の話ですし、フリップのように豆に日記でもつける習慣でも無いと覚えてる物ではないですね。
個人的な話ですが、私も80年代持ち歩いていたカレンダー式のメモ帳などを見ると当時の行動や記憶が思いの他蘇ってくるきっかけを与えてくれます。今はそのほとんどを廃棄したので、当時自分がどんな現場で誰の仕事をしたのかほとんど記憶も無く、ハスケル氏のことをあーだこーだ言えないなぁと思えてしまうわけですw
最後に・・・
「ゴードン・ハスケル氏の来日、どちらかのプロモーションで是非実現をお願い致します。」
最近往年のバンドやミュージシャンの来日も多いのですし、彼にも是非来てもらえるといいですね。そう願います。