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カテゴリ:評論・エッセイ
『心臓に毛が生えている理由』米原万里 もう出ないだろうと思っていた、米原さんのエッセイ集というかコラムを集めた新刊。 まだこんなに未収録のコラムがあったのかとがく然とした。 短い新聞連載や、いわゆる業界紙や機関誌への寄稿など、一般の人の目に触れないところに発表した800~2000字程度のコラムが多く、彼女は、自分の仕事をきちんと体系づけて整理をしていたとは思えないので、これは彼女の死後の編集者の力技だ。 コツコツと発表媒体を探し求め、掲載元の許可を得、遺族の了解を得、という地道な作業の結晶だもの。こういうことを成し遂げられて初めて、編集者も「手がけた本は自分の子ども」と言えるのかもしれない。でも誰かにあとがき書いて欲しかった。 テーマも決まっていた依頼稿が多いせいか、これまでの米原さんのエッセイを凌ぐ内容ではないが、それでも言葉や通訳業に関する、彼女のプロフェッショナリティーを体現した文章から学ぶことは多い。 常々米原さんが指摘していた、日本語が論理的思考に適さない理由とか、選択式教育の弊害とか、日本の教育は羅列式(これは考えてみたらデジタル思考だ)で視覚的だとか、同じ内容を日本と欧米各国語に書き表した場合、前者のほうが2割も音節数が多いとか(これは、翻訳本が原書より分厚くなるのでわかるよ)、同時通訳がいかに大胆な言い換えや省略をするか(表題作はこのことを指している)とか。相変わらず面白い。 出張のわずかな移動時間内で読み終わっちゃった。彼女の文章は名文ではないし、硬い単語が多いんだけど、さらりと読めるよね。一方、もう2週間もバッグに入れっぱなしの池田清彦さんの「やがて消えゆくわが身なら」は、全然進まない。同様に面白いのに、なんでこんなに面倒くさいんだ。構造主義生物学の人って、みんなこんな? ああでも、この人にはぜひ原稿を依頼したい。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』発行に際して、発行元のPR誌「本の旅人」に掲載された池内紀さんとの対談が巻末に収められていて、これは自分もリアルタイムで読んでいたので、よく覚えている。双方、東欧で暮らした経験があるとはいえ、微妙に年齢もいた国も異なるので、話がすれ違いなんだよね。結局、政治体制についての歴史的事実の確認程度しか共通項がない。 しかも、米原さんがインタビュイーのはずなのに、年上の池内さんを立ててか、逆インタビューみたいになっている。ヘンな対談だ。こういうのは仕掛けた編集者の進行ミスというか、最初から人選があやまっていたというか。自分も一回やらかしたことがあるから、穴に入りたい気分だ。 あっ! 畿内食の話は「週刊ダイヤモンド」じゃなくて、この本で読んだんだった! 駅弁の話も。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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