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日々是徒然

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評論・エッセイ

2009.10.12
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カテゴリ:評論・エッセイ
土曜の夜は久々に昔の仕事仲間たちと飲み会の予定だったけど、直前まで人数が決まらなかったので店の予約もできず、なんとなく銀座に集合してから、コリドー街の寿司屋に流れる。

そこで夢の話になって、牛肉とパンツのプレゼント、というわけのわからない夢を見た話を披露したら、茂木健一郎にかぶれて亜流の脳本まで出そうとしている編集者が、したり顔で「食欲中枢と性欲中枢はともに視床下部で隣り合っているからね。合体した夢を見ても不思議はない」とか言い出した。
「視床下部って、本能を司るとこ?」「そうそう」
「自律神経もそこだよね」「うんうん」
「じゃあ三大本能はすべてそこに?」「うん。爬虫類脳って言ってさ、もっとも進化していない脳なんだよ」

じゃあ私の夢は食欲と性欲と、夢だからして睡眠欲。すべては視床下部のせいですか。なんかフロイトの夢分析のほうがロマンがあるんですけど。それに支配中枢が隣り合っているからって機能が混ざるか? と疑問をぶつける。
「交尾を終えたメスがオスを食べるじゃん」それ昆虫。
「恋人がいとしいあまり殺して食べちゃう話もそれで説明がつく」ええーっ、それって普遍的な行動ですか?

寿司屋のカウンターでするにはふさわしくない話題だったが(ごめんよ、発端をつくったのは自分だ)、単に食欲と性欲を同時に満たすだけなら○ックスしながら食べればいいじゃないかと思うんだが、なんで性欲の対象を食べる話になっちゃうのかがわからない。カニバリズムは一部エクスタシーとかぶるけど、レクター博士は愛しいあまりに食べたんじゃなかったはずだが。

このテの話は初めてじゃなくて、どこかで昔聞いたか読んだかしたなと思って、昨日、家の本棚を捜索したら、BL本の裏側にこんな本があった。


『ヒトはなぜペットを食べないか』山内 昶

ここには古今東西、イヌもネコも食べてきた人類の歴史やら獣 姦の事例やらがびっしりで、こういうのを読んでいるから自分は、今更男同士だろうが兄弟同士だろうがビクともしないんだなとわが身の悪食を恥じたが、これは食欲と性欲とタブーの話。
タブーの話は、学生時代に人類学やっていた頃にフレイザーの本で読んだ。なにしろ『金枝篇』を原書で読まされていたので、なかなか最新理論まではたどりつかなかったが、タブーというのは原始からある文化的な仕掛けで、時代とともに変わるという話だった。

売られているイヌやネコや繁殖させられているのだから、肉屋で売ってる牛や豚と変わらない。なのになぜ食べないか。世のペット愛好家に喧嘩を売るような内容ではあるけれど、これは人類のタブーに迫った珍著だと思う。しかしこの本には底本があって、私はそっちを先に読んでいた。


『食と文化の謎』マーヴィン・ハリス 

こちらは真面目な人類学の本。あ、手元にあるのと表紙が違う。軽装版が出ているのか。私は上製本の初版(1988年刊)を持っていて、上記の山内さんも、おそらくこの本にインスパイヤされたと思われる項目(第8章 ペットに食欲を感じるとき)がある。最初にこの本を読んだ頃は、牛一頭を育てるための膨大なコストにめまいがし、肉食はおぞましいと思ったけど、今読み返すと、これは食に関するコストと利益を真面目に考えた本で、やっぱりヒトにとってもっとも効率がいいのは肉だってことがわかる。

栄養学的にはたんぱく質係数でカウントするから、昆虫を食べるのが一番効率がいいらしい。幼虫のうちにね(うええ~)。この教授は、学生たちに日本製のイナゴの缶詰を差し出して、食べられるかどうかを試すらしいが、伊藤理佐さんが幼少時にハチの子ごはんを喜んで食べていた例に漏れず、多分、山の民は戦後になっても虫を採取して食べていた。
一方、イヌもブタも牛も家族同様にかわいがって、子犬と自分の子を同じ乳で育てて、成長したら食べていた民族が世界中に存在する。そして人間の脳は、20万年も前から進化していない。






Last updated  2009.10.12 15:37:18
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2009.02.14
カテゴリ:評論・エッセイ

『ビロウな話で恐縮です日記』三浦しをん

三浦さんのダラダラエッセイ、第○弾! もう何冊読んだか忘れちゃったよ。
しかも今回は、ほとんどリアルタイムでWebで読んでいた。が、かなり手を入れているらしく、初めて読むがごとき新鮮さ(笑)。まあ自分の記憶に残っていないというのもあるが。

私がBLに心の安住の地を求めたのは、もとはといえば三浦さんの「シュミじゃないもん」を読んだせいだ。感じ方が酷似していて、この人の脳は他人とは思えないと思ったものだ。なので読んだときは同い年ぐらいかと思ったら、全然ちがってたのでさらにびっくりしたけど。
しかし今回、腐女子要素がかなりナリを潜めてしまったのは残念だ。バクチクおっかけツアーみたいなはちゃめちゃな道中ものがないのも、失速している原因だな。

マンガ自体に言及している記事も激減している。三浦さんのことだから、読んではいるに違いないが、本業とのバランスで、マンガ評書く時間なんてなさそうだ。読むとかなりいろんな締め切りに追われていることがわかるし、作家としての評価も上々だから、そろそろ人に言えない嗜好を書き散らかすのは自粛したほうがいいのになあ。

それにしてもタクシーの運転手さんに遊ばれるタチのようだ。私もタクシーは結構利用するが、あんな面白いドライバーたちにはそうそう遭遇しない。長距離でないとあそこまで話が盛り上がらないからかしら? ちょっとくやしい。

それから夢。あんなに頻繁に夢を見る(そして覚えている)というのは驚異的だ。私は覚えていないだけかもしれないけれど、印象的なヘンな夢なんて数年に1回ぐらいだ。なにか、常日ごろから創作のことを考えている人は、寝ている間も、なんらかの作用でありえない突飛な夢を見るんだろうか。ちょっとうらやましいけど、夢で疲れそうだな。

そして三浦さん、風呂入らなくても平気って、ルコちゃんみたいだよ……。まがりなりにも嫁入り前の女子が、シャワーですら週2,3回などと、公の書物で書かないほうがいいと思う……。それともこの湿気過多な日本で、ほとんど汗をかかない体質なんだろうか。

かねてから俳優のシュミやらBLのツボどころが似通っているとは思っていたが、だらしのなさもよく似ていることがわかった。じゃあ今度から、自分の片づけられなさを糾弾されたら、「え、でも三浦しをんと同じだもん!」とか言っちゃえばいい? いやそんな失礼な。ははは。なにしろ自分の周りには「三浦しをん? 誰それ」とか言う人のほうが多そうだし。

あ、あからさまにではないけど、フェミに言及しているところがいくつかあった。やっぱり彼女も、家事全般やってくれる人が理想らしい。

全然関係ないけど、よしながさんの「大奥」を布教してまんまとはまった友人が、上野千鶴子さんらとウーマンリブ活動していた田中美津さんの診療所に通っていて、先日施術受けに行ったら、待合室に「大奥」が4巻全部揃っていてびっくりしたと言っていた。患者さんのオススメなのか、フェミ仲間の推挙なのか……70年代のウーマンリブの闘志で、上野さんが私淑したってことは、お年が知れる。まさか腐女子……。
いいよな。自分もこういう年のとりかたをしたいものだ。






Last updated  2009.02.14 09:10:08
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2008.12.30
カテゴリ:評論・エッセイ
 

TONOさんの「おひとりさま」漫画。と、こないだ読んだ理佐さんの美容エッセイ。
上野さんの本がベストセラーになって以来、負け犬の先には「おひとりさま」が待っていて、でもそれはみじめなことでも恥ずかしいことでもなくて、清く正しく生きていれば(そしてお金があれば)好きなことして生きられるよ~んということなんだが。
でも松原惇子さんがやっている会とか、おひとりさま同士が結束して墓までつくっちゃうとかいうのはやりすぎだと思うが。

そしていつまでも、エッセイではあの3頭身キャラでかわいいまんまのTONOさんだけど、きっともう半世紀近い年齢だよね。子どもの頃、家にテレビがなかったとか小学生のころ白黒テレビだってあるけど、TONOさんの場合、それでもかわいいと思うのはなぜだ。

大阪のマンションに猫と一人暮らしで、同じマンションのなかにヒデキを飼っている女二人で暮らしているマンガ家がいて、どいつもこいつも同人作家。同人活動で20年以上コンスタントに本が売れて、マンションが買えて、経済的に自立していれば、もう恐いものはないような気がする。TONOさんは商業でも固定ファンがいるけど、デビュー当時はあの絵柄だし、ファンタジーだったから中山星香さんとよく混同してた。

スレスレの雑誌にも連載しているからてっきりBL組だと勘違いしちゃうけど、TONOさんはBLは描いていない。不思議ファンタジー(時々スプラッタ)と猫マンガとエッセイマンガが3本柱だ。最近のストーリーマンガは読んでいなかったけど、子どもの医者の話が好きだったな。

でね。これはこないだ読んだ伊藤理佐さんの「女のはしょり道」にも通じるんだけど、こう開き直った女の強さがあってすばらしいと思う(笑)。いやほんとに。TONOさんはお母さんもご本人もすごい美人だけど、なのにマンガじゃ三頭身で、LLサイズのおばさんパンツだし、やっぱり作家と名の付く人で生き残れるのは、自分の恥をどれだけ晒せるかということなんだろう。とりあえず自慢が先にきちゃう人には面白くない。そしてヘンな嗜好があろうが女としてどうよという男前な暮らしぶりであろうが、もうこの域に達しちゃった人にはつっこみどころがない。

不思議なことに伊藤さんのエッセイマンガって、「この人年齢の割に考え方が保守的だなあ」と思うことが多いのに、TONOさんはもう「年齢ってなに?それって食べられるもの?なら食べちゃったわ」ってぐらい変わらない。結構トシバレしているネタも多いけど、でも乙女の妄想や生活ぶりに年齢を感じさせるものがないんだよなあ。でも両者とも描き込みすぎず白すぎず、目にやさしいマンガ。こういう本って、薄くて高くてCP悪いんだけど、結局どれだけ好き作家さんかということだよね。こういう種類の本買う動機って。

ああ、そうそう。特に面白かったのが、妄想のなかに自分の前世が次々出てきたり、頭の中に「スーパーエゴの部屋」とか「うぬぼれルーム」があって、疲れたときには甘えているというやつ。誰でもしていることなんだけど、こうはっきり描かれると笑うしかない。
こういう妄想が引きもきらず頭の中に湧いて、それが創作の源泉なら、こういう人たちはやっぱり結婚なんかして、人のために尽くす人生を送っちゃいかんと思う。伊藤さんも、吉田戦車と結婚したと聞いたときは驚いたけど、別居婚らしいしな。







Last updated  2008.12.30 10:03:30
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2008.10.09
カテゴリ:評論・エッセイ

『昭和快女伝』森まゆみ

森さんの『明治快女伝』は、ずいぶん前に読んでいた。これはその続編で、明治生まれ(一部大正生まれも)で主に昭和に活躍した女性たちの評伝。前作との決定的な違いは、森さんが当の本人に会って聞き書きしているところだ。会っている時点ですごいと思う。うらやましい。

明治生まれで平成まで、インタビューに応じられるほど元気というのはすごいことだ。
明治・大正・昭和・平成と4つの時代を生きた女性たち。加藤シヅエさんに至っては、19世紀に生まれて21世紀に亡くなっているから、足掛け3世紀。つくづく女性は長生きだ。

評伝を書かれるような仕事を成し遂げ、この本がハードカバーで出版された時点でほとんどの方がまだ現役だった。森さんも事前に相当資料を読んで覚悟して立ち向かわないといけないし、インタビューされるほうも、90歳を過ぎてなお耳もちゃんと聞こえ、思考力も万全、もちろん理路整然と話せないといけない。こういう人たちにとって老化とはなんなのか。

紹介されている15人中、全く知らない方が5人もいた。これは恥ずかしい。でも、実際にお会いしたことのある方も2人いた。そして、お会いしたいと思っているうちに亡くなられてしまわれた方もいる。

鈴木真砂女、北林谷栄、飯田深雪、吉行あぐり、小澤さくら、長岡輝子、加藤シヅエ

この7人はメディアでも取り上げられる機会が多かったので、なにを成した人たちなのかはよく知っている。小澤さくらさんはこの中では異質だけど。お目にかかったことがある人もいらっしゃる。
鈴木真砂女さんは、銀座のお店に行きたい行きたいと思っているうちに鬼籍に入られた。飯田さんも何度も取材申し込みをしているうちに……。

全く存じ上げなかったのは、岡本宮染、丸木俊、板倉登喜子、鍛冶千鶴子、斎藤史の5人。でももう忘れない。特に自分とは無縁の登山の世界で女性に勇気と力をあたえた板倉さんのお話は印象的だった。

ほかには名前は知っているものの、その人生についてはよく知らなかった櫛田ふき、観世寿弥、三木睦子の3人で、計15人。

もうね。なんかね。庶民なんて一人もいないのよ。皆、もともと士族や華族の出だったり、父親が明治時代に留学していたり、母親も英語が話せてコスモポリタンな環境で育っていたり。唯一、実業で稼いでいたのは鈴木真砂女さんだけど、彼女にしたって裕福な商家の娘だ。
多くが血筋も血統も教育もパーフェクト。日本のノブレス・オブリッジな女性たちばかりで頭が下がる。

なのに自ら市井に分け入って苦労をしている。これはイートン中退してインド行ったりスペイン独立戦争で従軍記者やっていたジョージ・オーウェルと似ている。生まれが良くてドロにまみれた人生を送った人なんて山ほどいるだろうけど、所詮は「帰るところがある」人生だよね。そうそう、宮沢賢治も同様だ。
でも、この本の女性たちは、夫によって、戦争によって、その「帰る場所」を奪われ、自ら立ち上がって自分の足で未踏の地に分け入っている。

どんなに生まれがよかろうと、女は系図に名前も記されない日本において、評価されることも褒められることも望まず、ひたすら自分のやりたいことを貫き通す人生。強くないと生きられない。

森茉莉は1910年代のパリでディアギレフ夫妻と親交があったが、飯田深雪は大正期にシカゴ、ロンドン、英領カルカッタで生活していた。
「ロンドンにいたころは、エリザベス女王が11歳で、うちの子が9歳」って比較対照がすごい。

盛岡生まれの長岡輝子に至っては、士族出身の父、クリスチャンの母のもとに育ち、本格的に芝居を始める前にパリに遊学し、レオナール藤田と親交をもち、岡本太郎からラブレターをもらっている。森さんの「東京の山の手の知的な家庭が生んだ最良の人々」という表現がまぶしい。

加藤シズエさんが、大正時代から産児制限運動をしていたことは知っていたが、まさかペッサリーを作らせて、中華鍋でゼリーをつくってチューブに詰めて売っていたなんて知らなかった。新華族の家でかしずかれて育ち、夫の赴任先で炭坑で仕事をする女性たちの現実を知ってマルクスに転ぶ。いや、この時代、女性がマルクスを読むこと自体、珍しかったと思うんだが。

恵まれた環境から脱することで、なにかを成しえた人間はまぶしい。今は女性だからといって優遇されることなんてない時代だけど、平等な分、舞台はもっと広いはずなのに、自分も含めて現代を生きる女性の器が小さいことにがく然とする。






Last updated  2008.10.10 00:19:42
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2008.09.04
カテゴリ:評論・エッセイ
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『悪女の老後論』堀江珠喜 平凡社新書
『熟年離婚している場合か!』井戸美枝 角川SSC新書
『熟年恋愛革命』小林照幸 文藝春秋新書


仕事で読んだ本3冊。
『熟年恋愛革命』は、一昨年あたり、宝島の別冊で『おじいちゃんにセックスを!』がヒットしていたので、ニーズがあるんだなと思っていた。高齢者の性と心理って、これまでタブー視されてきたけど、重要なことだ。

堀江さんの本には、団鬼六の愛人(年齢差約半世紀)が自殺したエピソードが書かれていて面白かった。この二人に直接的な意味でのセックスはなかったらしいが、敷延的な意味での性的なプレイは絶対あったはずなのに、それはセックスと言ってはいけないあたりが微妙だな。
彼女は団鬼六にとってはきれいなアクセサリーやペットの犬同然だったらしく、人間らしく扱ってもらえなかった故の縊死だったようだ。なんだか切ない。

この事実は、永井荷風の晩年とか谷崎の『瘋癲老人日記』を彷彿とさせるが、勃たなくても、若くてかわいい女の足を舐めることで脳内では性的興奮を得られていたり、息子の嫁に貢ぐことでネッキング(これも死語だな)を許してもらったりっていう行為は、相手が生身の人間だから問題視されるんだろう。

でも脳内でBLに溺れているような自分は、コミュニケーション不全という意味でさらにヤヴァいんじゃないかと、この先の現実的な恋愛や性生活を考えると、ちょっと不安になる。
オトコはいくつになっても若い女が好きというのは事実だが、女だって顔とかジャニーズ系とか、いろいろ条件で選んでいるわけで、ヤれるなら誰でもっていう男の生理とはそもそも比べられない。
先日、若いフーゾク好きの友人(♂)と飲んでいたら、「男にとってのフーゾク通いと、女がヨン様やジャニーズに夢中になるのは、等しく“萌え”なんじゃないか」と言っていたが、実際的に肉体の欲求を満足させるのと、脳内に快楽物質充満させるだけで満足するのとは、全然違うと思う。キャバクラ通いなら擬似恋愛だから同一線上の「萌え」かもしれないけど。

それにしても、この3冊とも、シニア世代をターゲットにしているのだが、共通キーワードは「金」だった(笑)。やっぱりそうなのね。わかっていたけどさ。
そして、80歳を過ぎた老人が、バイアグラの力を借りて無理やり勃たたせてもヤりたいという心理はナゾだ。






Last updated  2008.09.04 01:29:01
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2008.08.03
カテゴリ:評論・エッセイ

『役にたたない日々』佐野洋子

認知症の母親との最後の日々を綴った『シズコさん』とほぼ同時期に、クォータリー小説誌に発表した雑辺日誌。
この人の真骨頂は、なんでも言葉を飾らずに正直に書いてしまうところで、それは70歳近くになっても一向に衰えることのない「怒り」のエネルギー源になっているんだと思う。

喫茶店で遅い朝食をとる独り身の高齢者たち。みな身なりもキチンとしていて、プライドに満ちていて、でも社会から必要とされていない人々。
彼女は親しみをこめて「同志バアさん」と呼ぶ。私の老後でもあるな。

いろいろな能力(特に記憶力)が衰えていく60歳以降、自由業の筆者は毎日を怠惰に過ごす。年をとっていくことを「役に立たない日々」と言い切れる潔さ。
人は、誰かに必要とされなくなることを、誰しも恐れていると思うのよ。
人と群がるのが嫌いな自分ですら、仕事で社会とつながっていることで、自分の存在理由をかろうじて維持しているし。
でも、佐野さんは平気(のように見える)。つねに人を社会を、観察し続けているから。それが楽しいから。佐野さんにとってはテレビですら社会とつながる重要な道具だ。

友人たちがユニークだ。
一緒におせちをつくる独身老女たち。
その一人が、盛り付けの飾りにどうしても葉蘭が必要だという。
大晦日の深夜の雪の中、葉蘭を求めてさまようバアさん。
おそるべきこだわり。

韓流ドラマに楽しそうに身をもちくずしていく様子。毒舌家でシニカルな佐野さんが、生まれて初めてドラマを見て泣くのだ。話はめちゃくちゃだと認識していながら。
借りるものだと思っていたDVDを次々と買う。そして「この幸せは一体なんなのだ」とひとりごちる。

思えばこの頃、佐野さんはガンの治療で相当つらかった時期に当たるんだな。体がつらくて、しんどくて、ベッドから起きられない。だから寝たまま韓流ドラマを観続けるのだ。

そしてわずか1年後。
「いやあー、韓流は幸せだったねェー」
「もう溺死するほどだったねー。でも今は思い出すとゲロが出るねェー」
「うん。ヨン様、気持ち悪いねェ」
とか言うのだ。大笑いしたよ。

抗がん剤のせいで髪の毛が抜けてきたら、早々に丸刈りにする度胸のよさ。アメリカのテレビドラマで同じ行動をする女性を見たことがあるが、まさかリアルでもいるとは。
そして「自分の愛しいベッドから50メートル半径でしか生活していない」日々。ああ、これ憧れる。自分もうつで引きこもっていた頃は、3モーターの介護用ベッドが欲しいと思っていた。入院したり施設に入ったりしたら、自然とそういう生活になるだろうけど。

佐野さんは余命2年と宣告された。
「この先長くないと思うと天衣無縫に生きたい」と言う。
あと1年。
神様。どうかどうか、私の好きなエッセイ職人をこれ以上連れていかないで。






Last updated  2008.08.05 09:31:34
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2008.07.15
カテゴリ:評論・エッセイ

『シズコさん』佐野洋子

大嫌いだった母親が老いて認知症になり、引き取ることになった筆者。
でも耐えきれずに、高級な有料老人ホームに入れる。
「私は母を金で売った」と佐野さんは書く。

佐野さんの絵本は、残念ながら幼少時には読んでいないけど、『100万回死んだ猫』は、見るたび最後で泣きそうになる。あれは大人のための絵本だと思う。
そして彼女のエッセイは男前で飾りがなくて、実に感性がみずみずしくて、大好きた。たぶん、出版されているものは全部読んでいる。

今年春ごろ、書店で2冊の新刊が並んでいたので、「へええ~。また文庫になったら買おう」と思っていたら、BSブックレビューでこの『シズコさん』が取り上げられていたので、そんなに話題なら、と久しぶりにハードカバーで佐野さんの本を買う。

版元のPR誌に2年にわたって連載されていた、母子の話だった。
佐野さんのこれまでのエッセイに、亡くなった兄と弟のことは繰り返し出てきた。父親が「東大はでたけれど……」のはぐれ学者だったことも知っていた。でも母親についての印象がなかった。書かれていたのかいないのか。

4歳の時の「母親の手を握ろうとして振り払われた」というエピソードは覚えている。すごい親だなと思った。
で、佐野さん、文中で告白しているが、ガンにかかっていたんだな。そして再発もしている。2年前の段階で骨に転移したとあるから、現在も闘病中か。私の好きなエッセイ職人は、みんなガンで死んでいるんだよ。佐野さん、お願いだから死なないでほしい。

認知症になると、性格が180度変わっちゃうことがあるそうだ。認知症にもアルツハイマー型、脳血管性、レピー正体、ピック病などいろいろ原因はあるらしいけど、どれだったろう。性格激変するのは。
どうも脳のなかで何かが起こって、それまで抑圧していた自我がでちゃうらしいとは聞いたことがある。だから、人から尊敬されるような職にある人ほど、別人になっちゃうらしい。
あと、脳に刺激がいかない人。シュミがない人や、同じことの繰り返しばかりの職の人も、認知症になりやすい。教師とか典型。

シズコさんは、「ごめんなさい、ありがとう」を絶対に言わない人だった。
それが呆けて施設に入ったら、だれかれ構わず「ごめんなさい、ありがとう」を言うようになった。いいほうに激変しちゃったんだな。
佐野さん曰く、人には決まった大きさの「ごめんなさい、ありがとう」の箱があって、少しずつ使って一生を終えるのに、シズコさんはそれが呆けてから、一気に使い果たそうとしているんだって。定量説なんだな。

自分のきょうだいに知的障害者がいることを認めず、その子らの世話も、父親の世話も、すべて妹一人に押し付けて平気だったシズコさん。
いつでも、どんなときにでも、田植えの時でもきちんとお化粧をして口紅を「ムッパッ」と唇を合わせて塗っていたシズコさん。
東京生まれなのに静岡で暮らしたことがコンプレックスだったシズコさん。
一番溺愛していた長男が亡くなると、長女である佐野さんへの虐待をしていたシズコさん。

今ならわかる。全部わかる、と佐野さんは言う。母は夫(佐野さんにとっては父)に愛される自分に嫉妬していたのだと。
父と母は毎日ケンカばかりしていた。でも体の相性は抜群によかった。でなきゃ次々7人も子どもを生めない。
佐野さん自身が子どもを産んで、一人育てるだけでも「仕事のほうがずっとラク」と思えるほど大変だったのに、満州から5人の子どもを引き連れて引き上げ、戦中・戦後の混乱のなか、7人産んで3人亡くした母。
こういう境遇の人は、当時、何千人といたに違いないけれど、佐野さんの朴訥ともいえる筆致で書かれると、シズコさんという女性が、まるでそこにいるようにくっきりと浮かび上がってくる。

佐野さんにとっては愛せない、憎んですらいた母だったが、家事は万能で社交好きで、きれい好きだった。他人に対しては愛嬌もあった。
工夫して着るものも食べるものも困らせることがないどころか、42歳で寡婦となってから、母子寮で働いて、4人の子どもを次々大学にねじ込んだ。
親子の関係ってなんなんだろうなあと思う。

完ぺきな人なんていない。シズコさんの子どもへの接し方は、世間一般のものとは全然ちがうけれど、「子どもなんていないようにきちんと片づいた家」とか、なんでも自分で作っちゃう洋裁の腕とか、当時の専業主婦なら当然のことだろうけど、洗濯機も掃除機もない時代に、7人産んで4人育てながら、完ぺきに家政を維持していたのはあっぱれだ。

嫌いな人の褒めるべきところを認めるのは勇気がいる。それをちゃんと認められる佐野さんは偉い。多分にオール・オア・ナッシングの傾向が強い自分は、もっと大人にならなきゃいけない。社会では一見うまくやっているように見えても、その実、いろいろ業が深かったりするのだ。

泣きそうなところがたくさんあったが、佐野さんの乾いた文体によって、寸前のところで泣かずに済む。でも印象的な部分はたくさん、たくさんあった。

24回の連載の構成は、思い出話をつづりながら、最後は必ずホームで呆けていく母のことになる。そして佐野さんはすべてを悟って、号泣する。

子どもを産んだことも忘れちゃったシズコさん。呆けて初めて、母子らしいふれあいができたんだね。

認知症の人のご家族の多くが、変わっていく祖父母や両親を最後は「かわいいと思えた」と言う。それを具体的に詳細に証拠としてつきつけられた気がした。






Last updated  2008.07.15 22:11:24
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2008.07.01
カテゴリ:評論・エッセイ

『心臓に毛が生えている理由』米原万里

もう出ないだろうと思っていた、米原さんのエッセイ集というかコラムを集めた新刊。
まだこんなに未収録のコラムがあったのかとがく然とした。
短い新聞連載や、いわゆる業界紙や機関誌への寄稿など、一般の人の目に触れないところに発表した800~2000字程度のコラムが多く、彼女は、自分の仕事をきちんと体系づけて整理をしていたとは思えないので、これは彼女の死後の編集者の力技だ。
コツコツと発表媒体を探し求め、掲載元の許可を得、遺族の了解を得、という地道な作業の結晶だもの。こういうことを成し遂げられて初めて、編集者も「手がけた本は自分の子ども」と言えるのかもしれない。でも誰かにあとがき書いて欲しかった。

テーマも決まっていた依頼稿が多いせいか、これまでの米原さんのエッセイを凌ぐ内容ではないが、それでも言葉や通訳業に関する、彼女のプロフェッショナリティーを体現した文章から学ぶことは多い。

常々米原さんが指摘していた、日本語が論理的思考に適さない理由とか、選択式教育の弊害とか、日本の教育は羅列式(これは考えてみたらデジタル思考だ)で視覚的だとか、同じ内容を日本と欧米各国語に書き表した場合、前者のほうが2割も音節数が多いとか(これは、翻訳本が原書より分厚くなるのでわかるよ)、同時通訳がいかに大胆な言い換えや省略をするか(表題作はこのことを指している)とか。相変わらず面白い。

出張のわずかな移動時間内で読み終わっちゃった。彼女の文章は名文ではないし、硬い単語が多いんだけど、さらりと読めるよね。一方、もう2週間もバッグに入れっぱなしの池田清彦さんの「やがて消えゆくわが身なら」は、全然進まない。同様に面白いのに、なんでこんなに面倒くさいんだ。構造主義生物学の人って、みんなこんな?
ああでも、この人にはぜひ原稿を依頼したい。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』発行に際して、発行元のPR誌「本の旅人」に掲載された池内紀さんとの対談が巻末に収められていて、これは自分もリアルタイムで読んでいたので、よく覚えている。双方、東欧で暮らした経験があるとはいえ、微妙に年齢もいた国も異なるので、話がすれ違いなんだよね。結局、政治体制についての歴史的事実の確認程度しか共通項がない。
しかも、米原さんがインタビュイーのはずなのに、年上の池内さんを立ててか、逆インタビューみたいになっている。ヘンな対談だ。こういうのは仕掛けた編集者の進行ミスというか、最初から人選があやまっていたというか。自分も一回やらかしたことがあるから、穴に入りたい気分だ。

あっ! 畿内食の話は「週刊ダイヤモンド」じゃなくて、この本で読んだんだった! 駅弁の話も。






Last updated  2008.07.01 12:53:47
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2008.05.07
カテゴリ:評論・エッセイ

『人生激場』三浦しをん

とりあえずエッセイだけは全部読んだはずだと思ったら、これを忘れていた。だって「週刊新潮」連載だもん。いくら私でもここまでオヤジ週刊誌は守備範囲外だったよ。

リンボウ先生が解説を書くことになった縁はこれか? 考えたら、三浦さんは日本文学専攻で文楽に詳しいし、リンボウ先生は江戸時代の書誌学の専門家だから、共通点はあったわけだ。全然思いつかなかった。

中年オヤジがどこまで乙女な脳内を知りたがるのかは謎だが、「週刊新潮」が愛読書なオヤジたちは、会社の若い部下とか娘の脳内を知りたくて、三浦さんのエッセイを読んでいたのかな。だとしたら大きな間違いだ。フツーじゃないから、この人は。

面白く書こうとする意気が極端なテンションを作り上げているし、意外や脳内はオヤジというか、年食っているぞ。だって私と同じこと考えてるからな。しかも多分にフェミが入っているから、男性にとっては小気味悪いかもしれない、と思いつつも楽しく読んだ。

でも「週刊新潮」を愛読する層にはそれほどうけなかったらしく、一般的に長期連載になりがちな総合週刊誌のエッセイにしては、2年足らずの短期間連載で終わっている(のかな? まだ連載していたらどうしよう……)。






Last updated  2008.05.07 08:24:55
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2008.04.17
カテゴリ:評論・エッセイ

夢のような幸福

「Boiled Egg」で発表したエッセイはこれで最後? まだあるのかな?
大分しをん節に対する免疫がついてきたのか、以前ほど大笑いはしなかったけど、相変わらずテンションの高い煩悩撒き散らしエッセイで結構なことだ。

バクチクを追っかけて全国のライブハウスを行脚する話はもうさんざん読んだ。
そして前回読んでいたのは、まだルトガー・ハウアーがどうのと言ってたのに、指輪を観たと単にヴィゴ・モーテンセンに鞍替えしてた(笑)。
アラゴルンの汚さに惚れるとは、さすが胸毛や脛毛に対する偏愛あふれる三浦さんだけある。
でも私は、一緒に映画を見に行ったお母さんの爆弾発言、「あんた、あの人好みでしょう、ほらアラレゴン!」で噴出しましたよ。母恐るべし!

最近の三浦さんのブログでは、ついにマンガの語法や型式の分析にまでいたっているが、相変わらず少女マンガに対する愛の深さはとどまるところをしらないみたいで、「人生何度目かのガラかめ全巻読破!」とか、いいなあ自由業はと嫉妬に狂いそうになった(笑)。

しかし、高橋真琴のマンガを読んでいたという筋金入りの少女マンガリーダーベテランのOさんと「あれで育つと男で失敗する」という話をしたばかりだったのだが、三浦さんはさらに、白泉社系と集英社系では恋愛に対する表現が違うから云々と、媒体によるカラーの違いにまで及んでいて、そういえば「花ゆめ」と「ララ」で育った(というかいい加減育ってからもずっと読んでいた)私は、くらもちさんのようなねっちりとした恋愛ものには嵌らなかったなあと、いまさらながらに白泉社を恨んでしまうのだったよ。

いやべつに、未だに独身でいるのが、マンガ雑誌のせいだなんて、そんなおほほほ。

あとがきが、いやいや書かされたのがありありとわかるリンボウ先生で笑った。
毛筋ほども共通点ないだろうっ!






Last updated  2008.04.17 22:06:30
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