視床下部と食欲にまつわる話題
土曜の夜は久々に昔の仕事仲間たちと飲み会の予定だったけど、直前まで人数が決まらなかったので店の予約もできず、なんとなく銀座に集合してから、コリドー街の寿司屋に流れる。そこで夢の話になって、牛肉とパンツのプレゼント、というわけのわからない夢を見た話を披露したら、茂木健一郎にかぶれて亜流の脳本まで出そうとしている編集者が、したり顔で「食欲中枢と性欲中枢はともに視床下部で隣り合っているからね。合体した夢を見ても不思議はない」とか言い出した。「視床下部って、本能を司るとこ?」「そうそう」「自律神経もそこだよね」「うんうん」「じゃあ三大本能はすべてそこに?」「うん。爬虫類脳って言ってさ、もっとも進化していない脳なんだよ」じゃあ私の夢は食欲と性欲と、夢だからして睡眠欲。すべては視床下部のせいですか。なんかフロイトの夢分析のほうがロマンがあるんですけど。それに支配中枢が隣り合っているからって機能が混ざるか? と疑問をぶつける。「交尾を終えたメスがオスを食べるじゃん」それ昆虫。「恋人がいとしいあまり殺して食べちゃう話もそれで説明がつく」ええーっ、それって普遍的な行動ですか?寿司屋のカウンターでするにはふさわしくない話題だったが(ごめんよ、発端をつくったのは自分だ)、単に食欲と性欲を同時に満たすだけなら○ックスしながら食べればいいじゃないかと思うんだが、なんで性欲の対象を食べる話になっちゃうのかがわからない。カニバリズムは一部エクスタシーとかぶるけど、レクター博士は愛しいあまりに食べたんじゃなかったはずだが。このテの話は初めてじゃなくて、どこかで昔聞いたか読んだかしたなと思って、昨日、家の本棚を捜索したら、BL本の裏側にこんな本があった。『ヒトはなぜペットを食べないか』山内 昶ここには古今東西、イヌもネコも食べてきた人類の歴史やら獣 姦の事例やらがびっしりで、こういうのを読んでいるから自分は、今更男同士だろうが兄弟同士だろうがビクともしないんだなとわが身の悪食を恥じたが、これは食欲と性欲とタブーの話。タブーの話は、学生時代に人類学やっていた頃にフレイザーの本で読んだ。なにしろ『金枝篇』を原書で読まされていたので、なかなか最新理論まではたどりつかなかったが、タブーというのは原始からある文化的な仕掛けで、時代とともに変わるという話だった。売られているイヌやネコや繁殖させられているのだから、肉屋で売ってる牛や豚と変わらない。なのになぜ食べないか。世のペット愛好家に喧嘩を売るような内容ではあるけれど、これは人類のタブーに迫った珍著だと思う。しかしこの本には底本があって、私はそっちを先に読んでいた。『食と文化の謎』マーヴィン・ハリス こちらは真面目な人類学の本。あ、手元にあるのと表紙が違う。軽装版が出ているのか。私は上製本の初版(1988年刊)を持っていて、上記の山内さんも、おそらくこの本にインスパイヤされたと思われる項目(第8章 ペットに食欲を感じるとき)がある。最初にこの本を読んだ頃は、牛一頭を育てるための膨大なコストにめまいがし、肉食はおぞましいと思ったけど、今読み返すと、これは食に関するコストと利益を真面目に考えた本で、やっぱりヒトにとってもっとも効率がいいのは肉だってことがわかる。栄養学的にはたんぱく質係数でカウントするから、昆虫を食べるのが一番効率がいいらしい。幼虫のうちにね(うええ~)。この教授は、学生たちに日本製のイナゴの缶詰を差し出して、食べられるかどうかを試すらしいが、伊藤理佐さんが幼少時にハチの子ごはんを喜んで食べていた例に漏れず、多分、山の民は戦後になっても虫を採取して食べていた。一方、イヌもブタも牛も家族同様にかわいがって、子犬と自分の子を同じ乳で育てて、成長したら食べていた民族が世界中に存在する。そして人間の脳は、20万年も前から進化していない。