2005/01/17(月)22:00
心の嵐
昨日に続いての嵐シリーズ(?)
妻がある方をお訪ねした。いっしょにお祈りをしてきた。
夜、その方から電話があった。
「来ていただくのはいいんですが、負担になるので・・・」
妻にそのことを告げた後、どうにも心が晴れない。
その方の事情もよくわかっているし、その苦しみも
わかっているつもりではあるが、それでも
「勝手なこと言うな、自分の都合ばかりでこちらを
振り回すな!」と叫びたくなってしまう。
そういうことにわたし以上に敏感な妻の心も
よくわかって、心が痛む。
でも・・・、それでも・・・、
その方の心の苦しみ、痛みがやわらいでほしいと
祈る。牧師だから、とカッコつけてるのではなく、
一人の友として、その方に神様の慰めが
ありますように、と祈る。
そして、自分の心の嵐が静まりますように
と祈る。祈りながら、主イエス様の十字架の痛み
を思う。なんという、なんという、痛みだったのだろう。
こんなちっぽけな傷以上の痛み、それをご自分から
受けてくださったイエス様。
祈りつつ、言葉にしていくうちに、少し嵐も
静まってきたようだ。
人を愛することの難しさ、そして、その愛を
実践することを教えてくださり、実践できるように
してくださった、主イエス様のすばらしさ。
「愛は、すべてを完成させるきずなです。」
(新約聖書:コロサイの信徒への手紙 3章14節)
牧師だって悩んで、つぶやいて、つまずいて、転んで
・・・そしてまた起き上がるんですぞ。