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昭和16年(1941年)4月、米の配給制が大都市で始まりました。いよいよ、戦時統制経済に突入です。各戸に米穀配給通帳が配られ、一人1日当り、白米2合7勺(486ml)の配給から始まりました。
その後、米の配給量は、2合3勺(414ml)、2合1勺(378ml)と、次第に少なくなってゆきます。 小学生の私などの知らないうちに、昭和14年(1939年)から昭和15年にかけて、経済の統制化に必要な法令が、次々に決められていたのです。 地代・家賃については、昭和14年10月に地代家賃統制令が施行されて、賃貸料はその時点の額から変えられなくなりました。家賃収入の多かった我が家では、父が 「これでは、貸家の修繕ができなくなる」 と嘆いていました。 衣料切符(奈良県立図書情報館・戦争体験文庫より許可を受けて掲載) 生活物資の統制による供給には、配給制と切符制がありました。米などの主要食糧は配給制で、砂糖・マッチなどは切符制でした。衣料品も昭和17年(1942年)から切符制になりました。味噌・醤油も切符制だったと思います。 切符制というのは、一人当たり1年間に買える点数が決まっていて、衣料品で言えば、何か一品買うと、品ごとに定められた点数分の切符が切り取られ、切符を使い切れば、その年は、もうそれ以上、衣料品は買えない、という仕組みです。 父は、統制の始まる前に、どこからか、大人が入れるくらいの大きな木箱二つと、石鹸・足袋(たび)を、驚くほど大量に買い込んできて、その木箱に詰め込み、納屋に収納しました。そして 「人には言うな」 と口止めしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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