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昭和17年(1942年)、日米間で、ソロモン諸島をめぐる海域での戦いが繰り返されているさなか、別の海域で、日本の運命を左右する大海戦が行なわれました。ミッドウェー海戦です。
昭和17年(1942年)6月5日、日本海軍の大機動部隊は、アメリカ海軍の拠点・ミッドウェー島を攻略し、アメリカ艦隊を殲滅しようとして、海と空とから攻撃を開始しました。 しかし、この作戦はアメリカ側に事前に察知され、待ち構えていたアメリカ機動部隊との激しい海戦になりました。 ミッドウェー海戦で魚雷攻撃を受けるアメリカ空母ヨークタウン 戦いは6月7日まで続きました。この海戦で、アメリカ海軍は、ミッドウェー島の基地機能に大きな打撃を受け、空母ヨークタウンと150機以上の航空機を失いました。 しかし、日本側の損害はそれより大きく、主力空母、赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4隻と、それらに積んでいた艦載機280機以上を失い、海軍機動部隊の中核を喪失してしまいました。 ミッドウェー海戦で攻撃され沈没寸前の日本海軍空母赤城 米軍機の攻撃を受ける日本海軍空母飛龍 ミッドウェー海戦敗北の原因はいろいろ言われますが、このとき、日本海軍の暗号がアメリカ側に解読されていたこと、日本軍艦にはまだないレーダーが、アメリカの軍艦には装備されていて、日本艦隊の動静を見破られていたこと、などが挙げられます。 日本側は、戦う前に、すでに情報戦で負けていました。 大本営発表では、ミッドウェー海戦の詳細は伏せて、敵艦隊に打撃を与えたと報道されただけでした。国民の知らないところで、日本の連合艦隊は大きな打撃を受けていたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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